青空という幻想 マグリット展

 2015/09/04(Fri)
 少し前の話になりますが、4月12日(日)に、国立新美術館にて開催の「マグリット展」(2015/3/25-6/29)へ行ってきました。

 マグリットは日本では割合定期的に回顧展が開催されており、直近では2002年(東京ではBunkamura開催)がありました。その後はやはりBunkamuraの「だまし絵展」等でちらほら作品を見ていたものの、大きな展覧会はしばらくご無沙汰していたことになります。
 というわけで、今年はBunkamuraから実に13年ぶりの大規模なマグリット展だけに大変楽しみで、早めの時期に駆けつけました。そしてブランクが長かったせいでしょうか、何だか見慣れない作品が随分多かったように感じて、妙に新鮮に感じたのがちょっとおかしかったです。

 ところでそもそもマグリットとの出会いは、中学校の美術の教科書で表紙に使われていた「大家族」が確か最初だったと記憶しています。
 どんよりと暗い一面の曇天に、翼を広げた鳥の形に青空が切り取られた有名な絵で、マグリットの名前を知らない人でも恐らくこの絵は見たことがあるでしょう。私も作者がマグリットだと知ったのはずっと後でしたが、とにかくいわく言いがたい、一種独特な印象で一際記憶に焼きついた作品でした。
 なおもう一点、「個人的な価値」も教科書に載っていたのを憶えています。こちらは青空を壁紙に描いた部屋の中に、ベッドと同じくらいの巨大な櫛やらコップやらがどんと置かれており、やはりいかにもマグリット的な奇抜さで印象に残っていました。

 そして、初めて本格的にマグリットの作品に触れることになったのが、約20年前に新宿三越美術館にて開催された「ルネ・マグリット展」(1994年)でした。
 この時も作品数100点を超える、初期の作品から晩年まで幅広く網羅した素晴らしい内容でした。最初に見たマグリット展がこれというのは、今にして思うと実に幸運な体験で、この時初めて「大家族」の実物を見て大変感激したのをよく憶えています。
 ちなみにこの「大家族」、1994年当時はベルギーの個人所蔵でしたが、この2年後に宇都宮美術館が約6億円で購入しました。当時はかなり話題になり、お値段がお値段だけに賛否両論あったようです。
 とはいえマグリットは日本でも人気の高い画家の一人ですし、しかも彼の代表作の一つとして名高い「大家族」ですから、これは嬉しかったですね。ヨーロッパの美術館所蔵ではなかなか見に行くこともできませんが、あの時は大好きなマグリットのさらに大好きな絵が日本の美術館に入ると聞いて大感激でした。

 そしてこの1994年の回顧展でもう一点、やはり一際強烈に記憶に残っているのが「ピレネーの城」でした。
「大家族」が意外に小ぶりな絵(100x81cm)なのに対し、「ピレネーの城」は200x130cmという大きさにまず驚きました。空中にぽっかりと浮かんだ卵型の岩という、いかにもマグリットらしいモチーフで、いわゆる「石の時代」の代表作としても有名な作品です。
「大家族」も一風変わった絵ではありますが、こちらは画面下に暗い海がわずかに描かれているのは同じながら、背景は白い雲が浮かぶ一面の青空です。そして海の上に聳え立つように巨大な岩が浮かび、さらにその上には古めかしい石の城があって、マグリットにしては珍しく「ピレネーの城」というタイトルが何となくしっくりくる絵なのですよね(何しろこの人のネーミングセンス?は大抵意味不明で、おかげでタイトルも憶えにくいのです)。
 もっともこの岩、本当に巨大なのかどうかは他に比較するものがないのでわかりませんし、恐らくマグリットもそれを意図して敢えてわからないように描いたのでしょう。いずれにしても、どこか騙し絵めいたマグリットの作品に共通する、何とも不思議で幻想的な世界が大好きな絵のひとつです。

