大斎院、波乱の幕開け

 2014/07/10(Thu)
 最近賀茂斎院サイトも更新ご無沙汰中ですが、小ネタの在庫はいくつかあるのでぼちぼち調査中です。というわけで、今日はそんな中からちょっと意外な新発見のお話など。

 斎院サイトのトップページに載せている歴代斎院一覧には最初卜定と退下の年月日のみを記載しましたが、去年これに初斎院入りと本院入りの年月日を追加しました。ところがその後色々と調査を進めているうち、16代選子内親王のデータに引っかかるものがあったのです。

 斎院が卜定されてから初斎院に入るまでの期間はその時によってばらばらですが、卜定が年の前半(6月まで)であれば大体年内、後半(7月以降)であれば翌年となるようで、早い例では2か月半、遅い場合でも殆どは丸1年以内に初斎院へ入っています。
 ところが選子内親王の場合、卜定(天延3年(975)6月25日)から初斎院入り(貞元元年(976)9月22日)まで実に1年3ヶ月かかっており、これは初斎院入りの年月日が判明している歴代斎院の中で最も長いのです。はて、これは誰か近親者に不幸でもあって延期になったのかと思い、「大日本史料データベース」で検索をかけてみたところ、この時期はとんでもない時代だったことが判って驚きました。

 まず選子の卜定からわずか5日後の天延3年(975)7月1日、日食が起こっています。しかもこれはただの日食ではなく、何と日本史上初と言われる皆既日食でした。
 最近の日本でも2009年、トカラ列島から奄美大島にかけて皆既日食があったことをご記憶の方も多いかと思います。また2012年にも金環食があり、日本中で大変な盛り上がりでしたね。
 しかし日食の光を浴びるだけでも不吉とされた平安時代のこと、まして真昼(といっても朝8時頃の話ですが)に太陽が真っ黒になって星が見えるという前代未聞のとんでもない天変に、当時の人々が大パニックに陥っただろうことは想像に難くありません。『日本紀略』にはこの時の様子について「日有蝕、(中略)卯辰刻皆虧、如墨色無光、群鳥飛亂、衆星盡見」とあり、震え上がった朝廷は大々的な恩赦や各神社への奉幣を行っています。私も2011年にオーストラリアまで行ったくらいには日食好きの天文好きなので、この日本最初の皆既日食の話は知っていましたが、まさかそれが選子内親王の卜定直後だったとは思わず驚きました。。

 しかも翌天延4年(976)はもっと凄く、まず5月11日に内裏で大火事が起こり、時の円融天皇(18歳)を始め皇后(藤原こう子)・東宮(師貞親王、後の花山天皇)が避難しています。さらにこの騒動も冷めやらぬ6月18日には大地震が平安京を直撃、「其響如雷」という激しい揺れで宮中の八省院・豊楽院を始め東寺・西寺・清水寺や多くの邸宅・人家が倒壊し、大勢の死者(清水寺だけで50人)を出す大惨事になったと記録されています。その後も7月末まで連日のように余震が起こり、そこへ酷い豪雨が追い打ちをかけるという有様で、これらの相次ぐ天変地異や災害に、とうとう7月13日に改元が行われる事態となりました。
 ちなみに選子より少し早く斎宮に卜定された異母姉の規子内親王(斎宮女御徽子女王の娘)は、天延4年2月に宮中(侍従厨)へ初斎院入りしており、5月の火災の後もそのまま留まっていたようです。そもそも斎宮規子の初斎院入りも穢れが続くなどで遅れており、それを待って斎院選子の初斎院入りも進められていたのかもしれませんが、これほどの混乱が続いたのではそれが大幅に遅れたのも無理はありません。

 結局9月21日に斎宮規子が宮中を出て野宮に入り、入れ替わりで翌22日にようやく選子は初斎院(大膳職)に入りました。しかしその翌日の23日、またもとどめのように大きな余震が起こったというのだから、何とも間が悪いと言う他ありません。現代と違って地震の科学的知識に乏しかった当時の事、幸先が悪いと選子自身や周囲の人々も不安に思ったのではないでしょうか。
 とはいえ、幸い余震はこれを最後に落ち着いたようで、円融天皇も安心したのか更に10年近く在位しています。しかし選子がその後56年もの間斎院にあり続けて「大斎院」と呼ばれるようになるとは、当時誰一人想像もしなかったでしょう。

 それにしても不思議なことに、『栄花物語』や『大鏡』ではこれらの日食や地震について殆ど触れていません。当時の人々にとってはさぞかし衝撃的な大事件だったろうと思うのですが、そういえば『枕草子』や『源氏物語』にも地震の話は出てこないのです。確かに紫式部などは下手をすればまだ生まれていない頃の話ですが、ただし『源氏』の「薄雲」帖では太政大臣(葵上の父、光源氏の舅)が亡くなった頃に「天つ空にも、例に違へる月日星の光見え、雲のたたずまひあり」であったという一文がさりげなく入れられています。もしかすると紫式部も、父親や周囲の大人たちからこの皆既日食の話を聞いたことがあったのでしょうか。
 ともあれ、サイトでは斎院絡みの事項のみピンポイントで年表にしていますが、その時代背景ももっとしっかり把握しておかなければならないのだなと、当たり前のことなのですがしみじみ痛感しました。以前「一覧表の功罪」について少し触れましたが、年表も同じなのですね。

 ところで大分前の話ですが、この平安時代の皆既日食については2001年に「平安京の天文博士 安倍晴明」というプラネタリウム番組(板橋区立教育科学館)で取り上げられたことがあります。しかもこの時の星空の映像はしっかり1000年前の星の運行を忠実に再現したものだったそうで、スタッフさんもとてもこだわって製作したと伺いました。内容も夢枕獏氏の『陰陽師』風のミニドラマ仕立てで、なかなか面白いものだったので、できればもう一度見てみたいです。

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