賀茂祭の謎・四 源氏物語から百年後

 2012/08/11(Sat)
 前回の後、歴代斎院の初斎院御禊に関する史料を探していたのですが、24代令子内親王の初斎院御禊の時の記録が見つかりました。
史料は『御二條師通記』寛治5年(1091年)4月15日条で、内裏内の初斎院であった大膳職から出発、鴨川までの道中が以下のように記されています。


御禊日也、五行物忌也、予宿衣参大膳職。(中略)
乗女房了、未刻許寄御輿於南簾、此間無驚[駕?]丁者、于時斎院被揚御髪、有御裳御乗、御共候女房不向前令乗者(中略)
予、民部卿同車見物、大宮大路到列見、更打渡一條西洞院一條邊南方車立、辨外記史下車、渡御車前、殿下御箔被下云々(中略)
次第常如、前駈渡了、殿西洞院自南、到土御門更東折、到左府家給、外門左府下留、予留車、民部卿車下了、烏丸南行一町許、東折参河原、<一條也>


 ここで今一度お断りしておきますが、千尋は漢文日記の読み方についてきちんと勉強したことはまったくありません。特殊な用語さえなければ大体の意味は何となく判る(ような気がする)とは思っていますが、もし間違った解釈がありましたら申し訳ありません。
 それで上記の初斎院御禊の順路ですが、恐らく以下の図の通りに進んだものと思われます。(黄緑の線が御禊行列の進んだ順路を表しています) なお最後の<一條也>がちょっと判りにくかったのですが、『賀茂斎院と伊勢斎宮』(斎宮歴史博物館)の説明を見る限り、御禊の場所そのものは一条大路の先の鴨川沿いだったようです。(ということは川辺に出た後また北上した?)



初斎院御禊順路



 こうして見ると、初斎院を出発し(恐らく待賢門から)内裏を出た行列は大宮大路を北上して一条大路に出ていたようです。しかしそのまま東京極大路まで直進したわけではなく、西洞院大路を南下して土御門大路に到り、そこで東へ曲がった後さらに烏丸小路を一町ほど南下してまた東へ曲がるという具合に、ジグザグに南下と東進を繰り返しながら鴨川へ向かったようですね。
 ただ、これが御禊行列の順路そのままなのか、それとも日記の筆者である藤原師通(道長の曾孫、当時内大臣)が途中で行列から別れて進んだ道を書いたものかがちょっと判らなかったので、もしかすると御禊行列は違う道を行ったかもしれません。ともあれ、大宮大路から一条大路へ進んだところまでは確かなようで、一条大路にたくさんの見物の車が並んでいた様子が伺えます。

 なおこの時の斎院令子内親王の母は関白師実の養女、即ち師通には義理の姉にあたる白河中宮藤原賢子でした。また文中に登場する「左府(左大臣)」は、師通の伯父にあたる源俊房(18代斎院娟子内親王の夫)です。俊房は師通の母麗子と中宮賢子の実父顕房の兄であり、つまり彼にとっても斎院令子は実の姪でした。
 余談ながら文中の「左府家」つまり俊房の邸(土御門第)は、地図中の濃い青で表した部分(左京一条三坊十六町)であったようです。(これについては、土岐陽美氏が「源俊房とその第宅:「土御門」と「堀川」」(『東京大学史料編纂所研究紀要』15, p11-32, 2005)で詳しく考察されています) 俊房は自宅に着いたところで下車したようなので、少なくとも俊房と師通はここまでは同じ順路を進んでいたのでしょう。

 というわけで、紫式部の時代から百年近く後のことではありますが、初めてある程度詳しく判る「初斎院御禊」の順路を記した文章に出会えました。こうした儀式の式次第はそうそう変わるものではないでしょうし、とすればこれを見る限り『源氏物語』での車争いも多分鴨川へ向かう往路での出来事だったと思われます。(少なくともこの頃の読者はそのように理解していたでしょう)
 それにしても、内裏を出発したのが「未刻」ということは早くても午後2時頃で、そこから200人以上の大行列が鴨川に辿りつくまでどのくらいの時間がかかったのかは特に触れられていません。町一つ(地図の水色の四角)を一辺120Mとすると、この順路であれば約2300Mなので、ややゆっくりめに進んで1時間弱くらいでしょうか?

 ちなみに御禊の後の帰り道の様子は以下のとおりですが、東の空に十五夜の満月が昇るのが見えたということは、御禊の終わりはもう随分遅い時間だったのでしょう。また復路はどうやら往路と同じ道を一条大路と大宮大路の交差点まで戻り、そこから北へ進んで紫野斎院に到着したようです。


東山邊望月、于時寄御輿、巻上御簾懸輿、左右立几帳、裏入殿給、予外簾所候也、乗御了、自本路到列見更北折、入御自院南門、殿下(関白・藤原師実)同車、東門入給、北政所(源麗子)前駈下渡南門、入自西門北邊寄御車、御輿入自御簾(後略)

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