琳派400年(番外編) 屏風と装丁

 2015/06/26(Fri)
 以前、酒井抱一の絵を装丁に使った本をいくつかご紹介しましたが、最近また書店やネットで目についたものがありました。というわけで、どちらも中身は直接関係ないと思われる本ですが、ご参考までに紹介いたします。


 
 『平安朝物語の形成』後藤幸良(笠間書店、2008/12)


 
 『大和魂の精神史』島内景二(ウェッジ、2015/03)


 どちらも「夏秋草図屏風」の「秋草図」を使った表紙で、よく似ています。
 このうち『大和魂の精神史』は最近出たばかりの本なので、書店で実物を見かけました。おお、抱一さんだと思わず手に取り、いつ出たのかなと奥付を見ようとして何の気なしにひっくり返し、次の瞬間驚きました。
 何と、裏表紙には尾形光琳の「風神雷神図屏風」の風神がいたのです(!)。
 抱一さんの絵を使った装丁は今まで結構見てきましたし、他の画家の絵と組み合わせたものもありますが、元々表裏に描かれた「風神雷神図」「夏秋草図」を一緒に使った装丁は、美術関連の本以外では珍しいのではないでしょうか。しかも秋草の裏にはそれに呼応した風神をあしらっているのですから、この装丁を手がけた方は間違いなく元々の屏風がどんなものかをご存知なのでしょう。なるほど、本の装丁だとこういう粋な使い方もあるのかと、ちょっと嬉しくなった1冊でした。

 ところでその抱一さんですが、先日「鳥獣戯画展」で東京国立博物館を訪れた際、本館の売店で素晴らしいものを発見しました。

 何と何と、光琳の「風神雷神図」と抱一の「夏秋草図」を本来の姿そのままに、表裏一体で作ったミニチュア屏風があったのです!


風神雷神図・夏秋草図
光琳筆「風神雷神図」・抱一筆「夏秋草図」両面屏風


 元々「風神雷神図」と「夏秋草図」のミニチュア屏風はそれぞれ単独で売られていましたが、今回は琳派四百年記念にあたって特別に製作されたということでした。いやもう、見た瞬間飛び上がり、すぐさまレジへ直行したのは言うまでもありません。そうですよ、こういう本来の「裏屏風」として見られる「夏秋草図」が欲しかったんですよ!!
 というわけで、このミニチュア屏風は制作会社HPのオンラインショップでも販売しています。興味のある方は、以下リンクからどうぞ。

 便利堂:「風神雷神図・夏秋草図両面屏風

 ちなみに酒井抱一関連の美術館グッズは他にも「四季花鳥図絵巻」のミニチュア等色々ありますが、特にコレクターズアイテム?としてお勧めのうちのひとつが、静嘉堂文庫美術館のクリアファイルです。
 同館所蔵の抱一作「絵手鑑」をモチーフにしたものなのですが、何とこの冊子に載っている72点の絵すべてを全画面に配した、抱一ファンには実に嬉しいグッズなのですね。この「絵手鑑」の絵は代表的な数点が色紙等になっていますが、馴染みの薄い作品も多いので、ちょっとした画集代わりとしてもありがたいお買い得品です。

 なお、秋の京都琳派展では抱一の「夏秋草図屏風」も出展予定のようです。あの屏風はもう何度も見ていますが、京都で会えるのは今年が初めてなので、これまた楽しみですね。

 参考リンク:「琳派 京を彩る」(京都国立博物館公式サイト


 関連過去ログ:
  ・装丁あれこれ
  ・続・装丁あれこれ
  ・琳派の色
  ・典雅なる花鳥

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紫式部と女房装束

 2015/06/23(Tue)
 6/6、明治神宮文化館で開催中の「源氏物語でみる宮廷装束の雅」(2015/3/28-6/21)へ行ってきました。
 この明治神宮文化館は皇室関連で公家装束等の展示をよく開催してくれるので、平安時代好きには嬉しいところです。しかしこまめにチェックしていないとなかなか気がつかず、千尋もうっかりしていて前期の展示を見逃してしまいました…残念。

