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お待たせしました、レオナルドです。

 2013/06/25(Tue)
 6月15日、東京都美術館で開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチ展 天才の肖像」(2013/4/23-6/30)へ行ってきました。

 レオナルドの真筆、それも完成された絵画作品に対面するのは、思えば2007年の「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」(東京国立博物館)で「受胎告知」を見た時以来だったかもしれません。去年Bunkamuraで見た「ほつれ髪の女」も実に美しかったですが、何しろレオナルドの完成作品はフェルメールよりも少ないので、久しぶりの貴重な機会でした。

 ところで今回、会場を歩いていておやっと思ったのですが、日本の美術展にしては珍しくキャプション等での表記は徹頭徹尾「レオナルド」に統一されていましたね。以前「愛しのレオナルド」でもちらりと触れましたが、私自身「ダ・ヴィンチ」と呼ぶのはどうもしっくりこない方なので、美術館側が「レオナルド」という呼び方にこだわってくれたのはとても嬉しかったです。

 さて、肝心の美術展ですが、実を言えばレオナルド唯一の男性肖像画だという「音楽家の肖像」よりも、レオナルドが残した膨大なメモの一部である「アトランティコ手稿」(ミラノ・アンブロジアーナ図書館所蔵)の方に目を惹かれました。とはいってもレオナルドですから内容は大変自然科学方面寄りで、嫌いではないけれども基本文系の私にはちょっと理解は難しかったです。
 ともあれ、こうした手稿は2005年の「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」(森美術館)で「レスター手稿」も見ていますが、あの時は展示内容はもっぱら手稿中心だったのですよね。しかし今回は多分初めて、レオナルドの絵画と手稿の両方を一度に(しかも同じ展示室内で)見ることができたのです。そうしたら何だか、ああ、本当にこの人は500年前に生きていて、これだけのものを遺して行ったんだなと、大変今さらのようにそんな感慨を覚えました。

 それにしても、レオナルドが絡む美術展は何故かというかやはりというか、通常の美術展に比べると客層が幅広いのが顕著な特徴だなといつも感じます。内容はかなり難しいのですが、家族連れ、それも小中学生くらいの子も結構いたようで、私などは大学生になるまでこうした機会にはほとんど恵まれなかったので、大変羨ましく思いました。
 思うに、レオナルドの人気というのは多分「何だかよくわからないけど凄い人だったらしい」という、常人には理解できない天才故のものなんでしょうね。ちなみにこれに匹敵する例を挙げるとしたら、アインシュタインとホーキング博士かな、と密かに思っています。

 ところで今回、冒頭にあったレオナルド派による「貴婦人の肖像」もとても美しかったですね。しかし、あれ、どこかで見たような顔だなと思ったら、イザベッラ・デステの妹のベアトリーチェの肖像だと言われていたとあり、そういえばそうだったと思い出しました。
 フェラーラ公女ベアトリーチェ・デステはミラノ公ルドヴィーコ(イル・モーロ)の妻で、ということは2002年に来日したレオナルド作「白貂を抱く貴婦人」に描かれたチェチリア・ガッレラーニ(イル・モーロの愛人)とも因縁浅からぬ女性です。しかしチェチリアはベアトリーチェにより城を追われ、一方ベアトリーチェも後に出産が元で22歳の若さで死亡、また彼女の死後イル・モーロもフランスに囚われるなど、いずれも不幸な運命を辿りました。レオナルドがなかなかパトロンに恵まれなかったのも、このイル・モーロの転落から始まったと言えるのかもしれません。
 ともあれ、どこかきりりとした雰囲気の美しい横顔で描かれた女性は、確かにレオナルドがデッサンのみ残した姉イザベッラとどこか似通っているような気もします。


Isabella.jpg beatrice.jpg
イザベッラとベアトリーチェ?



