大琳派展 継承と変奏(2) 講演会覚書

 2008/10/13(Mon)
 何だかんだありまして、結局この三連休は大琳派展の講演会へ行ってきました。また2日目は初のオフ会参加で大変どきどきしましたが、普段殆どできない琳派や美術展の話を心行くまですることができて、大変楽しかったです。主催のはろるどさん&Takさん、本当にありがとうございました。

 さて、講演会の方は四人の講師の方々が、それぞれ光琳・宗達・工芸・抱一をそれぞれテーマに取り上げてお話してくれました。千尋のお目当てがトリの抱一だったことは言うまでもなく、そんなわけで本日は特に聞く気満々でしたが、いやあもう本当に面白かったです。内容自体も初めて知ることがたくさんあって大変勉強になりましたが、何よりお話ぶりが四方の中でも一番「愛」に溢れていたのですよ。(笑) 何しろ出だしがいきなり「学生時代に東博で夏秋草図に一目惚れして、生涯を共にする決心をした」という告白から始まり、その後も抱一の一生を辿りながら数多い画像と共にとても丹念に説明してくださったので、もうすっかりファンになってしまいました。残念ながら玉蟲さんのような著作は特にないそうですが、機会があればぜひもっとお話を聞きたいですね。
 ともあれ、せっかくですので私も忘れないうちに、大まかな内容をここでご紹介したいと思います。(以下、レジュメの目次に従っております)


【酒井抱一と江戸文化】講師:岡野智子氏(細見美術館学芸員)

1.風流公子酒井抱一
 始めに述べられたのが、琳派画家の中でも抱一は時代も遅くその身分柄もあって、残っている情報が宗達・光琳よりはるかに多いということです。その分研究も大変だそうで、確かに俳諧方面はあまり進んでいないと玉蟲氏も触れていましたが、これはこれで贅沢な悩みですね。

 2.酒井家の教養
 酒井家一族は元々風流大名として有名だという話はよく聞きますし、最近の「もっと知りたい」でも兄忠以の絵などが紹介されていましたが、今回初めて忠以・抱一兄弟のお父さん(忠仰)の絵を見ました。画題は大琳派展でもおなじみ「佐野の渡り」なのですが、お父さん作の絵にお母さん(里姫)が賛を入れ、さらに表具は何とお祖父さん(15代忠恭公)、そして箱書きがお兄さん(忠以)というから凄い(笑) まさに一族合作で、なるほど、抱一はよく身分の割に奔放だと言われるけれど、少なくとも絵に関しては彼一人が突然変異(笑)ではないのだなと、改めて感心しました。(ちなみに母方の叔父さん(松平乗完)も、なかなか達者な花鳥画を描く人だったそうです)

 3.浮世絵を描く御曹司
 青年時代の抱一は浮世絵から絵の世界に入り、今回出品の「松風村雨図」は初期の作品として知られていますが、あの時点(25歳ごろ)で既にかなり絵を描いていたようです。画風が歌川豊春風だということもあり、ボストン所蔵の「花魁図」は始め豊春作だと思われてしまったそうですが、その書き込みをしたのが何と河鍋暁斎だというから大笑い。暁斎は知る人ぞ知る其一の娘婿ですが、その彼も若い頃の抱一があんな絵を描いていたとは知らなかったのですね(笑)
 ともあれ、抱一がそうした自由な青年期を過ごせたのは、多分に仲のいいお兄さんの庇護あってのことだろうということでした。しかも「松風村雨図」の箱に入っていた袋の紋は、兄忠以が気に入りのコレクションにのみ使っていたものだそうで、随分弟を可愛がっていたのでしょうね。(と希望。笑)

 4.江戸の光琳ブーム
 抱一が光琳に傾倒したきっかけとして、酒井家所蔵のコレクションがたくさん?あったろうとはよく言われていますが、実はそれについての確証はあまりないのだそうです。(意外) ただ光琳・乾山の江戸下向から、立林何帛の江戸移住あたりまでと、俵屋宗理・中村芳中以降からははっきりと違いが出てきているとのことで、例えば宗理の絵は余白を大きく取った繊細な淡彩画が見られるなど、後の江戸琳派の芽生えに繋がるものが見られます。そして出てきた抱一が初の琳派研究者として、また琳派の継承者として大きな流れを作ることになったわけですね。
 なお抱一の初期琳派作「月に秋草図」(MOA)は、たらしこみにまだ慣れていない頃に一生懸命頑張って描いた感じがする(笑)とのことで、確かに言われて見れば何やらぎこちなさが目立ちます。その反面、「燕子花図屏風」(出光)で蜻蛉を書き添えていたり、「松藤図」(アジアソサエティ)で繊細な藤蔓を描いていたりなど、早くも後の抱一らしさ(叙情的・文学的)がこの頃既に現れていたんですね。