2015年明治神宮・装束展

 さて、今回の目玉はちょっと珍しく「源氏物語絵巻「柏木二」の夕霧大将の装束」だそうです。これはこれで滅多にない貴重な機会ですが、とはいえやはり一番楽しみなのは女房装束、すなわち十二単ですよね。
 というわけで、後期展示では十二単一式をすべてばらばらにした状態で、一番下の単(ひとえ)から唐衣(からぎぬ)までを見ることができました(なお前期では、これとは別に一式着付けをした状態での展示があったようです)。

 ところで十二単と言っても、本当に着物を十二枚も重ねたわけではありません。よく「五衣(いつつぎぬ)」等と呼ぶように、実際には五~六枚くらいが標準的だったようです。よって今回の展示も「六衣(むつぎぬ)」、つまり六枚の着物を重ねたものでした(ただしこの他に一番下の単と、六衣の上に着る表着(うわぎ)があり、さらに唐衣もつけると、合計で九枚です)。

 まず単(ひとえ)は濃色(こきいろ)、つまり深紅の着物で、地紋は幸菱(さいわいびし)の固地綾(かたじあや)です。平安時代には小袖、つまり今でいう長襦袢のような下着はつけなかったそうなので、この単を素肌の上に直接着ていたことになります。
 次が六衣で、下から順番に萌木(もえぎ、黄緑)色が二枚、山吹色が二枚、紫色が二枚です。これらも明るい黄緑、濃い黄緑といった具合に少しずつ変化をつけており、こうしたグラデーションを「匂い」と呼びますが、一枚一枚だけでも鮮やかな色合いで、それがずらりと並ぶと大変華やかな印象です。ちなみに地紋はすべて松立涌(まつたてわく)の固地綾なのですが、実際には表着の下に着るので、袖口のごく一部しか見えないものなんですよね(だから無紋でもわからないのですが、そうしないところがまた贅沢です)。

 さて、次がやっと表着(うわぎ)です。
 普段着であれば、これがその名のとおりに一番上の着物になります。よってこれはぐっと華やかに、地紋の上に別な色で二重に紋を織り出した「二倍織(ふたえおり)」という豪華な生地を使います(もちろんお金持ちの高貴な人に限りますが)。
 展示では蘇芳(すおう)色楓地文に白花菱上文で、紅葉模様の艶やかな深紅の地に白い花菱を散らした、何とも華麗な着物でした。紋様こそ違いますが、源氏物語の衣装配りで紫の上に見立てられた着物「紅梅のいと紋浮きたる葡萄染め(えびぞめ)の御小袿」を連想させます。

 そして最後、正装として表着の上に唐衣(からぎぬ)と裳がつきます。
 こちらは表着とはがらりと変わり、萌木色の菊菱地文に白菊の上丸文で、明るい黄緑に白い菊の文様が爽やかな印象の着物でした。また裳は白い三重襷(みえだすき)の地紋に、松・洲浜(すはま)・波の摺文(すりもん)という、定番の海浜模様です(そういえば、何故これが定番なのでしょうね?)。

 それにしても、別々に見ても大変に豪華なこの唐衣と表着を実際に重ねたら、洋服で言うなら明るい黄緑のボレロに深紅のドレスを着ているような状態です。これって現代の感覚で見ても、かなり大胆で派手な組み合わせではないでしょうか?
 とはいえ、残念ながら撮影不可でしたので、代わりに恒例風俗博物館さんの昔の展示からよく似た衣装をご紹介。

2009-moegi-suou.jpg
「少女・五節舞姫の童女選び」(2009年)
唐衣:青色唐草地薄朽葉五窠木瓜文、上着:紅小葵地文白亀甲丸文、五つ衣:紅の薄様?、裳:裾濃
展示:群馬県立日本絹の里

 ここで思い出したのが、紫式部日記の最後の方に出てきた、敦良親王(のちの後朱雀天皇。中宮彰子の次男)御五十日の祝いの折の、式部本人の衣装です。
 原文では「紅梅に萌黄、柳の唐衣、裳の摺目など今めかしければ…」とあり、柳の唐衣は黄緑よりも淡い薄緑ですが、ちょっと今回の展示に似た配色だったことがわかります。式部はこの後「とりもかへつべくぞ若やかなる(随分と現代風で、取り替えたいくらい若作りな衣装だこと)」とコメントしており、晴れの場とはいえやっぱり派手で恥ずかしかったのかな?とちょっとおかしくなりました。

