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サロメ変奏曲

 2009/02/28(Sat)
 先日、ちょっと面白い本に出会いました。

聖女・悪女伝説 神話編/聖書編 ムーサの贈り物 III聖女・悪女伝説 神話編/聖書編 ムーサの贈り物 III
(2008/07/03)
喜多尾 道冬

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 最初に見た時はよくある西洋美術ガイドのようなものかと思ったのですが、ちょっと手に取って読んでみると、これが簡単な紹介だけではない非常に濃厚な内容なのです。この本の場合筆頭として登場するのはギリシア神話の悪女(と言われる)メデイアですが、絵画はもちろん文学・音楽まで幅広い芸術ジャンルの中でメデイアがどのように取り上げられてきたかを丁寧に解説していて、特に音楽は元々月刊誌「レコード芸術」に連載していたというだけあって、こんな作品があったのかという驚きの連続でした。

 さてこの「ムーサの贈り物」シリーズ、目下4冊が刊行されているようですが、今回千尋が特にこの「神話編/聖書編」を取り上げたのは、西洋美術でもとりわけ異彩を放つかの有名な「サロメ」が登場するからです。私が最初に接したのは、もちろんのことかの有名なオスカー・ワイルドの戯曲と、その挿絵として描かれたビアズリーの作品でした。


  ビアズリー「孔雀の裳裾」
  ビアズリー「孔雀の裳裾」


 とはいえ、始めは凄い話だなあくらいにしか思っていなかったサロメについて、その後さらに一段踏み込んだ興味を持つようになったきっかけが「サロメ―永遠の妖女 (山川鴻三 著、新潮選書)」でした。
 特に日本ではサロメと言えば、ワイルドの描いたあの強烈なサロメのイメージが真っ先に浮かぶでしょうし、事実山川氏もワイルドのサロメを一つの頂点として丸1章を費やしています。しかしそもそも聖書に登場するサロメとはどんな人物だったのか、そしてその後の西洋美術史の中で彼女がどのように描かれてきたのか、それを日本人の初心者にも判りやすい形で紹介してくれた本で、思えば私がサロメどころか西洋美術に本格的に関心を抱くようになったこと自体、この本との出会いが源流にあったのかもしれません。歴史の中でそのイメージが時代時代で様々に移り変わってきたのは、何もサロメ一人に限らず多くの神話・伝説の登場人物にもいえることですが、その中でもやはりサロメの変遷は一際劇的かつ多彩であり、その後特に惹かれた画家のひとりであるモローを知ったのもまた、このサロメとの出会いが始まりでした。

 ただ、山川氏の著書は西洋美術を取り上げたものでありながら、肝心要の数々のサロメ作品は殆どが小さな白黒写真でしか掲載されておらず、それだけが残念でなりませんでした。その後画集でカラー写真を見たり、時には幸運にも実物を日本の美術展で見る機会に恵まれた作品もあったものの、昔は今ほどインターネットの情報も充実してはおらず、到底全部の作品は追いかけきれませんでした。


  ティツィアーノ「サロメ」
  ティツィアーノ「サロメ」(女性美の500年展、東京富士美術館、2001年)


  モロー「出現」
  モロー「出現」(ウィンスロップ・コレクション展、国立西洋美術館、2002年)


 ところが、そこへある時、思いがけず夢のような本が登場してくれたのです。

カラー版 エロスの美術と物語―魔性の女と宿命の女カラー版 エロスの美術と物語―魔性の女と宿命の女
(2001/02)
利倉 隆

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 一見したタイトルだけでははて、どんな本だろうと思われるかもしれませんが、この本は実にその大半をサロメをテーマにした絵画の紹介に費やしていて(だから表紙の絵もシュトゥックの「サロメ」です)、しかも山川氏の著作に登場した作品の殆どがカラー写真で載せられているのです。おかげで初めて見つけた時にはまさに狂喜乱舞し、よくぞやってくれたありがとう!!(笑)という嬉しさで一杯でした。

 ところで、私がサロメにこだわったのは何も「宿命の女」の代表格ともいえるドラマチックなイメージだけではなく、まったく別の理由がもうひとつありました。当事者のもう一人でありながら、通常サロメの強烈さに圧されて影の薄い(笑)洗礼者ヨハネに関しても、元々かなり興味があったのです。


  レオナルド「洗礼者ヨハネ」
  レオナルド・ダ・ヴィンチ「洗礼者ヨハネ」(ルーヴル美術館)


