伊勢斎宮の謎・2 お姫様の名前

 2013/04/26(Fri)
 春は決算期でなかなか腰を据えてブログを書いている暇もなく、ちょっとよろよろになりながらも先日ラファエロと大神社展とルーベンスはどうにか行ってきました。初めて見るラファエロの「大公の聖母」はさすがの美しさで、でも実はあの真っ黒な背景は後世に塗り潰されたものだというのは知らなかったので驚きです。大神社展では久しぶりの七支刀にじっくりと見入り、ルーベンスはやはりこの迫力は凄いなあと感嘆しつつ、出口にあったパトラッシュの募金箱?にちょっと笑ってしまいました。そうですね、日本でルーベンスって言うと、一定以上の世代が思い浮かべるのはフランダースの犬ですもんね。(余談ですがずっと後になって、「フランダース」が「フランドル」の英語読みだと知った時はちょっと衝撃でした)

 さてそんな合間に、賀茂斎院関連で平安時代の内親王のデータをぽつぽつ調査しています。その中で24代斎院令子内親王と伊勢斎宮善子内親王はどちらも同じ読みで「よしこ」である、という記事を見直していて、そこでまた例によって「あれ?」と引っかかりました。
 というのも、斎宮善子内親王と斎院令子内親王はそもそもどちらも白河天皇の娘、つまり姉妹なのです。母親こそ違いますが、善子内親王は1077年生まれ、令子内親王は1078年生まれで、年齢も1歳しか違いませんし、二人共それなりに長生きしています。以前にも『平安時代史事典』で村上天皇の娘たちの名前に引っかかりましたが、今回も姉妹で異字とは言え同じ「よしこ」ってありなんだろうか、と考え込みました。

 ただし今回の場合、善子内親王と令子内親王には、善仁という名前の弟がいました。後に即位して堀河天皇となった人ですが、この「善仁」という名前、「たるひと」と読むのです。それなら善子内親王の場合も、姉妹で同じ字を使うのだから「たるこ」と読む可能性もあるのではないでしょうか。(事実、後世にはそう読んだ例もあったようです)
 もっとも善子斎宮の生母は、白河天皇が熱愛した中宮藤原賢子ではなく、最初の妃ながら寵薄かったと言われる女御藤原道子です。同母姉の令子ではなく何故わざわざ異母姉の善子と同じ字を取ったのか、ちょっと不思議な気もしますが、果たして善子内親王の名前の読みはどちらだったのでしょう?

 なお参考までに、『平安時代史事典』によると同訓名前の姉妹は以下の例があります。

 ・醍醐天皇皇女:宣子・修子(のぶこ)
 ・村上天皇皇女:承子・緝子(つぎこ)、輔子・資子(すけこ)
 ・後朱雀天皇皇女:良子・娟子(よしこ)
 ・小一条院皇女:栄子・嘉子(よしこ)
 ・後三条天皇皇女:聡子・俊子(としこ)
 ・白河天皇皇女:善子・令子・禛子(よしこ)
 ・鳥羽天皇皇女:禧子・姝子(よしこ)

 この内後朱雀天皇の娘良子内親王は、現在「ながこ」と読んだことが判明しています。
 それにしても、どうも角田先生は姉妹で同じ訓というのはあまり気にかけなかったようですが、改めて調べ直してその多さに驚きました。ちなみにもっと古い『日本の女性名』(教育社,1980)では別な訓になっているものもありまして、例えば村上天皇皇女の承子は「よしこ」なのです。(逆に『平安時代史事典』で「よしこ」となっている妹の楽子内親王は「やすこ」)でした。また後三条天皇皇女の聡子内親王は、「としこ」と読ませるなら何もわざわざ妹の名前に「俊子」を選ばなくてもよさそうなものですし、白河天皇の娘たちに至っては何と三人も「よしこ」で、いくら何でもちょっと変ではないでしょうか。一体角田先生がどういった経緯で上記の読みを決定したのか、ますます謎です…


 関連過去ログ:
 ・伊勢斎宮の謎
 ・読めぬなら読ませてみよう

 参考リンク:
 ・斎宮歴史博物館良子の妹、賀茂斎院・娟子内親王」「よしこさんがいっぱい

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