 ところで「紅梅に萌黄」のところは、後で注釈書を色々見てみたところ、「紅梅の重ね色目に萌黄の表着」とする解釈の方が多いようです。しかし「薄緑の唐衣の下に黄緑の表着、袖口に赤やピンクのグラデーション」というと、大半が緑で固めた同系色の衣装という感じです。重ねに赤系の色を使ってはいるものの、全体的にはむしろおとなしい印象ではないでしょうか。
 ちなみに『源氏物語』では、この萌黄という色は実は殆ど出番がなく、唯一衣装の色で登場するのが「若菜・下」の女楽です。この色を着ているのは明石御方で、原文では次のように描かれています。

「柳の織物の細長、萌黄にやあらむ、小袿(こうちき)着て、羅(うすもの)の裳のはかなげなるひきかけて、ことさら卑下したれど、けはひ、思ひなしも心にくく侮らはしからず。」

 この時明石御方は30代後半、娘の明石女御は既に二児の母となっており、当然もう若いとは言えません。小袿は本来唐衣と同様に、略礼装で一番上に着る少し丈の短い着物ですが、その上に細長を着ることもあります。よってここでは、薄緑の細長の下に黄緑らしき小袿の裾が覗いている、という感じでしょうか。
 ちなみにこの女楽の場面で、他の三人は全員、葡萄染の小袿に薄蘇芳の細長(紫の上)、紅梅の御衣(明石女御)、桜の細長(女三宮)という赤系統の衣装でした。その中では一人緑系の明石御方は落ち着いた色合いに見えるというのもあったでしょうが、それにしてもさほど派手な印象はありません。
 というわけで、これも風俗博物館さんの展示を見ていただいた方が早いでしょう。

女楽明石御方 2006年
「若菜下・女楽」(2006年)
細長:柳かさね白四つ割菊文、袿:萌黄地幸菱文、五つ衣:紫の薄様、裳:羅地幸菱文

 なお『紫式部日記』では、式部と一緒にいた同僚の小少将の君は「桜の織物の袿、赤色の唐衣」だったとあります。こちらは薄いピンクのドレスに赤いボレロといったところでしょうか、いかにも若々しく可愛らしいイメージで、薄緑のボレロに黄緑のドレスの式部よりも華やかさでは上ではないかと思います。平安時代の色彩感覚は今とは随分違うでしょうが、それにしても自分が盛りを過ぎたおばさん(苦笑)だと思う式部があんな風に「取り替えたいくらいだ」というのは、何だかちょっと納得がいかないのですよね。
 というわけで、これも実際に見ていただいた方が早いので、同じく風俗博物館さんの展示から。

2003年少女
紫式部「少女・五節舞姫の童女選び」(2003年)
唐衣:萌黄亀甲地文臥菊菱、表着:柳織物?桜立涌文、五つ衣:若菖蒲かさね、裳:裾濃

2004年絵合
小少将「絵合・梅壺方の女童」(2004年)
汗衫:桜かさね桜立涌文、表着:蘇芳波地白鴛鴦丸文

 ※どちらも色の組み合わせが逆ですが、大体のイメージはわかるでしょうか?

 ついでながら『枕草子』では、淑景舎(春宮妃原子。中宮定子の妹)が「少しあかき蘇枋の織物の袿、萌黄の固紋のわかやかなる御衣奉りて」とあり、これまた解釈は色々あるのですが、配色はよく似ています。原子はこの時十代半ば、「絵に描いたように可愛らしい」と清少納言が評していますから、その衣装も初々しく可憐な少女に似合うような、瑞々しい華やかさを感じさせるコーディネイトだったということでしょう。

 そんなわけで、紫式部の衣装は紅梅の表着(濃いピンクまたは赤紫?)に、表着の下の袿は萌黄の重ね色目(黄緑の濃淡)、そして表着の上に柳の唐衣だったのではないかなと思います。これなら薄緑のボレロに濃いピンクまたはボルドーのドレスという感じで、赤系統の表着の面積が大きくまた唐衣との色合いも対照的ですから、柳と萌黄よりもかなり派手な印象ではないでしょうか?