 ところが残念なことに、その後この「ピレネーの城」に再会する機会はなかなか巡ってきませんでした。
 先述の2002年のマグリット展でも「大家族」「アルンハイムの領地 」「白紙委任状」等は出展されましたが、「ピレネーの城」は来てくれなかったのです。そもそもこの作品は何故かイスラエル美術館所蔵で(どうやら個人からの寄贈で入ったようです)、色々難しいことも多かったのでしょうか、随分長いことご無沙汰のままになっていました。
 そして今年、久々に国立新美術館でマグリット展が開催されると聞き、喜んで駆けつけたのですが、残念ながら今回も「ピレネーの城」はありませんでした。ところが、がっかりしていたら何と、7月からの京都市美術館展(2015/7/11-10/12)限定で「ピレネーの城」が出るというではありませんか! しかもばっちりポスターやチラシの絵柄まで「ピレネーの城」尽くしで、これは是非とも見に行かねば!と狂喜乱舞、8月22日(土)にはるばる京都まで行ってきました。


京都マグリット展2015



 そんなわけで、実に21年ぶりで再会した「ピレネーの城」はやはりとても大きく、一際存在感のある作品でした。年代順の展示だったために、最後の展示室まで行ってやっと出会えましたが、この20年間で何度か見ている「大家族」とはまた違った感慨があって嬉しかったです。

 ところで今回改めてまじまじと実物を眺めていて気付いたことですが、この「ピレネーの城」は恐らく画面左上に太陽がある昼間の絵なのでしょうね。というのも、岩の右下の方に影がついていて、はっきりと光線の方向がわかるのです。ちなみによく似た構図のもう一枚の絵「現実の感覚」(こちらは下が陸地)も同様で、雲がうっすらと茜色に染まっていることから一瞬夕暮れかなと思いますが、上空に浮かぶ月が三日月の逆なので多分明け方でしょう。
 また画面下の波が打ち寄せる海は青い空とは対照的に暗く、何となくこれは北の海なのかなという印象です。マグリットの故国ベルギーは英仏海峡に面していますから、あれもベルギーの海なのでしょうか。
 なお海といえば、「大家族」の海はよく見ると、真ん中あたりに鳥の形の青空の色が映っています。これは東京展でじっくり見ていた時に初めて気がついたことで、しかも波の描写がとてもリアルなのですよね。鳥の形の青空がどう考えてもありえないだけに、これもまた不思議でした。

 さらに「ピレネーの城」のすぐ隣にあった「ガラスの鍵」という作品も、確か今回初めて見るものでしたが、少し「ピレネーの城」に似た雰囲気の絵でした。
 こちらはアルプスを思わせる険しい山脈を描いており、尾根の上にやはり卵形の巨大(多分)な岩がでんと載っています。ただし全体にごく淡い青を基調として描かれているせいか、こちらも大きな絵でありながら「ピレネーの城」のように圧倒されるような迫力というか、重量感はあまりありません。手前に描かれた別の尾根は少し暗い色ながら、卵形の岩が載った奥の尾根と背景の晴れた青空が何とも澄んだ繊細な色合いで、マグリットの作品では珍しく?普通に「綺麗」な絵だな、と感じました(でもやっぱりマグリットですが)。

 ところで、マグリットの絵でよく描かれるモチーフのひとつに、「大家族」や「ピレネーの城」でもお馴染みの青空があります。中でもひとつ、今回出展の作品でまさに白い雲の浮かぶ青空のみを描いた絵がありますが、このタイトルが何故か「呪い」という凄いもので、やっぱり意味不明なのですよね。
 ただ、国立新美術館で配布されていたミニパンフレットの紹介にあったのですが、そもそも空というのは実際には存在しない(手に届かず触れることもできない)のに見えているという、考えてみれば不思議なものです。古代の人々は天空を巨大なドームのように考えていましたが、現代人とて頭では青空とはレイリー散乱により「青く見えている」だけに過ぎないとわかっていても、肉眼ではプラネタリウムのスクリーンを見るのと同様の感覚で空を見ているわけです。そういう意味では、「青空」もまたある種の錯覚と言えば言えるでしょう。


