雨華庵ご案内 酒井抱一と江戸琳派の全貌(2)

 2011/10/26(Wed)
 2011/10/16(日)、千葉市美術館にて開催中の「酒井抱一と江戸琳派の全貌」第1週講演会「酒井抱一の雅俗」へ行ってきました。今回の講師は、千葉市美術館館長の小林忠氏です。
 小林館長は『酒井抱一と江戸琳派の美学 日本の美術 (No.463)』の著者で、また「江戸琳派」という言葉の名付け親でもあられるそうです。(これは初めて知りました) さらに「もっと知りたい尾形光琳」の著者・仲町啓子氏は後輩、細見美術館の岡野智子氏と千葉市美術館の松尾知子氏は教え子とのことで、実に錚々たる顔ぶれの琳派ネットワークの要でいらっしゃるのですね。
 そんな方ですから、もちろん小林館長ご自身も抱一が大好きで、やはり抱一ファンだった先代の細見氏ともご友人だったそうです。そこまでは当然予想の範囲だったのですが、冒頭でいきなり「私はもし生まれ変われるなら、抱一になりたいんです」とおっしゃったのにはちょっと驚きました。
 はて、抱一ファンだという研究者は他にもいるけれど「抱一になりたい」とは何事?と首を傾げていると、続けて曰く
「皆さん、姫路城ですよ。世界遺産の、あの美しい白鷺城ですよ」
 はあ、でも藩主にならなかった抱一さんは殆どお国入りしてないですけどねえ、とやはり心の中で思っていると、
「姫路十五万石というのは、大大名なんですよ。その次男坊、これがいいんですねえ」
 …この辺で何となく話が見えてきたなと思いましたが(笑)、案の定続けて小林館長がおっしゃるには、名門譜代大名家に生まれて蝶よ花よと育てられ、しかも跡取りでない気楽な次男坊でやりたい放題。まあお兄さんの仮養子は取り消されたけれど、出家して窮屈な武家の身分から解放され、しかもその後も藩から毎年優に一億数千万円(!)のお手当をいただいて、お気に入りの遊女を身請けして好きな絵も存分に描いて、と滔々と並べ立て、最後に力を込めた「何て羨ましい人なんでしょう!」の一言で場内爆笑でした。…まったく、これだから男性は…(笑)
 ともあれ、実は出家後のお手当の具体的な金額については私も今まできちんと知らなかったので、一億数千万という金額には仰天しました。今風に言うならまさしく超セレブというか、一般庶民の感覚とはかけ離れたレベルの話で、これにはちょっと呆然。以前姫路展の際、細見館長が「日本三大放蕩息子の一人」(爆笑)とおっしゃったそうですが、確かにこれはそう言われても仕方ないかも…と大変納得してしまった千尋でした。(ちなみに後の二人は尾形光琳と伊藤若冲だそうです。笑)

 なおこれもよく知られた話ですが、お兄さんの仮養子が解消になった後、抱一さんは他の大名家から随分と「うちに養子に来てくれませんか」と申し込まれています。今回の美術展でも関連作の多かった土井利厚もそのうちの一人で、だから本人さえその気があれば一国一城の主になれたはずなのですが、何故か抱一さんはどのお話もお断りしてしまったのでした。(ちなみに土井さんは古河八万石) 『名門酒井家の二男坊』であることに本人なりのこだわりがあったのか、あるいは単に面倒な殿さま稼業なんて御免だったのかは不明ですが、どちらかといえば後者のような気がします…(笑)
 そうそうもうひとつ、今回調べて初めて知りましたが、この土井さんは「雪華図説」で有名な土井利位の養父にあたる人だったのですね。抱一下絵の贅沢な蒔絵を好んだという利厚と『雪の殿様』利位に、まさかそんな繋がりがあったとは驚きでした。

 ところでここで、年収一億数千万(千石五十人扶持)て一体どのくらいなんだろうと思い、ちょっと簡単な計算をしてみました。
 抱一さんが毎日のように吉原通いをしていたのは有名な話ですが、一方月に六回弟子に絵のお稽古をしていたそうなので、仮にその稽古日には吉原へは行かない(笑)と仮定します。で、365-(6×12)=293で、切りよく大体300日とすると、1日30万円×300日=9千万円で、その他身の回りの出費や絵の顔料代(しつこいようですが、抱一さんの使った絵具は大変上質の高価なものでした)等々も考えれば、大体いい線行ってるんじゃないでしょうか。
 というわけで、なるほどそのくらいかと一瞬納得はしましたが、これはもうお坊ちゃんなどという域もはるかに飛び越えているではないかと再び頭を抱えてしまいました。それでなくても抱一さんは小鸞女史を身請けした時にも相当な金額を出したはずで、日常生活ではそれほど?贅沢をしていなかったにしても、やっぱりとんでもない話です…

 なお余談ながら、一番弟子の鈴木其一は元町人出身ながら、酒井家の家臣である鈴木家へ婿養子に入ったことで大出世しました。年収は百五十人扶持、現代に換算すれば何と三千万円(!)というのですから、抱一がいかに目をかけていたかがこれひとつでも伺えます。そりゃあ多少代作にこき使われても仕方ないわ(笑)と思いましたが、其一ファンの皆様、いかがでしょう?


