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大琳派展 継承と変奏(4) 見えぬものこそ

 2008/11/03(Mon)
 さて項を改めまして、今度は酒井抱一を中心に、前項ともちょっと絡んだ感想です。

 今回展示替で特に楽しみだったものの一つが、三井記念美術館所蔵の「兎に秋草図襖」です。昔「芸術新潮」で「あな珍しや!酒井抱一の"フロ-リング"襖絵」という記事に取り上げられたこともあるこの作品、一面に斜めに張った薄い木の板を吹き付ける風に見立てるという風変わりな趣向で、ぜひ一度見たいと思っていたのが今回ようやく叶いました。抱一得意の細く繊細に流れる葛の蔓(つる)の表現や揺れるススキの穂が、板地を背景にしただけで激しく吹き付ける風に翻弄されるようすをまざまざと想像させて、まるで現代の漫画の効果線のような手法もさることながら受ける印象もちょっと珍しかったです。ちょうど1週間前に箱根の仙石原のススキ野を見に行ってきたのですが、その時に見た強風に波打つ一面銀色のススキをふと思い出しました。

 それにしても、代表作「夏秋草図屏風」や今回里帰り中の「柿図屏風」など、抱一の作品は時折「風」を感じさせるものがちらほら見られます。(今回初観覧の「柿図屏風」など、縹渺とした晩秋の風の音や冷たさすら伝わってくるようでした) 図録で「止まる時間」を描いたと述べられた其一は、そのシャープな印象に反して意外に「風」はあまり?描いていないようですが、抱一の作品は絵でありながら動きや音までもがこちらに伝わってくるような風を描いているのですね。そんなことを思ったら、クリスティナ・ロセッティ(ラファエル前派の画家ロセッティの妹)の詩が頭に浮かびました。

  「誰が風を見たでしょう
  僕もあなたも見やしない
  けれど木の葉をふるわせて
  風は通りぬけてゆく」(西條八十訳)

 風そのものは決して目には見えないけれど、抱一はそんな風そのものを目に見える形で描くのではなく、風になぶられる草の動きで描いたのでしょう。それも一瞬の時を写真のように切り取るのではなく、今ならば映像として捉えるような目で見つめ、波打つ草の動きや葉擦れの音さえも紙の上に描き留めようとした――そんな気がします。
 また少し話は違いますが、思えば抱一は銀屏風で月光を暗示する描き方はしても、光そのものを例えば光線のような形で表そうとはしていませんし、また目に見える「雨」ですら、「夏秋草図」では明らかに意識しつつもやはり描いていません(其一は「雨中桜花楓葉図」でしっかり描いていますが)。光もまた風のようにそれ自体を描くことの不可能なもののひとつで、そんな自然の事象を目には見えない、強いて言うなら「気配」として描こうとしたのが抱一の世界なのではないでしょうか。それが季節の移ろいに敏感な俳諧の世界に生きた彼ならではのものかどうかまでは判りませんが、何にせよ本当に繊細な感性を持った画家だったのだろうなと、改めて感じました。

 というわけで、最後に風にまつわる作を一句ご紹介。

    抱かれたり負けたり風の萩すゝき           ――――抱一


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