ちょうどお彼岸なので

 2008/09/21(Sun)
 昨日のフェルメールと芳崖の後は、築地本願寺へ抱一さんのお墓参りに行ってきました。(笑)
 最初に行ったのはかれこれ9年前で、ちょっともう写真もどこ行ったか判らなくなってしまったので、改めての撮影も兼ねて久しぶりのご挨拶です。正面入り口を入って左の奥、樹の茂る一角に並んだいくつかのお墓の一番左端の墓標が、抱一のお墓でした。

  抱一墓1

  抱一墓2

 椿かあるいは山茶花の木でしょうか、側の枝がわっさりとお墓の上に被さっていて、写真を撮るのにちょっと苦労しました。今は緑の葉ばかりですけれど、花が咲いたらきっと綺麗でしょうね。

 ところで帰りにふと寄った八重洲ブックセンターにて、今月の「美術手帖」が琳派特集だったので手に取ってみたら、いやかなり言いたい放題の愉快な内容で大笑いしてしまいました。特に抱一はやっぱりお坊ちゃまで其一をこき使ってた人(笑)みたいに言われてましたが、其一贔屓の人から見ればどうしてもそうなってしまうのはある意味仕方ないんでしょうね。(しかしおかげでこの前の「朝顔図屏風」の時、あんな説明になってた訳もよく判りましたよ。笑)

 ともあれ、琳派の絵師四人(宗達・光琳・抱一・其一)と並べるなら、その中で一番異質?に見えるのは、私としてはむしろ抱一ではないかと思います。それに其一が長年(抱一の弟子として代作をしていたために)抑圧されていた(笑)云々というのも、他の画家も同じように代筆や共同制作(一種の工房作?)が当たり前だったらしいということになれば、必ずしも素直には頷けません。大体狩野派だって土佐派だって偉いご先祖や大先輩の真似も大事な修行の一環だったのですし、その意味ではやってることは大差なかったんじゃないかと思うのです。(もちろん素人考えですけれど)
 それともうひとつ、これは私自身のささやかな経験上の話ですが、模倣というのはひたすらお手本を真似て真似て限界まで真似て、どうしても真似しきれないところまで行き着いた時に初めて「自分(の画風)」というものが見えてきたりするものです。其一も始めは抱一そっくりでしたが、それでもよく見れば構図だとか筆致だとかが何となく違うなと感じたりしますし、だから多分抱一の下での長い下積みも決して無駄な経験ではなかったのではないかしら、と(多分に希望的観測も含めて)思うのでした。

 とはいえ、其一の目指した方向は確かに抱一とははっきり違っていましたし、師匠を越えてやろうとかそう思ったかはともかく、自分はあの人と同じ道は行かないぞ、みたいな意気込みはあったかもしれませんね。その結果が抱一より光琳や若冲に近く見えるのがちょっと愉快ですが、ともあれ大琳派展ではそのあたりの比較も楽しみです。

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(2008/09/17)
不明

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