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月光の競演

 2012/01/29(Sun)
 明日1/30(月)放送の、BSプレミアム「極上美の饗宴」にて、酒井抱一が登場します!
 しかも何と、今回スペシャルゲスト?として番組に登場するのは、何とあの「月光写真家」石川賢治(!)さんだというのですから、これはますます見逃せません。千尋も石川さんの写真は好きで、何度か東京での写真展も見に行ったことがありますが、この組み合わせは正直予想外で大変楽しみです。去年の大回顧展で、抱一さんも大分知名度が上がったのでしょうか?
 ともあれ、放送は明日の21:00~21:58です。抱一ファンの皆様、お楽しみに!


 関連リンク:
  ・極上美の饗宴(公式サイト)
  ・石川賢治「月光浴」(公式サイト)

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平安京散歩

 2012/01/28(Sat)
 最近またぽつぽつと賀茂斎院サイトの更新をしていましたが、ふと思いついてこちらもGoogle Mapを作ってみました。(ついでに歴代斎院の系図も追加しています)
 最初は上下賀茂社と斎院御所跡と一部斎院のお墓くらいしかないかと思ったのですが、改めて調べ直してみると、歴代斎院に関わりのある邸宅などもかなり場所の判るものがあるのですね。特に31代式子内親王と縁の深い「大炊御門殿(春日殿)」が現在の京都地方裁判所というのは初めて知りましたし、「八条院」は何とJR京都駅(笑)というのにびっくりでした。(「高倉三条第」跡の現京都文化博物館は何度も行きましたが、記念碑があるのは全然知らなかったです) また24代令子内親王・29代禧子内親王の墓所である上醍醐陵は、調べてみたら物凄い山奥の大変な場所で、行ってはみたいのですがかなり大変そうです…(以前訪れた三輪山登山並みかも?)


  
  大きな地図は こちら から


 ともあれ、こうして地図にしてみると、全体に現在の京都市を南北に貫くようにポイントが集中しているのがよく判ります。
 そもそも斎院御所は平安京の北側で現在でもかなり上の方ですし、もちろん上賀茂神社・下鴨神社も同様ですが、洛中の邸宅跡は何故か綺麗に京都御所のほぼ中央、特に東洞院通の周辺にまとまっているのが面白いなと思いました。平安時代で言うと左京の東寄りになりますが、この頃にもう都の中心が朱雀大路(現在の千本通)よりも東側にずれていっているのが、こんなところからも判るのですね。

 何にせよ、図書館で史料とにらめっこしているだけでなく、時には地図片手にこうしたゆかりの場所巡りをするのも楽しいものです。とはいえ先日の抱一さんといい、こうした邸宅跡も当然今では平安京の面影など殆どなさそうですが、今年は機会を見つけてこちらも一度本格的に回ってみたいと思っています。

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あけまして抱一さん

 2012/01/23(Mon)
 年明けからばたばたしているうちに、例によってやっぱりご無沙汰してしまいました。遅まきながら今年もよろしくお願いいたします、そして今年はどうか明るいよい年になりますように。

 さて、毎年1月は仕事上忙しくてなかなか時間が取れず、昨日1/22(日)にやっと最初の博物館詣でをしてきました。見に行ったのは江戸東京博物館で開催中の「平清盛展」で、特に楽しみだった平家納経が実に華麗で美しかったです。
 ただ今回、お目当てがもうひとつありまして、実は本日の話題はそちらがメインです。昨年9月の「酒井抱一ゆかりの地巡り」の折には判らなかった、抱一生誕の地を今度こそ突きとめてやろう!(笑)というわけで、江戸東京博物館7Fの図書室へお邪魔してきました。

 そもそも今まで千尋が調べた江戸の地図は大抵が19世紀に作成されたもので、抱一さんが生まれた1761年前後、つまり18世紀後半の地図はなかなか手近になかったのです。しかし抱一が生まれたという神田小川町の酒井家別邸は、19世紀の地図にはどれを見ても載っておらず、正確な位置を知るのは無理なんだろうかとちょっと諦めかけていました。
 ところが昨年秋の酒井抱一展にて、第3回の講演会にて講師を務められた河合正朝氏にお尋ねしたところ、「18世紀の地図にはちゃんと酒井家別邸も載っていますよ」とのお答えをいただいたのです。これに力を得て、江戸の事を調べるならやはり一番頼りになるだろうと狙いを定めたのが、江戸博の図書室だったのでした。(※入場無料、ただし荷物はコインロッカーに預けることになっています)

