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虞美人草の謎 青邨・漱石・抱一

 2011/11/21(Mon)
 11月20日(日)、明治神宮宝物殿で開催中の「和紙に魅せられた画家たち展 近代日本画の挑戦」(2011/10/01-11/27)へ行ってきました。
 テーマは「神宮紙」と呼ばれる特殊な手漉き和紙と、これに関連する日本画を中心としたものですが、今回の千尋のお目当てはただ一つ、前田青邨の「罌粟」です。もうとにかくこの屏風だけを見たかったので、正直言って他の作品は殆ど眼中にありませんでした…ごめんなさい。

  前田青邨「罌粟」
  ※1977年没の青邨はまだ著作権が消滅していないので、代わりに会場入り口のパネルから。


 この「罌粟」の金屏風、最初に出会ったのは多分1998年の「近代日本美術の軌跡 : 日本美術院創立一〇〇周年記念特別展」(東京国立博物館)だったと思います。(ちなみにやはりこの時初めて、長年憧れだった速水御舟の「炎舞」を見て大感激でした) 前田青邨という画家は正直今でもあまりよく知らない人ですけれど、この絵だけは一目見た瞬間、何と言うかどきりとしました。
 80年経っても真新しい輝きを失わない華麗な金箔地の上、右の画面一杯に咲き誇る真っ白な大輪の芥子の群れに対し、左はこれもずらりと並ぶ花の散った芥子坊主で、さらに一部だけなぎ倒されたような場所にそこだけ真っ赤なうつ伏せた芥子が一際鮮烈です。しかもこの芥子はどう見ても立派な阿片芥子(!)で、ただ華やかに美しい植物画というだけではない、これは一体何を表そうとしたのかという疑問と不安を誘うような、独特の迫力というか一種凄味のようなものを感じるのですね。発表された当時の反響の中には、琳派との類似、特に尾形光琳の「燕子花図屏風」の影響を指摘するものもあったとかで、事実青邨は琳派についても色々勉強していたようです。


 さて、ここで話はまたまた酒井抱一へ飛びます。(笑)
 別館の抱一サイトでも紹介していますが、文学作品に登場する抱一を扱ったものとして、最も早い例のひとつに夏目漱石の『虞美人草』があります。少し抱一に詳しい人ならご存知とは思いますが、ここで改めて問題の箇所を引用させていただきましょう。


 逆に立てたのは二枚折の銀屏である。一面に冴え返る月の色の方六尺のなかに、会釈もなく緑青を使って、柔婉(なよやか)なる茎を乱るるばかりに描いた。不規則にぎざぎざを畳む鋸葉を描いた。緑青の尽きる茎の頭には、薄い弁(はなびら)を掌ほどの大さに描いた。茎を弾けば、ひらひらと落つるばかりに軽く描いた。吉野紙を縮まして幾重の襞ひだを、絞りに畳み込んだように描いた。色は赤に描いた。紫に描いた。すべてが銀(しろかね)の中から生える。銀の中に咲く。落つるも銀の中と思わせるほどに描いた。――花は虞美人草である。落款は抱一である。



 何度読んでも実に耽美的な文章ですが、それはさておき、初めてこの文を読んだ時にふっと連想したのが実は青邨の「罌粟」でした。作中では「抱一の銀屏風」とあるのに対して青邨は金屏風、また青邨には紫の芥子は描かれていないなどの違いはありますが、文体から湧き上がってくるイメージはやはり今でも青邨の「罌粟」が一番近いと思っています。何より、抱一さんが単体で芥子だけを描いた屏風などというものに心当たりがありませんでしたし、多分これは漱石の想像上の屏風なのだろうと、何となく思っていました。


  
あじさい日記  あじさい日記

  (2007/10/10)
  渡辺 淳一

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  参考図書(笑):抱一の芥子(「四季花鳥図巻」より)


 ところが最近になって、図書館で偶然、これについてかなり踏み込んで詳しく検証した本に出会いました。

  
「漱石の美術愛」推理ノート「漱石の美術愛」推理ノート
(1998/06)
新関 公子

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 元々著者の新関氏の専門は西洋美術であり、この本は連載で書いていた美術エッセイの中の特に漱石に関するものをまとめたものであるそうです。なのでいわゆる研究論文等とは少々趣が違いますが、それだけに専門書よりも読みやすく親しみが持てました。何より、新関氏も私と同じく「虞美人草の屏風」で青邨の「罌粟」を思い浮かべていたそうで、やっぱり同じことを考える人っていたのねと嬉しかったです。
 それで肝心の「虞美人草の屏風」ですが、結論からいえば、やはり今のところ抱一作の「芥子図屏風」は見つかっていないそうです。ただ宗達派等にはいくつかの作例が知られており、そうであるなら抱一ももしかするとどこかで同じような「芥子図屏風」を描いていたのではないか、ということでした。


  宗達派「芥子図屏風」2
  宗達派「芥子図屏風」1
  宗達派「芥子図屏風」(ボストン美術館所蔵)


 もっとも抱一作品に芥子の花が登場することは非常に少なく、ましてや単体で描かれた例となると、私も殆ど知りません。(雑画帖に一点あるようですが) そもそも尾形光琳に倣ったと思われる「燕子花図屏風」を除けば、抱一の場合一種類の草花だけを屏風絵という大画面に描いた例自体が滅多にないのですよね。(草花でなく樹木なら、桜や梅や柿などがありますが)