 さて話戻って、今回の講演で個人的に一番面白かったのが、抱一の後半生の住まいであった「雨華庵」についての解説でした。
 以前もちらっと触れましたが、この雨華庵については、抱一晩年の弟子の一人田中抱二が後年見取り図を書き残しています。しかし少々読みにくくて判らないところもあったのですが、今回丁寧に説明していただいて大変助かりました。この見取り図は「酒井抱一 (別冊太陽)」巻頭に大きな写真がありますので、興味のある方はぜひご覧ください。


  雨華庵見取り図
  田中抱二「雨華庵図」(紙本着色、個人蔵)


 まず右端に「雨花抱一尊師乃住居并(ならび)庭之図」と題し、「屋根不残(のこらず)茅フキ」とあります。当時の根岸一帯は田舎の隠居住まいのような暮らしを好んで居を構えた文人たちが多かったそうですが、「茅フキ」の言葉がそんな佇まいを彷彿とさせますね。
 ついでその下に、「明治十六未とし(ひつじ年) 秋夜ふと思ひ出て 七十二翁抱二図之」とあります。
 明治十六年(1883)のある秋の夜に当時72歳の抱二が、若き日に通った師匠抱一の住まいを遠い記憶を頼りに書いた、ということです。抱一が亡くなったのは68歳でしたから、既に亡き師匠の年も越えた我が身をふと省みて、自らの画業の出発点となった雨華庵を書き残しておこうと思ったのかもしれません。(注:雨華庵は慶応元年(1865)に火災で焼失したため、既にありませんでした)

 さて間取りは以前も触れたとおり、「画所(えどころ)」「茶間(?)」「座敷」「仏間」の四部屋、そして台所や庭に突き出た茶室などが書かれています。抱一亡き後、弔問に訪れた時の姫路藩主がその粗末さに驚いたという話をどこかで読んだ覚えがありますが、小林館長によるとこの画所だけでも二十畳くらいの広さだったそうですから、質素ではあってもけっして小さな家というわけではなかったようです。
 また「稽古日一六」とあり、これは今のような一週間の曜日がなかった当時、絵の稽古は一と六のつく日に行われていたという意味だそうです。右下隅に「上人様 御座所」とあるのが、抱一の座った場所ですね。

 一方庭ですが、こちらはどんな植物が植えられていたのかが、右上に大変詳しく書かれています。

  植木 大樹 赤松、かしは(柏)、ぬるて(白膠木)、にしき、あちさい(紫陽花)
     大樹 梅、ひのき(檜)、さゝさんか(山茶花)
     艸(草) はき(萩)、すゝき(薄)、女郎花、なてしこ(撫子)、かるかや、其外(そのほか)種々
  (画所前庭) 赤松斗(ばか)り
  (池) 魚 ヒ鯉(緋鯉)、金魚

 注目は庭の草が秋草ばかりであることで、たまたま抱二が秋の夜に思い出して書いたからでもないのでしょうが、抱一が好んで描いた秋草図の世界が目の前に浮かんでくるようです。座敷の縁側には「ヒサシアリ」と書かれており、稽古のない日のつれづれには縁側に腰を下ろして、庭の草花やそこに集う鳥、虫などの写生に筆を取ることもあったのでしょうか。
 また面白いのが、抱一の花鳥画にはあまり登場しない魚についても、池に鯉や金魚がいたと書かれている点です。抱一画で魚といえば、光琳を写した「琴高仙人」くらいしか思いつくものがありませんが、でもそういえば亀は割合好んでよく描いているなと思い出しました。雨華庵の池には、果たして亀さんもいたのでしょうか?

 なお抱二はこの見取り図の横に一句、「人あとに習ふて行や雪の道」と添えています。彼が抱一の下で学んだのは少年時代の数年きりでしたが、その彼にとっても雨華庵時代は晩年になっても忘れ難い思い出だったのでしょう。


 ところで小林館長は今回色々な裏話も聞かせてくださいましたが、中でも溜息が出たのは、昔東博にお勤めだった頃のお話でした。その頃はまだ光琳の「風神雷神図」と抱一の「夏秋草図」が切り離されていなくて、しかも当時学芸員だったので直に触ったこともあるそうなんです。(!) さすがに一般人には触るのは到底無理ですが、あの二作が切り離される前の時代をご存知とは…羨ましいです。
 またもうひとつおかしかったのは、今回の抱一展を開催するにあたって、「夏秋草図」が借りられなければやらないと決めていた、というお話でした。「だってあれがなかったら意味がありません!」だそうで、まったく私も同感ですが、しかし3館巡回というところがネックになって、無事許可が下りるまでちょっとばかり大変だったそうです。あまりこういう所には書かない方がいいかもしれないので詳細は省きますが、美術展の企画も色々大変なんですねえ。

 その他、最近話題の「琳派なんてあったのか?」という問題提起についての「血筋や子弟が繋がった流派としてはない、けれども琳派という「流れ」は存在したと思う」というご意見や、またアメリカの個人所有だという珍しい「月に女郎花図」など、興味深い話題が盛りだくさんの一時間半でした。前回の細見館長とはまた違う、研究者の先生らしい真面目なお話ぶりの中にも時々笑いを誘うポイントがあって、次の機会があればこちらもぜひまた講演をお聴きしたいです。


  
酒井抱一と江戸琳派の美学 日本の美術 (No.463)酒井抱一と江戸琳派の美学 日本の美術 (No.463)
(2004/11)
小林 忠

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P.S
 小林館長からの情報によりますと、来年何とNYでも酒井抱一展が開催されるそうです。日本からも唯一「波図屏風」が出るそうで、ということはそれ以外は在外作品ばかりというこれまた貴重なチャンスなので、お金とお時間に余裕のある方はぜひどうぞ。(私は多分無理ですが…^^;)

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