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みささぎ巡り 馬肥ゆる上毛野国編・1

 2009/11/14(Sat)
 2009年11月7日、前橋市の古墳群巡りへ行ってきました。
 群馬県、即ち古代の上毛野(かみつけの)国は関東でも古墳の多いところで、市内の何ということもなさそうな場所に時々ぽっと古墳があって驚かされます。市内北の大渡橋の近くにも、古墳時代末期の立派な方墳がいくつかあるのですが、今回は古墳時代前期の前方後円墳が多い市内南部・通称広瀬古墳群を訪れました。
 この辺りは現在残る大型古墳のほかにも、かつて100以上もの古墳が点在していた地域だそうです。もっともその殆どは既に潰されて住宅地になってしまっていますが、元古墳の上に住んでいるってどんな気分なんでしょうね?(笑)

 まずスタートは、天川二子山古墳と呼ばれる前方後円墳です。

  天川二子山古墳・1
  (天川二子山古墳遠景)

 6世紀頃に作られた全長104mのなかなか大きな古墳で、埋葬部分は未調査のため確認されていませんが、ということはもしかすると未盗掘古墳の可能性もあるのでしょうか。古墳時代後期のものですから、多分横穴式石室タイプだろうとのことで、今では高い木々が古墳の上に鬱蒼と茂っていました。

 ところで、天川二子山古墳は古墳群の北西端の方に位置しており、JR前橋駅からも近いとあってか、近隣の古墳群についての案内板も設置されていました。ちょうどいいとデジカメに撮らせてもらい、おかげで後の古墳巡りも大変助かりましたが、かなり大雑把な地図だったので場所によってはちょっと迷いましたね。

  前橋古墳地図
  (古墳群案内図)

  天川二子山古墳・2
  (二子山古墳周辺)


 続いて二番目の古墳は、天川二子山から少し南西へ行った八幡山古墳です。

  八幡山古墳・2
  (古墳地図。左から八幡山古墳、天神山古墳、飯玉神社)

  八幡山古墳・1
  (八幡山古墳遠景)

 ここはこの近辺の古墳群中唯一の前方後方墳で、全長130mとこれまた大きく立派な古墳です。4世紀後半頃作られたそうで、そういえば関東は前方後方墳が多いそうですが、実物を見たのはこれが初めてでした。周囲には堀がめぐらされていたことも判っており、これまた埋葬部は未調査ですが、古墳時代前期のものなので頂上の竪穴式石室であろうとのことです。ここも大きな松が古墳の上にたくさん茂っていて、特に後方部は斜面の傾斜もきつく階段もないので登るのがちょっと大変でした。


 さて三番目、天神山古墳は八幡山古墳からすぐ近くです。

  天神山古墳
  (天神山古墳中央部)

 元は立派な全長129mの前方後円墳なのですが、残念なことに墳丘の大半が取り壊されてしまって、後円部中央のほんの一部がかろうじて残るのみです。しかし大したことのない古墳なのかといえばとんでもない話で、ここは発掘調査で副葬品の鏡や鉄剣などが見つかったことで有名な古墳であり、現在出土品は東京国立博物館に展示されているくらいです。この1週間後に東京へ行った際、平成館の常設展示室で出土品を見てきましたが、こんなに立派な古墳だったのに全体を保存しておけなかったというのは非常にもったいなく残念でした。

  天神山古墳出土品
  (天神山古墳出土品・鏡と紡錘車)

 なおこの鏡ですけれど、二段目の右と中央の鏡は2~3世紀に中国で作られたものだそうで、そんなものが4世紀の群馬にどうやって伝来したのか、ちょっと驚きです。日本はまだ大和政権がやっと本格的に力をつけてきた黎明期、群馬のような辺境(と言っては失礼ですが)にどこをどう通って運ばれてきたのでしょうね?


 ともあれ、お次はさらに南西へ進んだ先、飯玉神社です。
 この神社はちょうど古墳群のほぼ中央に位置しており、何とお社が古墳の上に鎮座しているそうです。まあ考えてみれば、古墳の上にその後神社が祀られた例はよく聞きますが、それにしてもここの社殿はかなり大きく立派なのでちょっと驚きました。神社そのものも平安時代に遡る古い由緒あるお社らしく、祭神は保食命で、周囲がすっかり団地になった現在も地元の人たちに篤く信仰されている様子が伺えます。

  飯玉神社
  (飯玉神社境内)


 ここから先はちょっと表通りから外れ、古墳も段々小規模になってきました。
 次の亀塚山古墳は5世紀頃の前方後円墳(帆立貝式)で、全長60mとやや小さいながら、高さは6.5mあり、頂上に登れば結構それなりにいい眺めでした。裏通りの住宅街の中にぽつんと小さな公園のようにある古墳で、おかげで探し当てるのにちょっと迷いましたが、頂上までしっかりした階段がつけられているので上へは登りやすかったです。

  亀塚山古墳
  (亀山塚古墳)


 さて最後は、その名も華やかな金冠塚古墳です。
 この古墳はそれまで読んだ本でも時々名前を目にしており、名前のとおり立派な冠が出土したというので、実は大変楽しみにしていました。ところが辿り着いてみてびっくり、「…え、こんなにぺったんこなこれが古墳なの?」(笑)

  金冠塚古墳
  (金冠塚古墳。本当にぺったんこ(笑))

 というのも、今まで見てきた古墳は飯玉神社を除けば皆それなりの高さがあり、いかにも古墳ですといった感じだったので、まさかこんな3mもあるかどうかのこんな古墳が問題の金冠塚古墳だとは想像もしていなかったのです。確かに正面にはちゃんと例の金冠の写真つきの案内板があるのですが、正直しばし呆然としてしまいました。
 とはいえ、登って上から見るとまさしくその形は鍵穴型の、紛れもない前方後円墳です。それにしてもしつこいですがこんなぺったんこな古墳からあんな冠が出たなんて…と、やっぱり何だか釈然としない気分でした。
 で、その金冠も同じく東京国立博物館に展示されているというので、八幡山古墳の鏡共々見てきました。

  金冠塚古墳出土品
  (新羅風の金銅冠。なかなか大きくて立派です)

  金冠塚古墳出土品・2
  (同じく金銅製帯。下の魚佩は千葉の古墳出土)

 さすがに実物はすっかり錆びて往時の金色の輝きは失っているものの、明らかに新羅の影響色濃い立派な冠で、韓国の国宝で有名な翡翠の勾玉をたくさんつけた金の王冠にもよく似ていました。こんな王様の被るような凄い冠がどうしてまた群馬に、とやっぱり不思議でしたが、純金でこそないにしてもさぞかし有力な豪族の墓だったことは間違いないでしょうね。

 以上、この後二つほどまた小さな古墳も見て回って、現在残る主な古墳は一通り巡り終えました。なお後日、水戸で開催されていた特別展でも色々な古墳の出土品をたくさん見る機会があったのですが、それはまた項を改めて。

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