旅立ちの衣装

 2009/05/27(Wed)
 今日面白そうな論文を見つけて読んでいたら、ちょっと気になる文に遭遇しました。
 平安時代の「左経記」という公家日記(作者:源経頼)があるのですが、その中に後一条天皇の崩御の際の話として、「天皇の亡骸を棺に入れるための薄物薄色(多分薄紫)の御直衣と白生絹(すずし)の単重ね、袴、冠等を調えた」というくだりがあるのだそうです。へえ、天皇が亡くなった時ってそんなものを着せるのかと思ったのですが、ここであれ?と思いました。

 そもそもあの時代、いわゆる「死装束」ってどういうものだったんでしょう?

 実を言うと今まで考えてもみなかったことで、源氏物語でも葬式、特に火葬の場面は何度かありますが(桐壺更衣、葵の上、藤壺、紫の上等)、喪服の描写は好んだ(笑)紫式部もさすがに死装束の描写なんて縁起が悪いと思ったのか、作中には全然出てこないのです。かろうじて浮舟のところで「御座ども、気近う使ひたまひし御調度ども、皆ながら脱ぎ置きたまへる御衾などやうのものを取り入れて」という文があり、また栄花物語にも調度を一緒に入れたという描写があるらしいので、形見の品を一緒に葬る風習があったものと思われますが、肝心のご本人の衣装についてはやっぱり何も書いてませんでした…残念。
 なお浮舟については後日、薫が一周忌の法要のために華やかな女装束を調えさせたという記述があります。多分それを供養して死者の成仏を祈ったのでしょうが、それを見て実は生きていた浮舟本人が複雑な気持ちを抱いているというのは悲しくもどこか滑稽な場面ですね。

 それにしても、繰り返しますが源氏物語は遺族の喪服姿については随分書いているだけに、肝心の亡くなった本人が何を着せられたのか判らないというのはどうにも気になります。現代の死装束といえば通常は真っ白な経帷子ですけれど、平安時代の白装束はむしろ神事かお産の時のものですし(まあ一歩間違えば死に繋がりかねない重大事ではありましたが)、かと言って死んだ本人が喪服というわけもないでしょうし、考えれば考えるほどますます見当つきませんね(それとも高貴な人たちは、お葬式でも高価で華やかな衣装を纏って火葬されたんでしょうか?)。
 とまあ、そんなことを考えつつさらに調べていたら、「日本喪服史」という本で死装束についても書いているらしいことがわかりました。しかも嬉しいことに近くの図書館で所蔵しているので、調査結果はまた後日書きたいと思います。(…しかし本当に縁起でもない。^^;)

おまけ:

  藤の衣

 たまには男性も、というわけで?今回は風俗博物館にて現在(2009年前半)展示中の「藤袴」より、祖母大宮の喪に服する夕霧と玉鬘。
 亡き人にとりわけ可愛がられた夕霧は濃い喪服で深い哀悼の意を示し、いつもは垂らしている冠の纓を巻き上げた姿がちょっと珍しいです。一方の玉鬘はもう少し薄い鈍色(にびいろ)ですが、この御簾の透け具合が何ともいえず素敵でした。

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