 ところで話戻って、女楽の明石御方の衣装の描写を改めて読み返していて、ふと思ったことがありました。
 本文中に「羅(うすもの)の裳のはかなげなるひきかけて、ことさら卑下したれど」とあることから、ここでの明石御方は四人の中で唯一、正装の女房装束である「裳」をつけへりくだって見せているのがわかります。事実、最も高貴な女三宮は「細長」つまり普段の衣装で、続く明石女御も「御衣」としか書かれていませんが、恐らく袿姿でしょうか(注釈によっては小袿としています)。そして紫の上は二人に礼を取りつつ、細長に略礼装の小袿に留めています。
 とはいえ、本当に女房としての正装にするなら、やはり唐衣をつけるのが本来の形のはずです(もっとも玉上琢彌氏によれば、はっきりわかるようにするとわざとらしさが過ぎて「どうせ私は違いますよ」という感じになり、逆に嫌味でいけないということですが)。そもそも本来であれば地方の土豪の娘に過ぎない明石御方は、こうした場に居並ぶことすら出来ないはずの人物なのです(事実、明石女御の裳着には出席できませんでした)。
 しかしそこを紫の上と同じく「細長に小袿」という略礼装をとり、「羅(うすもの)の裳のはかなげなる」つまりあまり目立たないごく薄い裳だけをつけたというのが、控えめに見せているようで何やら意味深ではないでしょうか。実際、いくら裳を着け卑下しているとはいえ、紫の上と一見殆ど変わらないとは何やら穏やかでない話です。
 もっとも、明石御方の振る舞いが本当に紫の上や女三宮に対して無礼であれば、当然六条院の主人たる光源氏が許すはずがありません。従って、明石御方の装いは光源氏も認め許したものだと思っていいでしょう。
 というわけで、最近の展示からもう一枚。

女楽明石御方 2014年
「若菜下・女楽」(2014年)
細長:柳かさね白四つ割菊文、小袿:白地萌黄乱れ唐草文、五つ衣:雪の下かさね、裳:羅地幸菱文

 明石御方はあくまで慎ましく控えめに振舞ってはいますが、内々とはいえこうした晴れやかな場に二品内親王や女御と並んで参列を許された彼女の内心には「技量では誰にも引けは取らない」という密かな矜持もあっただろうと思います。事実、演奏が始まったところで明石御方は真っ先に「琵琶はすぐれて上手めき、神さびたる手づかひ、澄み果てておもしろく聞こゆ」と語られています(もっともここの描写は、演奏の巧みな順であると同時に身分の低い順でもあるのですが)。だからこそ地の文も最後に「けはひ、思ひなしも心にくく侮らはしからず」と敢えて書き添えたのではないでしょうか。
 そう思うと、自らは縁の下に控えながらも娘と孫の将来の栄光を約束された明石御方に対して、ますます正妻女三宮と己の立場の違いを自覚し思いつめていく紫の上が一層哀れでもあります。一見実に華やかで、風俗博物館の展示では特に好きなテーマのひとつなのですが、この「若菜」以降の紫の上は本当に可哀想ですよね…

2014年女楽・紫の上
「若菜下・女楽」(2014年)
細長:薄蘇芳地臥蝶丸文、小袿:葡萄色地紫梅文、五つ衣:紅の匂?

和琴を前にした紫の上。光源氏と夕霧はその演奏を絶賛しましたが、この翌晩彼女は病に倒れます。

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星を見る人 ルーヴル美術館展とフェルメール

 2015/06/16(Tue)
 またちょっと話は遡りますが、2/22(日)に国立新美術館の「ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」 (2015/2/21-6/1)へ行ってきました。
 今回のお目当てはもちろん、日本初公開のフェルメール作「天文学者」です。「地理学者」(ドイツ・シュテーデル美術館所蔵)は既に何度か見ていますが、対と言われるこの「天文学者」はなかなか来日してくれず、今回ようやく念願叶って大感激でした。 何でもこの絵はルーヴル美術館にとっても門外不出に近い秘蔵の1枚だそうで、よくぞ3ヶ月も貸し出してくれたものです。ありがとうルーヴル美術館!

