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みささぎ巡り 青垣たたなづく山の辺の道編 2

 2009/11/04(Wed)
 10/31(土)お昼過ぎ、無事天理駅前に到着。ここで再びレンタサイクルを借りて、山の辺の道へ向かいました。
 今回は基本的に古墳巡りがメインの旅ですが、その前に何を置いても逃せないのが、知る人ぞ知る石上神宮です。この小さな神社は元々現在残る山の辺の道のスタート(またはゴール)地点でもあり、以前一度訪れた時からいつかまた絶対行きたいと思っていた思い出深い場所の一つです。天理市内を東南方向にゆるい坂を登っていく道のりは、自転車ではちょっとばかり大変でしたが、天理教総本部を抜けた先の見晴らしのいい小高い場所に、昔と変わらない緑豊かなお社がひっそりとしたたたずまいを見せていました。

  石上神宮1
  (道路沿いの参道入り口。正面は天理市内が一望に見渡せます)

  石上神宮2
  (参道をしばらく昇った先の鳥居。樹の肌合いがいい感じ)

  石上神宮3
  (神宮拝殿。入母屋造の檜皮葺き。鎌倉時代の建築だそうです)

 この石上神宮は、三輪山麓の大神神社と同様、元々は拝殿だけで本殿がありません。大神神社の場合は背後の三輪山自体が御神体ですが、石上神宮は拝殿の裏手の禁足地を聖地として祀り、そこに御神体である「布都御魂剣」と呼ばれる太刀が埋められたと伝えられてきました。その後明治に禁足地の発掘で剣やその他の宝物が出土、現在は新たに本殿を建ててこれをお祀りしています。

 ところで石上神宮ゆかりの宝物と言えば、真っ先に来るのは何といっても国宝「七支刀」でしょう。
 例によってミーハーな千尋もこのちょっと独特な刀のファンでして、とはいえ国宝故滅多なことではお目にかかれない品なのですが、2004年に奈良国立博物館で開催された「大和の神々と美術 七支刀と石上神宮の神宝」で久々に公開されたことがあるのです。他にも勾玉や管玉等、一緒に出土した宝物の数々が一挙登場するとあって、喜び勇んで駆けつけたことはいうまでもありません。まあ実際の刀は御承知の通りさびさびのぼろぼろなのですが、それでもやはり本物の実物を間近で見る機会に恵まれたのは大変幸運で大感激でした。

  七支刀1 七支刀2
  (当時の奈良国立博物館だより)

 話戻って、神宮で改めて旅の安全を祈願した後、一路山の辺の道を南へ向かいました。
 この日は非常に快晴に恵まれ、のどかな大和路を自転車でのびのび走るのはとても気持ちよかったです。とはいえいささか気温も高く、また進行方向も南下だったために日焼けが心配でしたが、神宮からしばらく行ったところにこんもりとした緑の塊がふたつ見えてきて、それが東乗鞍・西乗鞍古墳だろうと判りました。

  東西乗鞍古墳遠景
  (左が東乗鞍古墳、右が西乗鞍古墳)

  西乗鞍古墳案内板
  (西乗鞍古墳の案内板)

 あまり時間がなかったため、近くで見て上にも昇ったのは西乗鞍古墳のみでしたが、全長約118m、高さ約16mのなかなか堂々とした立派な古墳で、上からの眺めも実によかったです。作られた当時は周囲に二重の濠もあったらしく、時代は推定6世紀前半頃と後期ですが、かなり力のある人物が葬られたものなのでしょう。

  西乗鞍古墳後円部頂上
  (古墳頂上の後円部分。前方部分には石碑もありました)

 乗鞍古墳を後にして、またしばらく行くと今度は道路沿いの左手に、夜都伎神社の赤い鳥居が見えてきました。

  夜都伎神社鳥居
  (車道をまたいで立つ鳥居。結構目立ちます)

  夜都伎神社拝殿
  (神社拝殿。古民家のような雰囲気が味わい深い)

 神社は車道から東へ少し入ったところにあり、そのすぐ脇が石上神宮まで続く山の辺の道だということが、神社の前に着いてみて判りました。そしてこの辺りから、南からやってくるハイキングの人たちとよくすれ違うようになり、どうやら皆さん朝に桜井や三輪から出発して半日かけて歩いてきたようです。なるほど、その方が陽射しも眩しくないし正解だろうなと、暑い中それだけがちょっと後悔でした。(ちなみに桜井からも乗り捨てレンタサイクルはあったのですが、それだと奈良まで行かなきゃならないのでさすがに無理でした…)

 ともあれ、ここからは車道を逸れて本物の山の辺の道を行くので、道幅も狭いし時々地面はぼこぼこだし、さらには起伏もときたま激しいしで、自転車とはいえある意味徒歩以上に大変です。ただ幸い、所々にハイキング客のためのお休み処もあったので、そのうちの一軒で三輪そうめんをいただいて休憩、再び汗だくで一生懸命道標と地図を頼りに入りくんだ畑と民家の間の道を進んでいくと、ようやく柿畑の向こうに「西殿塚古墳(一名衾田陵、手白香皇女の陵墓)」が見えてきました。

  衾田陵1
  (周りは一面柿畑で、鮮やかな赤が青空に映えて綺麗でした)

  衾田陵2
  (西殿塚古墳案内板)

  衾田陵3
  (宮内庁比定陵墓につき、遙拝所もきちんと手入れされています)

 それにしても、手白香皇女(たしらかのひめみこ)といえば古代史ファンなら見逃せない重要人物、継体天皇の皇后で欽明天皇の生母です。(つまり現皇室の直系祖先) 継体天皇本人の陵墓は大分前から大阪の今城塚古墳だと言われており、千尋もこの夏群馬県立歴史博物館で開催された特別展「国宝 武人ハニワ、群馬へ帰る!」にて出土品を見てきましたが、大阪からは遠く離れたこんな場所に何でそのお后のお墓があるのかしらん?と首を傾げました。
 とはいえ、実のところ現在宮内庁指定の古い天皇陵は大半が正しくないそうで、この西殿塚古墳も手白香皇女の時代よりも古い3世紀後半頃のものらしいです。現在宮内庁が管理する殆どの天皇陵は「調査・立ち入り一切禁止」となっていますが、死者を冒涜するのでなくその素性をきちんと確かめるという意味で、出来る限り早くこうした門戸が研究者にも開かれてほしいですね。(もっともそうなったら、私も野次馬根性で駆け付けてしまいそうではありますが…苦笑)

 ともあれ、この西殿塚古墳も山の辺の道から少し昇った山の麓の小高い場所にあり、眼下に広がる奈良盆地が綺麗に見渡せました。周りは緑多く、鳥のさえずりも聞こえる実にのどかな里山で、陵に葬られた人が誰であったにせよ、あんな素敵な場所で眠りにつけるだけでもちょっと羨ましい気がします。

  衾田陵4
  (古墳前方部遠景。まさに「青垣山籠れる大和」でした)


 さて、先はまだまだ続きますが、ここで一区切りとして続きはまた次回。

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