 レオナルド最晩年の作品、彼の数少ない完成作のひとつでしかも珍しく彼のサインが残っており、そして「モナリザ」共々死ぬまで手元に留めて手放さなかったと言われる絵でありながら、一般ではどうも知名度の低い作品ですが、初めて画集で見た時から奇妙に惹きつけられてやまない絵でした。最初は何の絵かもよく判っていなかったのですが、その後洗礼者ヨハネという人物を理解し、さらにサロメ伝説と彼の関わりを知るにつけて、ますます興味が湧いたのです。
 というのも、西洋における一般的な洗礼者ヨハネのイメージは大体が髭もじゃでぼろを纏った荒野の苦行者らしく、まあ中にはラファエロのようにキリスト共々愛らしい幼子で描いた例や、他にも若者の姿で表わされたものもありますが、これほど瑞々しい若さに加え、どこか妖しい艶めかしささえ漂わせたヨハネはちょっと珍しいのです(おかげでレオナルド作と言われるもう一枚は、ギリシア神話のバッカスとされていますが)。レオナルドがどのような意図でこんなヨハネを描いたのかも興味がありますが、もうひとつ引っかかるのは、例のワイルドの戯曲に登場するヨハネ(ヨカナーン)も並々ならぬ美青年ということになっていて、もしかしたらこの絵が何かしらの影響を与えたのではないかということでした。何しろワイルドのサロメは「雪のように白い肌、黒檀のような髪、珊瑚のような赤い唇」と恐ろしく耽美的な(殆ど男女逆の口説き文句のような。笑)言葉でヨカナーンの美貌を褒め称えて口づけを迫るのですが、そんな女好きのする魅力的な美青年として描かれたヨハネなんて、ちょっと他に覚えがなかったのですよね。

 で、その後色々調べてみたところ、「サロメと世紀末都市:ワイルドに於ける悪の系譜」(堀江珠喜、大阪教育図書、1984)という研究書の中で、同じような説があるのを見つけました。ただし上記「エロスの美術と物語」等でも、ワイルドのヨカナーンとの関連は残念ながらとりたてて触れられてはいないのですが、そのうちこの点についてもっと追及してくれる人が出てこないかと密かに期待しています。(他力本願ですが、さすがに一素人にはいささか手に余るので…苦笑)
 ただ、「エロスの美術と物語」ではこのレオナルドのヨハネを両性具有的だと述べた上で、ちょっと面白い指摘をしていました。

「私たちはサロメやユディトの図像で斬られた首が画家の自画像として描かれている例をいくつか知っている。ではその生首を持つ女性は何を意味しているのか。生首が画家の男性としての自我の表現だとすれば、その首を持つ女性、すなわちファム・ファタル(宿命の女)」は画家のもうひとつの自我であり、そのファム・ファタルには彼の内なる女性(ユング心理学でいうアニマ)が投影されているケースもありうるはずだ」

 そもそもこの文章は「永遠の女性像」と題したコラムのくだりで、レオナルドのヨハネの前に他でもないモナリザを最初に紹介した上で、締めくくりの近くに述べられたものです。確かにレオナルドのヨハネをモナリザ同様彼の精神的自画像であろうとする説もどこかで見たことがありますし、カトリック最大の聖者というにはあまりに女性的で官能的でさえある描写を改めて見ると、この両性具有のヨハネはむしろサロメにも通じるものをその底に秘めているのではないか、とふと思いました。
 で、そこでまた思い出したのが、もう随分昔にTVで見た舞台劇の「サロメ」です。ワイルドの戯曲をスティーブン・バーコフが現代的なアレンジで演出したもので、自らもヘロデ王役で出演した作品でした。バーコフのヘロデも何ともいやらしく脂下がってサロメをかき口説く様が見事でしたが(笑)、それ以上にサロメを演じたミリアム・シールが凄かった。いやもう、まさにワイルドの作品から抜け出てきたのではないかと思うようなイメージぴったりのサロメで、見ていて惚れ惚れさせられたものです(残念ながら海外版DVDしか出ていませんが)。しかし今にして思えば、あのサロメは確か黒髪にくっきりと大きな瞳のエキゾチックで何とも妖しい魅力をたたえていて、おぼろげにしか覚えていないのですがやはりどこかレオナルドのヨハネに似ていたような気がするのですよね。

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(2004/06/29)
Steven Berkoff

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