 今回はテーマがヨーロッパの風俗画ということで、大作もたくさんありましたが、小さな絵画が予想以上に多かったです。しかもこれがブリューゲルだったりティツィアーノだったりレンブラントだったりヴァトーだったりと、うっかり通り過ぎてしまいそうな小品にも有名どころがぞろぞろなのがまた圧巻。さすがはルーヴル美術館、おかげで何度絵の前で「えっ!?」と驚きに足を止めたかわからないくらいでした。中でもブーシェの「オダリスク」は画集等ではお馴染みでしたが、多分実物を見るのは初めてで、大好きな画家の一人だけに嬉しかったです。

 さて、問題の「天文学者」ですが、これも実物は思っていたほどは大きくない作品でした。
 今回は会期始めの夕方を狙ったのが大正解で、絵の周りもそれほど混雑はなく、落ち着いた状況でゆっくり絵を堪能することができました。これが「風俗画」なのか?と言われるとちょっと違うような気もするのですが、とはいえ日本の着物めいた青いガウンと、机の端からこぼれるような豪奢な織物は、確かに大航海時代のオランダならではのものと言えます。また当時の航海には当然ながら地理学・天文学の知識も重要でしたから、そんなところも象徴的な作品なのですね。
 余談ですが千尋自身、元々天文好きということもあり、また天文学を題材にした絵は珍しいだけに、この「天文学者」は他のフェルメールともまたちょっと違う独特の思い入れがあります。今回のルーヴル展でも天文関連のグッズがたくさんあり、中でも古風な天球儀にはとりわけ目を惹かれましたが、さすがにちょっと高額で手が出ませんでした…残念。

 ともあれ、「地理学者」によく似た窓辺の室内の光景ながら、こちらに横顔を見せる「天文学者」は窓の外の景色ではなく机の上の天球儀をじっと覗き込むように見つめています。フェルメールの絵の登場人物は見る者とはまったく別の方へ視線を向けている例も多く、この絵もそのひとつですが、あるいはこの天文学者はフェルメールの少年時代?に亡くなったガリレオ・ガリレイのように、いまだ解き明かされていない宇宙の神秘に思いを馳せていたのでしょうか。手元の本には「天文学者は真実を追究する」と書かれていることもわかっているそうで、一見わかりやすそうに見えるフェルメールの絵の中ではやや難解な印象も受ける作品でした。

 ところで実を言えば、千尋はフェルメールなら何でも好きで全部見たい!というほど熱心なファンではなく、むしろ好みの作品はかなり限られている方です。その中でも特に好きなのがこの「天文学者」と「地理学者」の一対で、2000年の「フェルメールとその時代展」で初めて「地理学者」に会った時から、いつか「天文学者」にも会いたいとずっと思っていました。
 なおこの2枚は今でこそフランスとドイツに離れ離れですが、元々同じ人物が所有していたそうです。先日の光琳の屏風のように一度でいいからこの2枚が並んだところを見てみたいものですが、難しいでしょうねえ…

 さてこのルーヴル展、本日6月16日から9月27日まで、今度は京都市美術館で開催中です。関西の皆様はもちろん、期間中に京都へ旅行される方もぜひお忘れなく!

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琳派400年(4) 小品の魅力・根津美術館「燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密」

 2015/06/12(Fri)
 2月の熱海に引き続いて5月4日、今度は根津美術館の「燕子花と紅白梅」展第二弾(2015/4/18-5/17)へ行ってきました。
 今年は4月がやけに暖かい日が続いたせいか、いつもならまだピークは少し先の庭園の燕子花も既に満開、タイミングもぴったりです。とはいえさすがに連休中とあって、美術館前は物凄い大行列でした。



 前回MOA美術館が光琳&現代アートという、ちょっと意表を突いたテーマで来たので、根津美術館はどう来るかなと思っていたら、こちらは大変オーソドックスに正統派の光琳尽くしで真っ向勝負という印象でした。
 一番の目玉である燕子花と紅白梅はもちろんのこと、孔雀立葵図、夏草図、白楽天図といった大作がずらりと並び、さらに今年注目の俵屋宗達作と言われる蔦の細道図屏風も京都の相国寺からはるばるお目見えという豪華さにまず驚愕。また他の展示室には、光琳ゆかりの小西家文書、お馴染み弟乾山との合作を始めとする工芸品も数多く、これなら燕子花と紅白梅の同時展示がなくてもいいのではと思ったほどの素晴らしい充実ぶりです。いくら手持ちの光琳作品が多いとはいえ、根津美術館さんの底力を改めて実感させられた美術展でした。(ただ今回、もう一つの光琳作国宝である東博の八橋硯箱は出ていなくて、それだけがちょっと心残りでしたが)

