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続・江戸の抱一散歩(前編)

 2011/09/23(Fri)
 本日9月23日お彼岸に、それに合わせてというわけではないのですが、かねてから念願だった酒井抱一ゆかりの地巡りに行ってきました。
 元々この計画は今年5月に予定していたのですが、当日何と季節外れの台風の影響で天候は大荒れ、おかげで当然中止となってしまったのです。(何しろかなり広範囲を歩き回る予定だったので) その後梅雨から真夏へ突入してしまい、気候の厳しさもあってなかなかチャンスがなかったのですが、やっと今回実現に漕ぎ着けることができました。

 なお今回は初の試みということもあり、ルートは大体抱一の生涯に合わせて、以下の通りに設定しました。

 1.神田小川町(抱一生誕の地)
 2.将門首塚(酒井雅楽頭家上屋敷跡)
 3.中央区立日本橋小学校(酒井雅楽頭家中屋敷跡)
 4.築地本願寺(抱一出家の地&抱一墓所)
 5.隅田川東岸(旧本所番場、抱一住居跡)
 6.姥が池(浅草寺側、抱一住居跡)
 7.向島百花園(別名新梅屋敷、抱一の友人佐原鞠塢の庭園)
 8.吉原大門跡(見返り柳)
 9.雨華庵跡(下谷根岸、抱一晩年の住居跡)

 このうち首塚や本願寺、百花園、そして雨華庵跡などは今までにも何度か足を運んだことがありますが、それ以外の場所については実際の詳しい場所や交通手段などについてあまりよく判っていなかったため、正直言って全行程でどのくらい時間がかかるのか判りませんでした。特に浅草界隈は、百花園まで足をのばそうと思うと結構な距離があり、電車やバスを駆使しても大変そうです。さてどうしたものかと悩んだ末、直前になってふと思いつき調べてみたところ、さすが観光地浅草、ばっちりレンタサイクルがあるのですね! よし、それなら多分実質6時間もあれば何とかなるだろうと見当をつけました。

 そんなわけで、スタートは朝11時、上野から出発です。(なぜ上野かというと、出発前に先に恐竜展を見に行ったためです。笑)
 
 JRで秋葉原にて乗り換え、御茶ノ水で下車、聖橋口を出てニコライ堂横の坂道をてくてく下っていくと、その先の大きな交差点が神田小川町です。残念ながら肝心の酒井家別邸の正確な位置は事前調査では判らなかったので、とりあえず去年の「美の巨人たち」でも紹介されていた交差点の写真を撮ってきました。


  神田小川町
  1.神田小川町。おなじみ神保町の古書店街からすぐ近くです。

 この酒井家別邸は、当時酒井家の跡継ぎであった抱一の父・忠仰の住まいであったそうです。なるほど、何故上屋敷でないのかと思ったら、お父さんがまだ当主でなかったからなのですね。(しかし忠仰は結局、姫路藩主となることのないまま若くして亡くなってしまいました)


 さて次は、個人的に大変おなじみの(笑)首塚です。
 小川町から少し歩き、地下鉄淡路町駅から丸ノ内線に乗って、ひとつ先の大手町で降りました。いつもは東京駅からてくてく歩いていくのですが、大手町も路線によっては結構遠いです…(^^;)


  将門首塚
  2.将門首塚。酒井雅楽頭家の上屋敷は、大手門前の超一等地でした。

 ところで大名屋敷には上屋敷・中屋敷・下屋敷の三種類がありますが、これらの違いは実に単純明快で、要するに江戸城からの距離により区別されるのだそうです。上屋敷は藩主と家族の住居、中屋敷は嫡子やご隠居様(笑)の住居、下屋敷は別邸や庭園等、役割分担もはっきりしていたようですね。
 ともあれ、若かりし頃の抱一さん(当時の呼び名は主に「栄八」でしたが)は、兄忠以が家督を継いだ後に上屋敷へ移り住み、文雅豊かな青春を送ったようです。早くに両親が亡くなったとはいえ、この頃が抱一さんにとっては最も何の悩みもない幸福な時代だったことでしょう。

 参考リンク:将門塚(千代田区観光協会提供)


 さて話戻って、この時点でもうお昼近かったため、近くのビルで昼食がてら軽く休憩ののち、再びツアー再開です。今度は東西線と日比谷線を乗り継いで人形町へ向かいましたが、それにしても大手町は乗換えが大変ですね;

  日本橋小学校
  3.日本橋小学校。酒井雅楽頭家中屋敷の北端に位置します。

 大手町の上屋敷も地図で見ると実に大きいですが、ここの中屋敷も相当に広かったようで、日本橋小学校の敷地もごく一部分なんです。それはともかく、小学校の正門側(人形町駅に近い、北東に面した方)は一見するととても学校には見えなくて、最初道を間違えたかと思ってしまいました。(でも裏側は上の写真のとおり、グランドの見える普通の学校でした。笑)
 なお以前ちらっと触れましたが、ここは明治維新で一時期西郷隆盛の屋敷にもなっていたそうで、正門のすぐ脇にも案内板がありました。西郷さんと言えば上野のあのイメージが強いですけれど、こんなところに名残があるのですね。

 ところで抱一がこの中屋敷に引っ越したのは30歳、仲のよかった兄忠以が亡くなる直前のことで、この頃から抱一さんは酒井家で段々と肩身の狭い立場になっていったようです。既に10年以上前、兄に嫡男が誕生して仮養子から外されていた抱一さんは、一体どんな気持ちでここへ移ったのでしょう。
 そんなことに思いを巡らせながら、次は再び日比谷線で、築地の本願寺へ向かいました。


  築地本願寺
  4.築地本願寺。お彼岸なのでお参りの人が多かったです。

 寛政9年(1797)、37歳の抱一はここで出家しました。本人にとっては不本意な、しかしやむを得ない選択であったらしいということですが、この後彼は本格的に「抱一」を名乗り光琳流の新たな画風へと突き進んでいくことになります。そうした人生の一大転換点でもあったこの寺院に、今抱一さんの墓所があるというのも奇しき因縁のようなものを感じさせますね。
(注:抱一墓所は、本願寺正門を入って左手の奥、北側道路沿いにあります)


  築地本願寺・抱一墓所
  三年ぶりのお墓参り。大琳派展以来ですね。(^^)

 参考リンク:
  ・築地本願寺公式サイト
  ・酒井抱一墓(中央区観光協会提供)


 というわけで、私たちが知る「酒井抱一」としての彼の後半生は、ある意味ここからが本当の始まりです。…なのですが、今日は一日駆けずり回ってすっかり疲れ果ててしまったので(苦笑)、続きはまた明日。


  
より大きな地図で 酒井抱一ゆかりの地 を表示


 関連過去ログ:
  ・江戸の抱一散歩
  ・千住と抱一
  ・続・意外な二人の意外な関係(箱崎・酒井家中屋敷跡)
  ・意外な二人の意外な関係(大手町・酒井家上屋敷跡)
  ・ちょうどお彼岸なので(築地本願寺・抱一墓所)
  ・もっと知りたい抱一さん(下谷根岸・雨華庵跡)
  ・新春抱一巡り/十五夜お月さん(向島百花園)

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