続・衣裳から見る源氏物語の世界

 2010/07/09(Fri)
 去年「衣裳から見る源氏物語の世界」の中で、近藤富枝氏の著作「服装で楽しむ源氏物語」を紹介しましたが、最近その近藤さんがまた新たに素敵な本を出してくださいました。

  
きもので読む源氏物語きもので読む源氏物語
(2010/05/15)
近藤 富枝

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 今回はページ数も大幅に増えてグレードアップ、近藤さんが主宰する十二単ショーのこぼれ話なども交えて、親しみやすい文章でさらに丁寧に源氏物語の様々な場面に登場する装束とその意味を読み解いています。ただちょっと惜しいことに、今回はカラー写真や図版などが殆ど掲載されていないため、予備知識のない方には装束の形態などが想像できないのが判りにくいかもしれません。一応巻末に図解はあるのですが、こういう本の場合はなるべく説明の都度図解も添えて、ついでに多少お高くなってもいいのでなるべく綺麗なカラー図版も入れてほしいですね。

 さて今回、テーマの一つとして「光の君の大君姿」というのが取り上げられています。
 絶世の美男として描かれながら、作中ではあまり晴れの姿の装束について詳しく述べられることのない光源氏ですが、その彼がいつになく気合を入れておめかしをした場面の一つに、「花宴」で右大臣家を訪問した時の様子があります。政敵の家へ颯爽と乗り込んでいく、いわば勝負服(笑)の一種でしょうか、光源氏は周囲がかしこまった正装の中でひとり敢えて略式の皇族のみができる「大君姿」という華やかな衣裳を纏い、ゆったりと現れてその美しさで周囲を圧倒したというのですから、想像するだけでもうっとりするような場面なのですよね。
 近藤さんは近頃宇治十帖の紹介をすることが多いそうですが、やはり光源氏が出てこない「源氏物語」は華やかさに欠け所帯じみていけない(笑)ということで、源氏がその生涯でも最高に輝いた日のひとつであるこの場面についても丁寧に解説してくださっています。しかしやはりここで画像がないのは何とも物足りないので、ちょうどただ今風俗博物館にて開催中の展示から、問題の「大君姿の光源氏」を以下にご紹介します。

  光源氏の大君姿
  (直衣布袴(のうしほうこ)姿。直衣:桜かさね(表白、裏紅)
   下襲:葡萄色三重襷文、指貫:葡萄色地白藤折枝文、単:紅地繁菱文)

 原文では「桜の唐(から)の綺(き)の御直衣、葡萄染(えびぞめ)の下襲、裾(しり)いと長く引きて、皆人は袍衣(うへのきぬ)なるに、あざれたる大君姿のなまめきたるにて、いつかれ入りたまへる御さま、げにいと異なり」と述べています。うやうやしく招き入れられる姿の群を抜いた麗しさは、盛りの藤の花も気圧されるばかりというのだから、ここぞとばかり褒めちぎる作者もまた光源氏に夢中なのですね。(笑)
 ともあれ、直衣と指貫はまあ大体予想どおりでしたが、下襲が思ったよりも控えめというか、もっとこう派手やかなものをイメージしていたので、最初この薄地の生地を見た時にはちょっと意外な感じがしました。というのも、例えば有名な「駒競行幸絵巻」(和泉市久保惣記念美術館)での公卿たちの下襲は、皆かなり華やかなのですよ。
 とはいえ紫式部の美意識は一風変わっているというか、ひたすら華麗で派手なものを一番とするわけではなく、光源氏の美貌を褒めたたえるのにも黒の喪服だとか白の普段着だとかの描写にやたらと熱がこもる傾向があるようなので、その中ではかなり華やかな方に入るこの場面も作者としてはこの位のイメージだったのかもしれません。源氏ほどの身分と財産があればいくらでも豪奢にできるしそれも似合ったろうと思うのですが、そういう成金趣味のような派手さはむしろ無粋で、自他共に認める美貌と皇族にしかできない装い、そして思わず気圧される気品と威厳だけで充分だったのでしょうね。

 またもう一つ、源氏物語に登場する婚礼の場面について、肝心の?花嫁の衣裳について作中でまったく触れられていないのを近藤さんは大変残念がっています。言われてみれば確かに覚えがないなと私も初めて気がつきましたが、そもそも今の結婚式とは違って、当時の花嫁は披露宴に姿を見せるどころではなく文字通りの深窓に引きこもっているので、どの道花婿や家族以外には見られないのでした。(とはいえさすがに晴れの儀式ですから、叶う限りの贅を尽くした衣裳であったろうとは思いますが)
 なお平安中期の婚礼で花嫁の衣裳には特に決まりはなかったらしいとのことでしたが、それでふと思い出したのが、最近読んだ論文で見かけた「平安中期頃の女性は、裳着(成人式)で白い装束を着るのが決まりだった」という話です。今でこそ女性が白を纏う極めつけは結婚式の白無垢やウエディングドレスですが、この頃は成人式に白を着るというのが一般的でした。(ただし袴だけはいつも通り紅) 作中では詳しい描写はないものの、紫の上や玉鬘、明石の姫君、女三宮なども裳着では白い衣裳を纏ったのでしょう。実際玉鬘については、秋好中宮から裳着の祝いとして「白き御裳、唐衣、御装束、御髪上の具など」が贈られたとあります。
なお付け加えるともうひとつ、出産の際にも本人や周囲もすべて白の装いに変えるのが習わしで、こちらは袴さえも白一色だったようです。


  明石女御出産
  (明石女御出産の場面より。手前二人は女房、その奥が紫の上)


 ところで前から気になっていたのですが、著者の近藤さんは光源氏のことを略して通称「光」と呼んでいます。こういう呼び方をするのは近藤さんだけではなく、源氏専門の研究者の方々でも論文などで同じように書いているのを見かけるのですが、「光源氏」というのはご存知の通り本名ではありません。そもそもは「光り輝く(ように美しい)源氏の君」という意味の呼び名であって、それを形容詞の部分だけ切り取って名前のように呼ぶのは、私にはどうもしっくりこないのです。
 …とはいえ、よく考えてみると宇治十帖に登場する薫も本来は「薫中将」または「薫大将」の略称で、彼もまた生まれながらに妙なる芳香を漂わせることから「薫る」という形容詞を冠した通称だったのが、いつしか「薫」だけが独立した呼び名として定着してしまったものです。だから「薫」が許されるのなら「光」だって別におかしくないではないか、ということにはなるのですが、やっぱり何だか納得がいかないのですよねえ。

 では最後に、今回のおまけ。

  花橘のかさね
  花橘のかさね。(淡朽葉・より淡い朽葉・白・青・淡青・白)
  4月~5月の季節に着用したもので、淡朽葉(黄色)と青(緑)に白を挟んだ取り合わせが初夏らしく爽やか。
  源氏物語で花橘といえば花散里ですが、花も実も付けた有様のようと言われた明石の君のイメージも?

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