 さて問題の燕子花と紅白梅ですが、MOAが向かい合わせで来たのに対し、根津美術館は一番広い展示室1の壁面一つをたっぷり使って、二つの屏風をどーんと並べてくれました。面白いことにそうして見ると、MOAではあまり気にならなかった二つの屏風の幅の違いが一目瞭然で、紅白梅図が意外に小さく見えるのです。単体で見るととても大きく感じる作品なのですが、さすがに六曲一双の燕子花が相手では、紅白梅も横幅では当然かなわないですね。
 とはいえ横幅が短いだけに、紅白梅の方が燕子花よりも人だかりで大混雑でした。燕子花は横幅があるので自然と見る人も分散しますし、かなり後ろまで下がらないと全体を一望するのは難しい作品ですが、その点紅白梅図は当然ながら人が集中してしまって、少し下がるともう人ごみで殆ど見えないのです。元々東京に来るのは数十年ぶりの作品だけに、多分初めて見るという人も多かったのでしょうね。

 ところで今回個人的に特に驚いたのが、2階の展示室5にずらりと並んだ、団扇や香包といった小さな工芸品です。
 これまでにも色々な美術館や琳派展で光琳の団扇や香包を見たことはありましたが、あれほどたくさんの光琳作品が一堂に会したところを見たのは初めてでした。何しろ屏風と違ってごく小さなものだけに、画集等に掲載されることもあまり多くないためか、初めて見る作品もかなり多かったです。MOA所蔵の白梅や細見の柳の香包(細見は今回出展せず)などは結構何度も見ていますが、個人所蔵だという仙翁図の香包は今まで見た覚えがなくて驚きました。
 実を言うと、千尋は光琳作の中でも香包は特にお気に入りで、美術展で見かけるといつも嬉しくなるのです。ただ今に伝わる香包は大抵掛軸として表装されていて、裏側の部分を真ん中にした展開図の状態なものですから、そこから実際に使われた姿を想像するのはちょっと難しいのですよね。
 というわけで、あの香包を見るたびに、内心密かにこんなグッズがあればいいなといつも思っています。現代では香包はあまり馴染みのないものとはいえ、ハンカチや袱紗ならあのデザインでもいけるのではないかなと思うのですが、残念ながら殆ど見かけたことがないのでした。
 ちなみに細見美術館では、まさしくこの香包を再現したものを販売しているようです。ちょうど同時期に全国を巡回していた「細見美術館 琳派のきらめき展」にも出品されていましたが、その話はまたいずれ。

参考リンク:
 ・細見美術館の香包
 ・MOA美術館所蔵・白梅図香包

 ともあれ、5月4日は開館10時時点で既に相当な混雑のため、二点並んだ燕子花と紅白梅もよく見えなかったのがちょっと悔しかったので、9日に再挑戦してきました。
 今度は頑張って9時頃に到着してみると、既に行列はできていたものの幸い30人程度で、しかも美術館側で開館時間を繰り上げてくれたのです。おかげさまで、幸運にも殆ど人のいないがらがらの状態で念願の燕子花と紅白梅を見ることができて大感激でした。
 もっともそんな状態はわずか5分ほどの短い時間で、すぐにどんどん観客が入ってきてたちまち大混雑になりましたが、それでも充分にじっくりと二点の屏風を堪能することができました。もしかすると一生一度かもしれない貴重な機会だっただけに、最後にとてもいい思い出になって嬉しかったです。

 それにしても、この次の機会があるとしたらせめて20年後くらいにしてほしいものですが、琳派の節目になりそうな年は多分またしばらくないのですよね。抱一没後200年は14年後の2029年ですけれど、光琳生誕400年の2058年に合わせるとしたら43年後…?

関連過去ログ:
 ・琳派400年(1) 箱根の琳派・岡田美術館展
 ・琳派400年(2) さえずる鳥たち・畠山コレクション「THE 琳派」
 ・琳派400年(3) こぼれる梅花・MOA美術館「燕子花と紅白梅 光琳アート 光琳と現代美術」


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琳派400年(3) こぼれる梅花・MOA美術館「燕子花と紅白梅 光琳アート 光琳と現代美術」

 2015/06/11(Thu)
 大変遅まきながらの報告となりましたが、2月12日、久しぶりに熱海のMOA美術館へ行ってきました。目的はもちろん、長年の夢だった尾形光琳の二大国宝屏風が揃ってお目見えする「燕子花と紅白梅」展(2015/2/4-3/3)です。



