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息子は光琳。

 2010/07/02(Fri)
 少々前の話になりますが、5月23日(日)、最終日ぎりぎりで根津美術館の「国宝燕子花図屏風展」(2010.4.24-5.23)へ行ってきました。
 私自身は今まで何度もこの時期に燕子花図屏風を見ていますが、今回はこのために上京した母が一緒で、もちろん私以上に楽しみにしていたのは言うまでもありません。同じく光琳作の国宝「紅白梅図」は以前見に行ったことがあるのですが、燕子花図の方は個人的になかなか都合のつかない時期にしか公開されていなかったため、長年の念願がようやく叶うとあって期待感もひとしおだったようです。

 …ところが、いざ蓋を開けてみたら、本人も千尋もちょっと予想外の事態が待ち受けておりました。

 何と母、あれ程お目当てだったはずの光琳の燕子花よりも、光琳のお父さんの書の方に惚れ込んでしまったのです。(笑)
 いや、宗謙さんのあの素晴らしい玄人裸足の光悦流の手蹟はもちろん私も大好きですし、ほらこれ光琳のお父さんの書なんだよ、と熱心に紹介したのは確かなのですが、まさか大本命の燕子花図よりも好みだとは思いませんでした。おかげでポストカードがないと判った時は非常に残念そうでしたが、ちょっと予想外のフェイントにこちらも正直呆気に取られましたね。
 と言っても、母娘共に書いてる内容は碌に読めやしないのですが(苦笑)、読めないながらもあの何とも華やかで流麗なめりはりのある書体の美しさは実際惚れ惚れします。母に至っては、すぐ隣にあった本家本元光悦ご本人の書を見ても「絶対宗謙さんの方がいい!」と断言する有様で、まったく笑ってしまいました。

 ところで、千尋が最初に宗謙さんの書を見たのは、忘れもしない2008年の大琳派展の時に東博の常設展で設けられていた琳派小特集コーナーです。光琳自身の本格的な書はあいにく見たことはないし、その弟の乾山の書はといえば絢爛華麗とは程遠い(と言っては失礼?ですが)地味というかむしろ朴訥に近いものですし、まさかその兄弟二人の父親があんなに達者な書をやっていたとは思わず、本当に驚きました。

 というわけで、今回根津で見た分は残念ながらご紹介できませんが、代わりに東博で見た宗謙さんの書の一部を再びここで載せてみます。


「和歌巻」(尾形宗謙、寛文4年(1664))
  宗謙は江戸時代前期の町衆で、呉服商雁金屋を営んだ。光琳、乾山は、彼の子にあたる。
  この和歌巻きは『続拾遺和歌集』の中から11首を抜粋して揮毫したもの。
  本阿弥光悦が得意とした書法(光悦流)を巧みに書きこなし、奥書から44歳の揮毫とわかる。
  (キャプションより)


 ・能因法師
  「五月まつ 難波のうらの 郭公(ほととぎす) あまのたくなは くりかへしなけ」
  宗謙・1


 ・読人知らず
  「いづかたに心を よせて をみなへし 秋かぜふけば まづなびくらむ」
  宗謙・2


 ・典侍親子朝臣(藤原親子)
  「あかざりし袖かと にほふ 梅がか(香)に 思ひなぐさむ 暁の空」
  宗謙・3


 なお、見ての通り実際の書には濁点はついていませんが、濁点なしだとますます意味が判らないので(笑)ここでは便宜上付け足しておきました。子どもの頃に遊んだ下の句かるた(北海道限定百人一首)のおかげでちょっとだけ読むことはできますが、大学時代にもっとしっかり古文献購読の講義を聞いておくべきだったと、こういう時つくづく後悔します…
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