 とはいえ、これについては実はもう一点、気になる絵があります。
 燕子花以外で抱一が一種類の草花だけを描いた屏風絵に、もうひとつ「水仙図屏風」というものがあります。大阪の逸翁美術館所蔵ですが、私が知る限り画集等にも掲載されておらず、またネット上でも殆ど見かけないので、恐らく一般ではあまり知られていない作品でしょう。
 私も2005年の展示でたった一回見たきりでなので少々記憶は曖昧ですが、この「水仙図」はやや小ぶりながら立派な六曲一双の、それも「銀屏風」でした。ただ抱一にしてはややタッチが粗い(というか、やけに輪郭が太かった)という印象を受けたものの、白い水仙の花は他の抱一作品にもよく登場するものですし、こんなものもあったんだと素直に思ったのです……が。
 実はこの「水仙図」、構図が青邨の「罌粟」によく似ていたのです。
 左右共に水仙の花がずらりと咲き揃っているところは光琳の「燕子花図」にも似ており、特に右隻はちょうど光琳の左隻を裏返したようにゆるやかな曲線を描いて咲いています。しかし対する左隻の水仙は、一部がまるで強い風でも受けたようになぎ倒されているという、今思えばまさしく「罌粟」の先駆けのような屏風絵でした。

 「抱一が好んで描いた銀地の上に、琳派らしい構図で水仙を描いている。
  左隻に描かれた水仙の一部を倒して描くことで、より優れた構図となっている。
  銀地は、水面でもあり、夜空でもある。その上に浮かび上がった水仙からは、
  芳しい香りが漂ってくるかのような風情を感じさせる」(当時のキャプションより)

 もし青邨がこれを見ていたとしたら、「罌粟」のヒントになったのは光琳よりもむしろこちらではないかしら、と密かに思っています。もともと漱石は「抱一の描いた虞美人草の銀屏風」としているのですから、花は違いますが同じ銀屏風ならモデルとしては最適でしょう。
(もっともこの「水仙図」、何しろ画集にも載らない上に琳派関連の美術展にもまったく姿を見せず、挙句今年の抱一大回顧展にもやっぱり来なかったので、果たしてちゃんと抱一作品として認められているのかちょっと不安だったりもします…苦笑)


 話戻って虞美人草ですが、青邨が「罌粟」を描いたのは昭和5年(1930)、漱石が『虞美人草』を書いたのはそれより20年以上前の明治40年(1907)でした。それで新関氏も「私は青邨が漱石の『虞美人草』からこの作品(罌粟)を発想した、という思いつきを大いに楽しんでいる」と述べており、こういうところは厳密な研究とは違う自由な楽しさがあって面白かったです。
 また画集等の写真では、左右の白い芥子の花も芥子坊主も殆ど平行と言っていい単調な並び方に見えるのが、屏風として六曲一双に立てると、ずらりと並んだ芥子が驚くほどリズミカルな印象を与える姿に一変します。今回久しぶりに実物を見たことで、元々の絵が踊るような光琳の燕子花や鈴木其一の朝顔とはまた違う、屏風絵ならではの立体の効果に改めて感動しました。

 ちなみにこの芥子の花、一体いくつ描かれているんだろうとちょっと数えてみたところ、右の白い芥子が大体170~180、左の芥子坊主がおよそ190前後でした。(!) さらにその他にも葉に紛れるように描かれた蕾がいくつもあって、よくまあこんなにたくさん描いたものです。(※ボストンの宗達派ではせいぜい80なので、実に倍以上です)
 特に白い花の方は、ところどころ薄い黄味がかった色や淡緑なども使っているものの、殆どが純白の顔料(胡粉?)を塗り重ねた厚みだけで表していて、花びら一枚一枚の筋までもまったくの白だけで描いていました。しかもよくよく見ると、満開の花の中に散りかけの花やこれから開こうとする蕾も紛れていて、決して単一ではないのですね。
 また漱石いうところの「鋸葉」も、たらし込みや濃淡は控えめながら実に丁寧にみっしりと書き込まれており、このあたりは琳派というよりむしろウィリアム・モリスの壁紙を連想させます。それでいて全体の繊細で瀟洒な雰囲気はやはり江戸琳派と共通するものを感じさせ、しかもはっとするような意表を突く構図のモダンさは、其一あたりが見たら「その手があったか!」と悔しがりそうだなとも思うのでした。(笑)

 なお夏目漱石は大正5年(1916)に亡くなっており、残念ながら青邨の「罌粟」を見ることはできませんでした。もし漱石が長生きしてあの絵を見たなら、一体どんな感想を持ったか、ぜひ聞いてみたかったです。


  
すぐわかる琳派の美術すぐわかる琳派の美術
(2004/08)
仲町 啓子

商品詳細を見る

  この本でも、青邨の「罌粟」は第4章「琳派の伝統と再生」の最後を飾る作品として紹介されています。


追記:
 ところでこの「罌粟」、1978年の別冊アサヒグラフでは永青文庫所蔵とあり、事実今回見た時にも枠に「細川家」と書いた紙が貼ってありました。ところが上記「すぐわかる琳派の美術」(2004発行)ではただ個人蔵とあり、そして現在は光記念館…30年の間に、一体何があったんでしょう…?


さらに補足:
 後で調べてみたところ、青邨の描いた芥子はどうやら「ソムニフェルム種」という品種が一番近いようです。ちなみに東京では東京都薬用植物園で栽培しており、私も一度見てみたいと思っているのですが、一般公開は平日のみなのでなかなか機会が作れずにいるのでした。来年こそはぜひ…!

参考リンク:栽培が禁止されているケシ東京都薬用植物園

  ソムニフェルム種
  ソムニフェルム種(Wikipedia提供)


さらに追加:
 上記調査の後、11/27にもう一度見に行って気がついたこと。
 右の白い芥子は一重の花ですが、左の紅い芥子はカーネーションのような深いぎざぎざの花びらなどから見て、どうやら八重咲きのようです。白と赤、花と実という対比に加えて、一重と八重という違いまであったことにまた驚きました。

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