 思えば千尋が最初に「琳派」なる流派を知ったのが1996年、その後酒井抱一に惚れ込んだのがきっかけで、本格的に琳派関連の美術展を追いかけ始めたのが1998年頃でした。そして2004年には国立近代美術館でRIMPA展が、続く2006年には出光美術館で風神雷神図屏風展が、さらに2008年には東京国立博物館で大琳派展が開催され、画集等でしか見たことのなかった貴重な作品の数々を実物で見る機会に恵まれました。
 しかしそんな中、何度も今度こそはと望みをかけつつも、唯一実現することのなかったのが、この燕子花と紅白梅の同時展示だったのです。特に2008年は光琳生誕350年記念という節目の年、しかも折りよく?燕子花を所蔵する根津美術館は改修のため休館中とあって、もしかすると実現するかもという期待が高かったのですが、結局この時も紅白梅図は出てくれませんでした。

 そんなわけで、光琳没後300回忌を迎える今年は、恐らく千尋の人生の中で最後のチャンスなのではないかと思っていただけに、昨年第一報を聞いた際はまさに狂喜乱舞でした。
 正倉院の瑠璃杯も足かけ18年待ち続けた末にやっと先年お目にかかれましたが、思えば今回の光琳もほぼ同じくらいの年月の間待ち焦がれてきたので、生きている間にこんな機会に恵まれて本当に嬉しかったです。なお今回の二屏風再会は実に56年ぶりだそうで(前回は昭和34年の根津美術館でした)、美術館関係者や研究者の方々にとっても貴重な機会だったでしょうね。

 というわけで、今回はそれぞれ屏風を所蔵するMOA美術館と根津美術館で、いつも紅白梅と燕子花を展示する2月と5月に開催ということになりました。
 もちろんこれは屏風に描かれた梅と燕子花の季節に合わせたもので、特に根津美術館はいつもGWの連休に重なる時期だけに毎年大変な混雑になるのですが、今年はそれ以上の大騒ぎになるだろうことは間違いありません。加えて私自身も年度始めは多忙で平日の観覧は難しいだけに、せめて先に開催の熱海は少しでも混雑のなさそうな時に行こうというわけで、建国記念の日に熱海に一泊、翌朝一番で美術館を訪れました。

 ところで、MOAの毎年恒例紅白梅図展示は、いつも展示室が決まっています。
 しかしこの展示室は本当に紅白梅図一曲を置くのにちょうどいいスペースで、さらに燕子花まで置くほどの余裕はありません。千尋も過去何度か訪れてそれはわかっていたので、さて一体どう展示するのかなと思っていたら、何とMOAさんは紅白梅と燕子花を向かい合わせに置くという、ちょっと意表を突く展示をしてくれたのです。展示室が混雑している時は二つの屏風を同時に楽しむのはちょっと難しい状況でしたが、運よくかなり空いているチャンスに遭遇、少し離れた場所から向かい合わせの燕子花と紅白梅をじっくり堪能することができました。

 さて今回、こうした美術展ではちょっと珍しい、粋な演出がありました。
 最初に紅白梅屏風をじっくりと眺め、キャプションへ目をやろうと視線を下へ向けたところ、屏風のそばに紅梅と白梅の花が一輪、まるで絵の中からぽろりとこぼれ落ちたように置かれていたのです。
一瞬「え、まさか本物?」とびっくりしたら、これが何と現代作家さんによる作品のひとつだったのです。本物と見紛うばかりの実にリアルな木製(!)の梅の花で、側のキャプションを読んでまた驚きました。他にもモノクロの紅白梅図など面白い作品が色々ありましたが、あの小さな紅梅と白梅は今回一際印象に残った作品でしたね。

 ともあれ、久々の熱海一泊光琳旅行は好天にも恵まれ、美術館前の梅林の梅の花もとても綺麗でした。千尋宅からですと日帰りで行くにはちょっと遠く、紅白梅図や琳派展でもないとなかなか足を伸ばすことはないのですが、熱海は新鮮なお魚と温泉も魅力なので、そのうちまたのんびり訪れてみたいです。

関連過去ログ:
 ・琳派400年(1) 箱根の琳派・岡田美術館展
 ・琳派400年(2) さえずる鳥たち・畠山コレクション「THE 琳派」

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