 さて今回、上記のベアトリーチェも含めて「レオナルデスキ(レオナルドの弟子及び追随者たち)」の作品も随分とありましたが、中でも「洗礼者ヨハネ」があったのには驚きました。というのもこの絵、実は以下の本で昔からお馴染みだったのです。


「アンドロギュヌスの神話」(平凡社,1988)


 いかにも澁澤龍彦が好きそうな(笑)本で、元々私もレオナルド最後の絵画であるオリジナルの「洗礼者ヨハネ」が大好きということもあり、この表紙は一際印象に残っていました。ただやはり、原作の整った目鼻立ちの美しさやあの得も言われぬ妖しい微笑と比べるとどうしても見劣りしてしまいますし、背景もモナリザのような風景より、あの何もない漆黒と蝋燭の光を思わせる陰影の方が断然素敵だと思います。


レオナルド「洗礼者ヨハネ」
レオナルド・ダ・ヴィンチ「洗礼者ヨハネ」



 関連過去ログ:「愛しのレオナルド

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記憶の世界遺産

 2013/06/22(Sat)
 今日は富士山が世界遺産に登録されましたね。たまたまユネスコのHPで中継が見られると知って覗いてみたら、偶然にもちょうど確定の決定的瞬間を見てしまいました。と言っても何しろ中継はオール英語で、さっぱり意味は理解できなかったのですが、拍手と共に日本の団体が横断幕を掲げて喜び合っていたので、それで判りました。いやあ、便利な時代になったものです。

 ところで少し前に、御堂関白記と慶長遣欧使節資料も世界記憶遺産に登録されました。特に御堂関白記は平安好きには大変お馴染みのありがたくも貴重な史料なので、その価値が世界的に認められたのはやはり嬉しいです。これまた滅多に実物にはお目にかかれない代物ですけれど、たまに美術展等で見るとやはり千年も前の人の日記が直筆で残っているというのは凄いと感動します。

 なおこの御堂関白記、7月13日から始まる東京国立博物館の特別展「和様の書」でもお目見えとのことです。ただし御堂関白記の展示は8月13日からですが、さすが東博、今回も途轍もなく豪華な顔ぶれで、特に藤原佐理の書状が4点も出るというのには驚きました。この展示内容を全部見ようと思ったら、2回でも足りないんじゃないでしょうか…

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レポート提出

 2013/06/21(Fri)
 本日、賀茂斎院サイトに小論「賀茂斎院から見る『源氏物語』年立論」をアップしました。

 何を隠そう、今年に入ってからかれこれ半年近く一番心血を注いできたのがこれでして、今までになく仕事も忙しい時期と重なっただけに、正直言ってかなりしんどいものがありました。特に山のようなデータにどこか間違いはないかと何度も見直しを重ね、さすがに最近では疲れ果てていたので、そろそろこの辺で思い切ってアップしようかとやっと腹を括った次第です。
 ちなみについ先ほど偶然気がついたのですが、今日は旧暦の五月十三日で、月に3回の午の日のうちの二番目、中午日(戊午)なのですね。そうか、あと一月早ければちょうど平安時代の斎院御禊の日だったのだなと思い、どうせならその日に公開したかったなとも思ったものの、もういい加減来年まで待っていられないので思い切って公開に踏み切りました。多分まだぼろぼろ間違いはあると思うのですが、また後日ゆっくり見直していこうと思います。

 それにしても、調べれば調べるほど次から次へと調査範囲が広がっていって、いやはや今回は本当に疲れました。大学時代の卒業論文だってここまで真剣にはやらなかったかもしれないというくらいに頑張ったものの、何しろ日本史には素人なのでせいぜいレポートに毛が生えた程度ではありますが、こういう角度から源氏物語を考え直すきっかけになったのは調べながらとても面白く楽しかったです。(予想外に大風呂敷広げてしまった気はしますが…苦笑)

 そうそうもうひとつ、先日31代式子内親王について、かねてから噂に聞いていた(笑)『兵範記』断簡(京都大学所蔵)をついに見つけました!
 長年謎だった式子の年齢を確定したことで知られる、その筋では非常に有名な史料なのですが、何しろ見つかったのがたった20年ほど前(!)だけに古い本には当然載っておらず、どこを探せば肝心の本文が載っているのか判らなくて困っていたのです。しかも問題の断簡は、式子の年齢もさることながら斎院退下についての記事まであったというので、古写本の写真でも何でもいいからとにかく見たい~!とずっと思っていたのでした。
 そうしたら、ちょうど10年前に京都大学博物館で開かれた特別展に問題の断簡が初公開で展示されていて、しかもその時の図録に写真はもちろん釈文までもばっちりと掲載されていたのですね。幸いこの図録は近所の図書館で所蔵していたので、喜び勇んで借りてきて早速釈文も掲載させていただきました。しかもこの時代には非常に珍しく、賀茂社に斎院退下を奏上した時のものと思われる祝詞(の草案?)まで残っているという素晴らしさで、もう感涙ものでした。もしいつか機会があれば、ぜひともこの断簡の実物を直接見てみたいものです。

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