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賀茂斎院と源氏物語・追加報告

 2017/12/12(Tue)
 どうも、またまた大変ご無沙汰しております。昨年は色々波乱の年だと思っていましたが、今年はそれ以上にトラブル続きの一年でした。
 ともあれ、最近ちょっと賀茂斎院の方で新展開がありましたので、取り急ぎご報告です。

 ここでも何度か触れたことのある、賀茂斎院と『源氏物語』についてのレポートで「「葵」に登場する斎院は、斎宮より一年早く卜定された」説について書きましたが、千尋とほぼ同じ見解で書かれた論文を先日発見しました。「光源氏の年紀」という論文で、発表は1983年ですから、実に30年以上昔です。はて、そんな以前に出されたものが何故他の論文や研究書では取り上げられていないのかと思ったら、著者の伊藤博氏は1991年に56歳の若さでお亡くなりだったそうで、そのせいかどうかその後もこの説は埋もれたままだったようですね。
 ちなみに千尋がこの論文に行き着いたのは、伊藤氏の没後に出版された論文集『源氏物語の基底と創造』(武蔵野書院、1994)に収録されていたおかげです。最初の論文自体は『中央大学文学部紀要』(106号)に掲載されたもので、今でこそ大学の紀要はネット上でも簡単に見られるものが増えましたが、当時は大学図書館でもなかなか所蔵していなかったようです。だから学術雑誌掲載の論文と違って、学会関係者の目に触れる機会も少なかったのかもしれませんが、まさか今になってこんな論文に出会えるとは思いませんでした。

 伊藤氏の見解は実に簡潔にして明快で、桐壺帝女三宮の斎院卜定は「花宴」と同年、秋好の斎宮卜定はその翌年で、斎院の卜定は桐壺帝の譲位とは関係のないものであったろうと述べています。また「葵」の斎院御禊が再度の御禊(=初斎院御禊)であること、そもそも天皇譲位では斎院退下とはならないこと、『源氏物語』作中でも朝顔姫君は朱雀帝譲位でも交替していないことも触れており、この問題について述べた部分はそれほど長くはないのですが、大変納得のいく内容でした。
 ただ一点、伊藤氏の説では桐壺帝譲位を「花宴」と同年であろうとしており、これだけが千尋の見解とは異なっていてちょっと気になるところです。この問題も含めて、近い内にレポートの補足として正式に賀茂斎院サイトでも紹介したいと思っています。

関連リンク:「賀茂斎院から見る『源氏物語』年立論~桐壺帝女三宮の卜定と、朝顔姫君の本院入りを巡って~

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