 さて勇んで訪れたのはいいものの、果たしてどの本に目指す18世紀江戸の地図が載っているのか、江戸時代は正直専門外の千尋にはさっぱり判りません。しかし司書さんに尋ねるとさすがプロ、すかさず「それでしたらこちらですね」と、幅70~80cmほどの巨大な地図を紹介してくださいました。(物凄く重かったです…苦笑)
 この本は江戸初期から明治30年頃までの地図を年代順に掲載したもので、その中の安永8年(1779)刊行の『分間江戸大絵図完』が、どうやら抱一さんの生まれた時代に一番近いようです。(その次はもう安政年間なので該当せず) 神田小川町というから多分現在のお茶の水から神保町周辺を探せばあるだろうとあたりを付け、しばしページをめくったり戻ったりを繰り返した結果、「酒井雅禾」と記されたお屋敷を発見。もっとも酒井家の家紋である「片喰(カタバミ)」はなく、また「酒井雅禾」が本当に「酒井雅楽頭」のことでいいのかも判らずちょっと悩みましたが、別な地図で大手町の酒井家上屋敷に同じく「酒井雅禾」の記載があったので、ようやくこれでいいらしいと納得できました。

 というわけで、めでたく見つかった酒井家別邸の場所ですが、実は神田小川町よりもやや北西、西神田2丁目付近にあったようです。JR水道橋駅のほど近く、三崎町交差点のあたりがちょうど別邸跡の北端にあたるようで、現在は日本大学のキャンパスが点在する界隈ですね。
 去年の抱一巡りでも活躍した「東京時代MAP 大江戸編」(p33,35左上)によれば、この酒井家別邸跡は「大岡靭負」「石河隠岐守」と記された二軒の屋敷に変わってしまっており、18世紀には既に酒井家の手を離れていたようです。広さはほぼ100m四方くらいでしょうか、別邸とはいえ当時は抱一の父、即ち酒井家嫡男である忠仰が住まいとしていただけあって、かなり大きなお屋敷だったようですね。

 ともあれ水道橋の近くとあれば、江戸博のある両国からは総武線一本で簡単に行ける場所です。幸いまだ日没前、しかもいい具合に雲も晴れて明るくなっていたので、ちょっと寒かったですが早速現地へ向かいました。


  酒井家別邸跡
  千代田区西神田町、酒井家別邸跡。(東南角から撮影)

 それにしてもこの酒井家別邸跡、実際に行ってみて初めて気がついたのですが、今までにも何度か水道橋駅から神保町の古書店街へ行くのによく通っていた道(白山通り)のまさしく目の前だったのです。何だここだったの!?と別な意味でびっくり、あまりにお馴染みの場所だったために、何だかちょっと拍子抜けしてしまいました。(おまけに何故か和民…笑)


  三崎稲荷神社
  水道橋駅前の三崎稲荷神社。平安時代創建と伝えられる、由緒ある神社だそうです。
  (ただし現在の場所に鎮座したのは明治38年とのこと)


 そんなわけで、去年のレポもまだちゃんと終わっていない状態ではありますが、今年も機会があればなるべく抱一作品に会いに行きたいと思っています。4月には京都の細見美術館でも再び抱一展がありますし、桜が落ち着いた頃にぶらりと出かけてみるのもいいかもしれません。
 そういえば本当は去年のはずだった光琳の「八橋図」が今年こそは根津美術館に来る予定ですが、去年だったら出光所蔵の抱一作「八橋図」も一緒に出るはずだったそうで、これが駄目になったのは返す返すも残念です。とはいえ光琳の「燕子花図」と「八橋図」の共演も滅多に見られるものではないですし、これはこれで楽しみですね!

 関連過去ログ:
  ・続・江戸の抱一散歩(前編)
  ・続・江戸の抱一散歩(後編)

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