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続・江戸の抱一散歩(後編)

 2011/09/24(Sat)
 さて、前回の続・江戸の抱一散歩(前編)に続き、後半戦はもちろん例の界隈を中心に(笑)始まります。


 築地から一度人形町へ戻り、そこで都営浅草線へ乗り換え、浅草へ到着。ここでレンタサイクルを借りて、まずは駒形橋へ向かいました。左側にはスカイツリーがよく見えましたが、あいにくの曇天のため写りが悪かったのが残念…

  隅田川東岸
  5.隅田川東岸、高速駒形入り口付近。夏にはやっぱり花火も見えたかも?

 多少時間は前後しますが、抱一は出家前の一時期、本所番場というところに住んでいたそうです。現在で言うなら駒形橋のやや南、隅田川の東岸のあたりだったそうで、当時はそこに多田薬師と呼ばれるお寺がありました。(現在は他の場所へ移転)
 しかしこの場所、夏は西日が強くて暑いわ、冬は川辺だから当然風が冷たく寒いわで、はっきり言って住み心地はあまり快適ではなかったようです。(苦笑) 結局4年後、出家した抱一さんは千束へ引っ越してしまったのでした。

 ともあれここで一度浅草寺へ戻り、お次は姥が池です。

  浅草寺
  浅草寺雷門前。連休初日とあって、凄い人手でした。

  姥が池跡
  6.姥が池跡。浅草寺からほど近い割に静かな一帯。

 浅草寺北端のやや東、ちょうど隅田川との中間に位置していた姥が池は、現在は残っていません。ただ一帯は現在では花川戸公園という小さな公園になっていて、その片隅に石碑と案内板がありました。(地図ではもっと遠いかと思っていたら、浅草寺の本当にすぐそばでちょっとびっくり) ただここにも抱一はあまり長居はせず、数ヶ月足らずでまた引っ越してしまってます。


 次は言問橋を再び東岸へ渡り、スカイツリーを横目に見つつ、一路向島百花園を目指しました。しかし道がよく判らなかったので、何回か乗ったバスの記憶を頼りに走っていったら、途中で左折するところをうっかり行き過ぎてしまい、危うく迷子になるところでした。やれやれ。

  向島百花園
  7.向島百花園。小さいながらに緑豊かな風情ある庭園です。

 今年は既に中秋の名月は過ぎてしまいましたが、園内は抱一も描いたなよやかな藤袴や女郎花、それに咲き始めの萩や穂を開いた薄など、すっかり秋の気配も濃厚な風情でした。名物の萩トンネルはまだ咲き始めで、ピークはもうしばらく先のようでしたが、連休ということもあってか意外にお客さんが多かったです。

  百花園・藤袴 百花園・女郎花
  藤袴と女郎花。夏秋草図を思い出させます。

 なおこの百花園、今までにも何度か触れたとおり、抱一の友人の一人であった佐原鞠塢が作った庭園でした。そもそも「百花園」という名前自体、抱一が名付けたものと言われているくらいに抱一さんとは縁の深い場所で、ここで抱一さんは友人たちとしばしば句会を開いたりして楽しんでいたそうです。

 参考リンク:向島百花園東京都公園協会提供


 さて、ここまでで結構時間をロスしてしまったので、帰りは判りやすく隅田川沿いに戻ることにしました。たださすがにちょっと疲れていたので、途中の和菓子店「言問団子」でちょっと一服です。このお店は毎年百花園へお月見団子をお納めしているそうで、前から一度行ってみたかったのですよ。(^^)
 なお余談ながら、大名家出身の若旦那で大変な遊び人というイメージの抱一さんですが、実はお酒に関してはまったくの下戸でした。大親友だった亀田鵬斎などは大層な酒豪だったそうですが、お酒のだめな抱一さんはもしかして甘党だったんでしょうか?(名前は「酒井」なのに…笑)

  言問団子
  言問団子。お茶碗やお皿の絵柄も可愛い都鳥(^^)

 参考リンク:言問団子公式サイト


 ともあれ甘いお団子と美味しいお茶で小休止ののち、隅田川沿いを南下して再び言問橋へ向かいました。ところが途中、地図にはなかったはずの橋がありまして、見ると車は通れない歩行者限定の橋だったのです。うわーラッキー、と喜んで渡り、しばらく西に向かうと何と、ちょうどお目当ての八百善跡と思われるまさにどんぴしゃりの場所でした。

