男が女を盗む話 ――囚われの女、逃げ去る女

 2008/11/10(Mon)
 さて、少々間を置きましたが、今日は再び源氏関連図書について触れてみます。

男が女を盗む話―紫の上は「幸せ」だったのか (中公新書 1965)男が女を盗む話―紫の上は「幸せ」だったのか
(中公新書 1965)

(2008/09)
立石 和弘

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 上の画像は帯がついていませんが、この本の帯にはずばり「愛の逃避行か、男だけの一人よがりか」という実に怖いキャッチコピーがありました。(笑) しかも思わず興味をそそられ、手にとってぱらりと表紙をめくると、カラー口絵に掲載されていたのは何と、伝俵谷宗達「伊勢物語図色紙」の芥川…そう、まさしく今回大琳派展で見たあの絵だったのですよ。うわー、これはなかなか面白そうだという予感通り、判りやすくしかも読み応えのある本でした。

 さて、まず最初に取り上げられているのは上でも触れた「伊勢物語」の芥川の段で、宗達の絵に描かれた男女は互いに見つめ合い、いかにも相思相愛の恋人同士の駆け落ちといった雰囲気です。しかし著者によれば、「原文には二人の間に心の通い合いは感じられない」とのことで、つまりは彼らが両想いだという事実自体がもしかしたら読者の思い込みにすぎないかもしれないという、ちょっとどきりとするような指摘でした。
 さらに話はいわゆる三瀬川伝承、即ち当時信じられていた「女は死後、三瀬川(三途の川)を渡る時に最初に情を交わした男に背負われて渡る」という話に及びますが、これもまた著者は当時の男性による女性支配と抑圧が背景に見えるとしています。そういえば「逢瀬で読む源氏物語」でもやはりこの話に触れ、「現代の強き女性なら、はじめの男だなんて辛気くさい、背負われる男は自分で決めるわ、いや自分の足で渡るわ、というところだろうが」(笑)とありましたが、あちらが死後も藤壺と再会できない光源氏の悲嘆に触れていたのに対し、こちらは六条御息所や浮舟の哀しみをクローズアップしていた点が非常に対照的でした。

 次に話は「大和物語」の龍田川・安積山へと進みますが、こちらはもう明らかに女性の意志を無視した略奪で、「愛さえあれば」というのが男の幻想でしかないことをこれまた厳しく指摘しています。それは続いて登場の大本命「源氏物語」も同様で、若紫略奪の場面が映画でどのように描かれたかという比較は面白かったですが、結局これもまた拉致としかいいようがないのですね。その後も紫の上を「思い通りに育てよう」とした源氏の放漫、そして最後まで求められる理想の女性として生き、死んでいった紫の上の一生について、「やはりこれは残酷な物語である」と締めくくっていたのが印象的でした。そういえば作家瀬戸内寂聴氏も、源氏に関する様々な著書の中で絶えず「紫の上は一番可哀想な女性だった」と繰り返し語っていましたが、この本で改めてそれが納得できた気がします。

 その後話は「移動させられる女たち」と題して、空蝉や女三宮などについてもさらに検討を重ねていきますが、ここでふと思い出したのが「とりかえばや物語」でした。(注:以後ネタばれになりますので、未読の方はご注意ください) この本では取り上げられていない作品ですが、男装の姫君(女大将)が親友の宰相中将に正体を見破られて妊娠、心ならずも男に匿われて宇治へ連れて行かれるという展開は、まさしく「移動させられる女」です。しかも女大将の苦悩を宰相中将の方はまったく理解せずにただ理想の女性を手に入れたと喜んでいて、生まれた子供も可愛がっているしもう大丈夫と油断していたその隙に、女大将は行方を捜しに来た兄弟(これも元は女装の男君)の助けによって逃亡してしまったのでした。
 考えてみるとこの宰相中将も恐らくは「愛し合う二人の逃避行」という幻想に溺れて女の心にまったく気付かなかったのでしょうし、逃げ去った女を思って悶え泣く有様もまた、伊勢物語や大和物語の男そのままに描かれています。なお女大将はその後密かに兄弟と入れ替わって京へと戻り、やがては帝の后となって幸福を掴むのですが、宰相中将は(やはり別の女性と結婚してそれなりに幸せを得たものの)ついに女の行方を知らないままいつまでも「憂くもつらくも恋しくも、一方ならずかなしとや」であったといい、完全なハッピーエンドとはいいきれない余情が不思議と心に残る結末でした。

 話戻って、そういういかにも物語的な「盗み出された女」が、その結果幸福になれなかった残酷な現実というものを、「源氏」よりもずっと前から物語は語っていたことになります。プルーストの「失われた時を求めて」ではありませんが、「囚われの女」から「逃げ去る女」へと変わっていった紫の上や浮舟、さらに女大将の生き様は、縛られる女の哀しみとそれに気付かない男の哀れさについて、非常に考えさせられました。
 それにしても、例の三瀬川伝承の通り彼女たちが死後光源氏や薫や宰相中将と再会したとして、果たしてその背に負われて渡ることを望んだかどうかを考えると、どうも私としては非常に怪しい気がします。(笑) 仮に男を愛していたとしても、男の愛情が幻想の自分の上にしかないことに気づいていたのなら、それこそ男の手を振り切って自分の足で渡ったかもしれませんが、どうだったのでしょうね?

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