 ところで、これもマグリットがよく描くものとして、背後の風景と一続きの景色を描いたキャンバスの絵があります。「ユークリッドの散歩道」が特に有名で、今回出展の「美しい虜」もその一例ですね。この「美しい虜」ではキャンバスが屋外に置かれており、これだけならちょっと位置がずれれば絵もずれてしまうだろうな、くらいしか考えません。

 ところが、もう一つの「人間の条件」ではキャンバスがあるのは、室内の窓際です。
 そしてさらに「野の鍵」(または「田園の鍵」)になると、その窓ガラスが砕けて床に落ちており、しかもガラスの破片には割れた窓の向こうの風景そっくりの絵?が描かれています。

 こうなると、「人間の条件」で「窓の外の風景」だと思って見ていたものが、果たして本当にそうなのか?という疑惑も湧いてきます。いやそもそも、「野の鍵」で砕けたガラスの向こうに見えている(と見える)風景すら、もしかすると下に散らばる破片同様に、ガラスが割れたように描いただけの巧妙な騙し絵かもしれません。
 そして窓ガラスにしろキャンバスにしろ、騙し絵の向こうの「本物の風景」は私たちには隠れて見えません。ということは、「本物の風景」が騙し絵に描かれたのとそっくり同じ風景だという保証はどこにもない――それどころか、向こう側にはそもそも「風景」など存在しないかもしれないのです(!)。

 こんな風に考え始めると、マグリットの絵というのは一見単純そうでいて非常に奥の深い、哲学的ともいえる不思議な疑惑に満ちたミステリアスな世界です。かといってあまり考えすぎても混乱してしまいますが、一般的な意味でのわかりやすい「騙し絵(トロンプ・ルイユ)」ともまた異なり、当たり前と思っている日常の中に潜んでいる謎をこれほど魅惑的に描き出してくれることにかけては、やはりマグリット以上の画家はいないでしょう(文学作品ではM・エンデの『鏡のなかの鏡―迷宮』『自由の牢獄』が近いかもしれません)。そしてその謎にどこかぞくりとするような怖さというか不安があるのもまたマグリットならではで、そんなブラックジョークのような独特の味わいがまた大好きです。

参考図書:
思考の死角を視る―マグリットのモチーフによる変奏』(増成隆士、勁草書房、1983)
 ちょっと難解な内容ですが、マグリット好きには大変わくわくする面白い本です。古い本で絶版のため、興味がおありのかたはぜひ図書館で探してみてください。
1983年サントリー学芸賞受賞作


※著作権について
 1967年没のマグリットは、2015年現在、著作権法で定められた保護期間である没後50年に達していません。またベルギーは戦時加算によりさらに3910日間保護期間が切れないため、日本では50年+10年と約8ヶ月、マグリットの作品を自由にパブリックドメインとして使用することは著作権法上禁止されています(今後TPPで著作権保護期間が70年になれば、さらに20年延長される可能性もあります)。
 もっとも実際にはネット上に山ほど画像が溢れているのが現状で、親告罪のため訴えられない限りはグレーゾーン?ですが、厳密に言えば無許可の使用は違反となります。よって当ブログでも、展覧会の看板・ポスター等を撮影した写真を除いて、原則として保護期間内の作品画像は掲載いたしませんので、ご了承ください。(もし誤って保護期間中の作品を掲載していた場合は、お手数ですが一言ご連絡いただければ大変助かります)

参考リンク:Image Archives(DNPアートコミュニケーションズ)
http://search.dnparchives.com/
※「ピレネーの城」「田園の鍵」「大家族」「呪い」「ユークリッドの散歩道」の画像を閲覧できます。

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