  八百善跡
  八百善跡? 今は銀行のビルが建っています。

 なお八百善は、一時江戸東京博物館にお店を出していたことがあったそうです。そうと知っていたら一度行ってみたかったのに、ううん残念…


 さてここまで来ると、吉原大門まではあと少しです。ちなみにその中間あたりの紙洗橋付近も、姥が池の後一時抱一さんが暮らしていた場所でした。…何だか段々吉原に近くなっていきますね。

  紙洗橋
  紙洗橋付近。昔は橋があったそうですが、今は交差点。


 吉原大門跡も、今ではすっかりごく普通のただの交差点で、かろうじて「見返り柳」と石碑、そして案内板が往時の記憶をとどめているだけでした。(もうちょっと奥まで行くと、イロイロあるらしいですが。笑) ちなみに抱一さんは実家酒井家からは結構なお手当をもらっていたそうで、そのおかげかあるいは町人でも裕福な階層に友人が多かったこともあってか、出家後も吉原通いは相変わらず続いていたそうです…(^^;)

  吉原大門 見返り柳
  8.吉原大門跡、交差点と見返り柳。さすがに柳は何代か代替わりしたそうです。


 これで浅草界隈は一通り回り終えたので、一度レンタサイクルを返却しに戻った後は、いよいよ最後のポイントである下谷根岸です。ちょうど東武浅草駅前から日暮里行きの都営バスが走っているので、いつもとは逆の方向から向かいました。

 下谷三丁目のバス停で下車、金曽木小学校前交差点を渡って右へ曲がり、徒歩1分程度で左手に雨華庵跡があります。
(注・日暮里から錦糸町行きの場合は、交差点を渡らずバス停手前の道を左折)

  雨華庵跡
  9.雨華庵跡。今は小さな案内板が立っているのみ。

 ここも一見した限りではごく普通の、どこにでもありそうな閑静な住宅街です。ただ近くにある小さな神社がかろうじて江戸の面影を偲ばせる趣を残していましたが、あのお社は抱一さんが暮らしていた頃からあの場所にあったんでしょうか?
 ともあれ抱一さんは49歳の年の暮にここへ転居、68歳で亡くなるまでの20年近くをこの地で過ごしました。55歳の時に開いた光琳百回忌の遺墨展もこの近くの寺院が舞台であり、そして今からちょうど190年前、あの名作「夏秋草図屏風」が生まれたのも、もちろんここ雨華庵だったことでしょう。
 
 なお「もっと知りたい酒井抱一」「別冊太陽・酒井抱一」などに掲載の「雨華庵図」(田中抱二筆)によれば、雨華庵は四部屋ほどのごく小さな屋敷と同じくらいの広さの庭からなる、名門大名家出身者の住居としては実につつましい住まいであったようです。(字が小さくて判りにくいけれど、画所(アトリエ)と座敷、茶間、仏間とあります) とはいえ庭には魚の泳ぐ池の周囲に松や梅の樹、また四季折々の草花が植えられていたようで、縁側からその庭を眺めつつあの瀟洒な草花図を描いていた抱一さんの姿が彷彿としてくるようですね。


 ところで回っている途中で気がついたのですが、浅草~吉原大門~下谷にかけてのルートは、ちょうど台東区の巡回バスが走っているコースにぴったり一致していました。今回は事前調査で気がつかなかったけれど、このバスを利用すれば自転車なしでも比較的効率よく回れそうです。

 参考リンク:台東区巡回バス「めぐりん」
       路線図は「北めぐりん」路線マップをどうぞ

 それにしても、実際に回ってみると浅草一帯のポイントは本当に吉原を中心に展開しているのがよく判って、抱一さんのこだわり?が大変よく実感できました。(笑) 百花園や雨華庵も思ったほど遠くはありませんし、しかも春に玉蟲敏子先生の講演でも聞いた通り、このあたりまでくると千住ももう目と鼻の先くらいの近さなんですね。
 さすがに運動不足の現代人は健脚だった江戸の人たちには敵わないでしょうが、それにしても一日ゆっくり時間をかければ、バスや電車を使わず足で歩いて回るのも面白そうだと感じました。というわけで、足に自信のある方はぜひ試してみてください。


  
より大きな地図で 酒井抱一ゆかりの地 を表示


 最後になりましたが、今回の抱一巡りにあたって「もっと知りたい酒井抱一」の他、以下2冊の地図にも大変お世話になりました。

  
東京時代MAP―大江戸編 (Time trip map-現代地図と歴史地図を重ねた新発想の地図-)東京時代MAP―大江戸編
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嘉永・慶応 新・江戸切絵図―時代小説の舞台を見に行く (古地図ライブラリー)嘉永・慶応 新・江戸切絵図
(2010/09)


