スポンサーサイト

 --/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

意外な二人の意外な関係

 2009/10/05(Mon)
 先週3日(土)、板橋区立美術館の「英一蝶展」、宮内庁三の丸尚蔵館の「両陛下 思い出と絆の品々II」、そして東京大丸ミュージアムの「古代カルタゴとローマ展」を回ってきました。どれも比較的小規模ながら非常に面白く見応えのある内容でしたが、今日はその途中で遭遇したびっくりのお話など。

 三の丸尚蔵館はその名の通り皇居内にありますが、展示を見終わった後大手門を出てさてこの後どうやって東京駅まで行こうかと思っていた時、道路案内のひとつがふと目につきました。

 「将門公首塚 この先800m」

 おお、そういえばこの近くだったっけ!とそこで思い出し、大分長らくご無沙汰していることだし久しぶりにご挨拶に行こうか、というわけで、ちょっと寄り道することにしたのです。首塚と言えばあのGHQも逃げ出した?という、その道ではすこぶる有名なオカルトスポットですが、千尋は一時つくばに住んでいたこともあって、将門公には結構親しみを感じていたりするのでした。
 で、久しぶりに訪れた首塚は相変わらず、ビルの谷間とも思えない鬱蒼とした木々に囲まれやっぱりちょっと怪しい雰囲気でした。ともあれまずは墓前?にお参りして丁重にご挨拶、いつ来ても綺麗にお手入れされているのに感心しつつ、帰り道でふと案内板に目をやったその時、思いがけないものが目に飛び込んできたのです。


  酒井家上屋敷跡


 え、酒井雅楽頭って、まさか酒井抱一の実家のあの酒井家!?とびっくり仰天、境内では恐れ多いから写真は撮らないつもりだったのに、これだけはつい撮影してしまいました。(笑) そして帰宅後調べてみたところ、まさしく抱一さんのあの酒井家のことだったのです。何でも酒井家がこの地に屋敷を構えたのは上野厩橋(今の群馬県前橋)藩主だった大老酒井忠清の時で、その後当主が傍系に移り、さらに播磨姫路藩主となった後も、酒井家は屋敷内の中庭(!)にあった将門公の首塚を代々丁重に供養していたらしいのですね。
 ちなみに「もっと知りたい酒井抱一」によれば、抱一さんの時代の酒井家上屋敷は現在のりそなマルハビル(大手門正面、首塚のすぐ近所)の位置となっていますが、何せ大老のお屋敷ですから、首塚も含むあの辺り一帯にさぞかし広大な敷地を占めていただろうことは容易に想像できます。(またネットで調べたところ、首塚を含む三井物産・三井生命とUFJ銀行のあたりという情報もありました) ということは抱一さんもご幼少のみぎりには、お家の中(!)に祀られた将門公の首塚を毎日のように目にしていたのかもしれませんねえ…

 それにしても、一度江戸の抱一さんゆかりの地巡りもやってみたいなと思っていましたし、大手門近くに酒井家の屋敷があるというのも以前ちらっと地図で見てはいたのですが、将門公と酒井抱一という意外な取り合わせにはさすがに驚きました。というわけで、いずれまた近いうちにお伺いすることになりそうですが、お二方ともどうぞよろしくお願いいたします。


  首塚遠景

  お墓を間近から撮影するのは恐れ多いので、道路の向かいから。
  しかしこうしてみると、あんな超一等地にこんな一角があるというのはやっぱりちょっと不思議です…

スポンサーサイト
タグ :
コメント












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://ctobisima.blog101.fc2.com/tb.php/243-a6768866
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。