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浮舟と仕立て物

 2009/07/01(Wed)
 以前宿題としました、平安時代の僧侶への禄(被物)の方はその後もなかなか調査が進んでいませんが、その関係でまたちょっと気になったことがあったので、つらつらと書いてみます。

 宇治十帖最後の(つまり源氏物語最後の)ヒロインとして名高い浮舟は、作中でも徹頭徹尾「田舎育ちで教養のない卑しい娘」とされ、そのために薫と匂宮に寵愛される一方でどちらからも人並みの扱いを受けていません。父(八の宮)に認知されなかったのも田舎育ちなのも本人のせいではないのに、身分意識の厳しい時代のこととはいえ読んでいていて本当に気の毒なくらいで、おかげで宇治十帖は(世間では名作とされますけれど)私個人としては色々腹の立つことも多い話なのですが、それはまあ置いておきましょう。
 で、姿こそ異母姉の大君そっくりで髪も美しいけれど、身分低く教養がない上に性格もおっとりしすぎて流されやすいところもよくないとか、ともかく散々な浮舟ですが、珍しく容姿以外でほめられているところがあるのに、最近ふと気がつきました。例の浮舟一周忌の法事のために仕立てられる女装束のエピソードのところで、小野の尼(瀕死の浮舟を助け、娘の生まれ変わりと思ってその後も可愛がっている女性)が浮舟に「これ御覧じ入れよ。ものをいとうつくしうひねらせたまへば(あなたも手伝ってくださいな。着物の仕立てが御上手でいらっしゃるから)」と話しかけているのです。当の浮舟は自分の法事のための衣装というだけで動揺しているので、手も触れずに引っこんでしまうのですが、改めて読み返すうちにこれはちょっと気になるところだなと思いました。

 そもそも浮舟が教養がない、具体的には琴などの音楽の嗜みがないというのは、母親の中将の君が彼女に何とか良縁をと願ってきたにしては、どうも片手落ちな気がします。中将の君は元は上臈女房(八の宮の北の方の姪)という決して低くはない身の上ですし、「東屋」帖の冒頭でも、夫常陸介が自分の子にわざわざ師匠をつけてやっているのを、質のよくない師匠だというので馬鹿にしていたとありますから、中将の君自身もそれなりに音楽の嗜みはあったはずです(何しろ当時の上流階級の必須教養科目ですから)。
 じゃあそれなのに、どうして娘の浮舟には自分で教えるなり師匠をつけるなりしてやらなかったのかと思ったのですが、手近な注釈書等をざっと探してみても、その理由にまで言及した説明はどこにもありません。しかしかつて明石の御方という(鄙には稀な琵琶の天才の)前例があるだけに、田舎育ちというだけで片付けられるのはどうも納得がいかないと首をひねっていたところ、先述の仕立て物のくだりにふと目が止まってあれっと思いました。

 いわゆるお姫様の教養としてはあまり出てきませんが、当時は今のような既製服の存在しない時代ですから、女性にとって装束の仕立てはこれまた必須の家事のひとつであり、特に上流婦人は(以前も触れましたが)夫の装束を調えることが重要な仕事でした。そんなものは侍女に任せればいいだろうと思われそうですが、光源氏の妻たち、特に紫の上と花散里が共に裁縫や染め物にも優れた名手としてたびたび賞賛されており、また明石の御方も直接の描写はありませんが、源氏の夫人として不足のないだけのものは常に調えていたらしいことが伺えます。こうした事情は中流階級にしても同じことで、例の「雨夜の品定め」でも気取った教養なぞをひけらかす軽々しい女より、しっかり家事を任せられる相手の方が結局は妻として連れ添うのに理想的だという話が出てくるのですよね。(…女性としては何やら耳に痛い話ではありますが。苦笑)
 ともあれ教養のなさをあれほど繰り返し辱められ本人も苦にしていた浮舟が、そうした裁縫の類には優れた技術を持っていたのだとしたら、それが母中将の君が彼女に授けたいわば花嫁修業の一環だったのではないでしょうか。元々身分違い故に八の宮に捨てられたことに懲りていた中将の君は、そのため始めは薫からの申し入れにも消極的で左近少将との縁談をまとめようとしていたのですし、中流貴族の北の方を目指す(というのも変ですが)のなら、大して役に立たない教養よりも実を取って手に職をつける(?)方を選んだ可能性も考えられるのではないかな、と思うのです。もっとも作中では浮舟自身が衣装の仕立てをする場面はなく、また衣装の趣味も薫の目にはやや田舎びて(つまりは野暮ったいと)映ったようなので、彼女自らが仕立てたとしてもやはり花散里のようには行かなかったのかもしれませんけれどね。

 そうして改めて正編を振り返ってみると、浮舟に似た境遇にあった玉鬘は同じように田舎びて嗜みにも欠けるところもあったと思われるのに、わずか一年ほどで尚侍として不足のないほど趣味も洗練されて優れた女性に成長したのですから、六条院に迎えられて源氏から受けたこまやかな薫陶がどれほどのものだったかが何となく察せられる気がします。もちろん、養女として玉鬘を引き取った壮年の源氏と、恋人の身代わりに浮舟を迎えとった若い薫では到底一緒にはできませんが、それにしてもこの作者はよくもここまで可哀想に浮舟を書いたものだと、何だかちょっと怖くなりました。それなのに「更級日記」で知られる菅原孝標女などは(恐らく「素敵な男君二人に愛される」というだけで)彼女の物語にうっとりしたというし、その後の物語は薫型の男主人公がもっぱら流行したというのだから、平安時代の姫君たちの趣味は判りません…


参考書籍:
源氏物語と音楽 (IZUMI BOOKS)源氏物語と音楽 (IZUMI BOOKS)
(2007/05)
中川 正美

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 源氏物語に登場する様々な音楽と、そこから見えてくる人間模様や作者の音楽観を鋭く考察した名著。葵の上や紫の上が光源氏と「(音楽を)掻き合わせない女性」というのもどきりとする指摘ですが、浮舟は特に「掻き合わせることを一方的に断ち切られた女性」として語られています。

おまけ:

  仕立て物

 2003年後半風俗博物館展示より、女房たちの日常。
 何かお祝い事に備えて、晴れ着の縫物に勤しんでいるところでしょうか?
(左の女房の装束~袿:赤地萌黄藤丸文、五つ衣:紅の薄様?)

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