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 「東京時代MAP」は古い地図をベースにすべて活字化した新しい地図となっており、また現代東京の地図をトレーシングで古地図の上に重ねる形式が大変判りやすいです。また「新・江戸切絵図」の方は「東京時代MAP」には載っていない範囲もカバーしており、また時代小説の舞台紹介やコラムなどが大変充実していてこれもお勧めです。

 関連過去ログ:
  ・続・江戸の抱一散歩(前編)
  ・江戸の抱一散歩
  ・千住と抱一
  ・続・意外な二人の意外な関係(箱崎・酒井家中屋敷跡)
  ・意外な二人の意外な関係(大手町・酒井家上屋敷跡)
  ・ちょうどお彼岸なので(築地本願寺・抱一墓所)
  ・もっと知りたい抱一さん(下谷根岸・雨華庵跡)
  ・新春抱一巡り/十五夜お月さん(向島百花園)

 なお今回の抱一関連スポットを含め、抱一関連のリンク集も作っておりますので、興味のある方はご参照ください。

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続・江戸の抱一散歩(前編)

 2011/09/23(Fri)
 本日9月23日お彼岸に、それに合わせてというわけではないのですが、かねてから念願だった酒井抱一ゆかりの地巡りに行ってきました。
 元々この計画は今年5月に予定していたのですが、当日何と季節外れの台風の影響で天候は大荒れ、おかげで当然中止となってしまったのです。(何しろかなり広範囲を歩き回る予定だったので) その後梅雨から真夏へ突入してしまい、気候の厳しさもあってなかなかチャンスがなかったのですが、やっと今回実現に漕ぎ着けることができました。

 なお今回は初の試みということもあり、ルートは大体抱一の生涯に合わせて、以下の通りに設定しました。

 1.神田小川町(抱一生誕の地)
 2.将門首塚(酒井雅楽頭家上屋敷跡)
 3.中央区立日本橋小学校(酒井雅楽頭家中屋敷跡)
 4.築地本願寺(抱一出家の地&抱一墓所)
 5.隅田川東岸(旧本所番場、抱一住居跡)
 6.姥が池(浅草寺側、抱一住居跡)
 7.向島百花園(別名新梅屋敷、抱一の友人佐原鞠塢の庭園)
 8.吉原大門跡(見返り柳)
 9.雨華庵跡(下谷根岸、抱一晩年の住居跡)

 このうち首塚や本願寺、百花園、そして雨華庵跡などは今までにも何度か足を運んだことがありますが、それ以外の場所については実際の詳しい場所や交通手段などについてあまりよく判っていなかったため、正直言って全行程でどのくらい時間がかかるのか判りませんでした。特に浅草界隈は、百花園まで足をのばそうと思うと結構な距離があり、電車やバスを駆使しても大変そうです。さてどうしたものかと悩んだ末、直前になってふと思いつき調べてみたところ、さすが観光地浅草、ばっちりレンタサイクルがあるのですね! よし、それなら多分実質6時間もあれば何とかなるだろうと見当をつけました。

 そんなわけで、スタートは朝11時、上野から出発です。(なぜ上野かというと、出発前に先に恐竜展を見に行ったためです。笑)
 
 JRで秋葉原にて乗り換え、御茶ノ水で下車、聖橋口を出てニコライ堂横の坂道をてくてく下っていくと、その先の大きな交差点が神田小川町です。残念ながら肝心の酒井家別邸の正確な位置は事前調査では判らなかったので、とりあえず去年の「美の巨人たち」でも紹介されていた交差点の写真を撮ってきました。


  神田小川町
  1.神田小川町。おなじみ神保町の古書店街からすぐ近くです。

 この酒井家別邸は、当時酒井家の跡継ぎであった抱一の父・忠仰の住まいであったそうです。なるほど、何故上屋敷でないのかと思ったら、お父さんがまだ当主でなかったからなのですね。(しかし忠仰は結局、姫路藩主となることのないまま若くして亡くなってしまいました)


 さて次は、個人的に大変おなじみの(笑)首塚です。
 小川町から少し歩き、地下鉄淡路町駅から丸ノ内線に乗って、ひとつ先の大手町で降りました。いつもは東京駅からてくてく歩いていくのですが、大手町も路線によっては結構遠いです…(^^;)