 5.吉原に遊ぶ画僧
 お兄さんが早世した後、酒井家で微妙な立場となった抱一は色々鬱屈することもあったようで、結局37歳で出家します。しかし武家から僧侶への転向はある意味しがらみから自由にもなったわけで、終生の住まいとなった雨華庵から毎日?吉原に通った(笑)ことでまた遊び人だ何だと言われますが、ただし住居はとても質素だったということでした。(没後当時の酒井家当主が弔問に行って、粗末さに驚いたとか) なお抱一のアトリエの名に取られた「雨華」は、彼がよく描いている芙蓉の花のことでもあるそうです。
 また今回の出品に含まれる仏画はやはり出家とも関連が深かったらしく、余談ですが特に「白蓮図」は人気の高い作品の一つということでした。確かにオフ会でも人気でしたし、私もあの絵は「夏秋草図」の次くらいに大好きです。(^^)

 6.一ツ橋徳川家と「夏秋草図屏風」
 実は昨日、たまたま調べ物をして偶然気付いたのですが、酒井家と一ツ橋家は上屋敷・中屋敷・下屋敷のいずれもお隣さんだったそうです。その点から言っても、両家の交流は他の大名家よりは親しかったということも考えられますし、となると出家したとはいえ抱一にとっても一ツ橋家はよく知った仲であってもおかしくないですね。

 7.豪商森川家と「蔓梅擬目白蒔絵軸盆」
 同じく今回出品の軸盆は、抱一下絵の蒔絵作品の基準作だそうです。しかも原羊遊斎は実に見事に抱一の下絵を蒔絵に仕上げていて、前日工芸編で解説された茶箱もですが、抱一の下絵以上に抱一らしい(笑)と絶賛されていました。…まあ絵画と漆芸ではまったく違うジャンルなので無理もないですが、何だかファンとしては微妙に複雑なような…(^^;)
 またこのお盆はよく知られるように特定の絵巻を乗せるための特注品ですが、実際にこれを使用する時の絵柄の見え方を配慮した点など、光琳の香包みにも通じるものがあるそうです。確かにあの香包みは掛け軸になってしまっていて判りにくいですが、本来の使い方をして見たなら随分また印象も違ってくるのでしょうね。(←というか、こういうものこそぜひグッズにしてほしいのですが。笑)

 8.江戸文化が育んだ抱一
 抱一を取り囲む江戸文化は、吉原の文化圏と大名家・豪商家の文化圏という、ある意味両極端な世界でした。特に大名や豪商は京都の雅の文化に憧れつつ、一方で江戸の洒脱な洗練をも愛し、それに応えたのが光琳流や大和絵を取り込み独自に開花させた抱一だったということでしたが、それを思うと抱一という人は、実にさまざまな流れが合流した中からある意味出るべくして出る人だったのかしら、という気もします。彼も含め、琳派というのは本当に一筋縄では行かない、だからこそつくづく面白いと改めて感じました。


 以上、ざっと駆け足ですが、本日の講演の覚書でした。なお岡野氏は最後の討論会でも司会さんに「昔から抱一の追っかけで、抱一命なんですよね(笑)」と言われておいでで、本当に熱の篭った、それだけに抱一好きにはたまらなくて面白いお話だったと思います。今後始まる細見の恒例琳派展のお知らせもありましたし、今年は久しぶりにぜひ行きますね!
 ところで、これは全然抱一とは関係ないのですが、今回の大琳派展に来る途中でのエピソードがまた傑作でした。上野駅から博物館までの途中に並ぶ看板の風神雷神を見て、小さな男の子が「あ、なまはげだ!」と言ったんだそうです。これには場内爆笑、多分3日間通して一番大笑いになったお話でした。(きっと講演全部忘れても、あれだけは皆さん忘れないでしょう。笑)

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コメント
千尋様こんばんは。先日は改めましてありがとうございました。ご一緒出来て楽しかったです。

詳細な覚え書き、どうもありがとうございます。
初期の浮世絵は、ようやく最近評価が定まってきた印象がありますよね。未発見の作品などがまた出てきたら面白いなと思います。

抱一のお好きな専門の方の講演ということで、
さぞかし充実した内容だったようですね。
ところで図録の例の論文についての質問などはあったのでしょうか。岡野氏は夏秋草と其一の関係をどうとらえておられるのかと…。
【2008/10/15 21:00】 | はろるど #GMs.CvUw | [edit]
はろるどさんこんばんは、こちらこそその節は大変お世話になりました。講演会は本当に、はろるどさんにもお聞かせしたかったです。
なお例の論文の件については残念ながら特にお話はありませんでしたが、何しろ私と同じく(笑)「夏秋草図に一目惚れした」ときっぱりおっしゃってましたから、多分岡野氏も素直に?抱一作と考えてらっしゃると思いますよ。

【2008/10/17 22:09】 | 飛嶋千尋 #EvGjErPc | [edit]












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