  将門首塚
  2.将門首塚。酒井雅楽頭家の上屋敷は、大手門前の超一等地でした。

 ところで大名屋敷には上屋敷・中屋敷・下屋敷の三種類がありますが、これらの違いは実に単純明快で、要するに江戸城からの距離により区別されるのだそうです。上屋敷は藩主と家族の住居、中屋敷は嫡子やご隠居様(笑)の住居、下屋敷は別邸や庭園等、役割分担もはっきりしていたようですね。
 ともあれ、若かりし頃の抱一さん(当時の呼び名は主に「栄八」でしたが)は、兄忠以が家督を継いだ後に上屋敷へ移り住み、文雅豊かな青春を送ったようです。早くに両親が亡くなったとはいえ、この頃が抱一さんにとっては最も何の悩みもない幸福な時代だったことでしょう。

 参考リンク:将門塚(千代田区観光協会提供)


 さて話戻って、この時点でもうお昼近かったため、近くのビルで昼食がてら軽く休憩ののち、再びツアー再開です。今度は東西線と日比谷線を乗り継いで人形町へ向かいましたが、それにしても大手町は乗換えが大変ですね;

  日本橋小学校
  3.日本橋小学校。酒井雅楽頭家中屋敷の北端に位置します。

 大手町の上屋敷も地図で見ると実に大きいですが、ここの中屋敷も相当に広かったようで、日本橋小学校の敷地もごく一部分なんです。それはともかく、小学校の正門側(人形町駅に近い、北東に面した方)は一見するととても学校には見えなくて、最初道を間違えたかと思ってしまいました。(でも裏側は上の写真のとおり、グランドの見える普通の学校でした。笑)
 なお以前ちらっと触れましたが、ここは明治維新で一時期西郷隆盛の屋敷にもなっていたそうで、正門のすぐ脇にも案内板がありました。西郷さんと言えば上野のあのイメージが強いですけれど、こんなところに名残があるのですね。

 ところで抱一がこの中屋敷に引っ越したのは30歳、仲のよかった兄忠以が亡くなる直前のことで、この頃から抱一さんは酒井家で段々と肩身の狭い立場になっていったようです。既に10年以上前、兄に嫡男が誕生して仮養子から外されていた抱一さんは、一体どんな気持ちでここへ移ったのでしょう。
 そんなことに思いを巡らせながら、次は再び日比谷線で、築地の本願寺へ向かいました。


  築地本願寺
  4.築地本願寺。お彼岸なのでお参りの人が多かったです。

 寛政9年(1797)、37歳の抱一はここで出家しました。本人にとっては不本意な、しかしやむを得ない選択であったらしいということですが、この後彼は本格的に「抱一」を名乗り光琳流の新たな画風へと突き進んでいくことになります。そうした人生の一大転換点でもあったこの寺院に、今抱一さんの墓所があるというのも奇しき因縁のようなものを感じさせますね。
(注:抱一墓所は、本願寺正門を入って左手の奥、北側道路沿いにあります)


  築地本願寺・抱一墓所
  三年ぶりのお墓参り。大琳派展以来ですね。(^^)

 参考リンク:
  ・築地本願寺公式サイト
  ・酒井抱一墓(中央区観光協会提供)


 というわけで、私たちが知る「酒井抱一」としての彼の後半生は、ある意味ここからが本当の始まりです。…なのですが、今日は一日駆けずり回ってすっかり疲れ果ててしまったので(苦笑)、続きはまた明日。


  
より大きな地図で 酒井抱一ゆかりの地 を表示


 関連過去ログ:
  ・江戸の抱一散歩
  ・千住と抱一
  ・続・意外な二人の意外な関係(箱崎・酒井家中屋敷跡)
  ・意外な二人の意外な関係(大手町・酒井家上屋敷跡)
  ・ちょうどお彼岸なので(築地本願寺・抱一墓所)
  ・もっと知りたい抱一さん(下谷根岸・雨華庵跡)
  ・新春抱一巡り/十五夜お月さん(向島百花園)

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雨の夏草 風の秋草

 2011/09/18(Sun)
 本日の日曜美術館は、お久しぶりの酒井抱一でした。現在姫路にて開催中の特別展がいよいよ来月には千葉へやってくるとあって、生誕250年の抱一イヤー締めくくりとして大変楽しみです。しかも今回は「大回顧展」というだけあって、国内に存在する抱一作品の大半を一挙に見られる凄いものなのですよ。番組に登場した「波図屏風」(静嘉堂)やこの春堪能した「紅白梅図屏風」(出光)、またペンタックス所蔵?の「月に秋草図屏風」などは残念ながら出ませんが、今まで存在は知っていても実物に接する機会のなかった作品が目白押しで、これは抱一ファンたるもの絶対見逃すわけには行きません。ああ、10月が今から待ち遠しい…!(本当は姫路へも行きたかったんですが、さすがにちょっと無理そうです。^^;)


夏秋草図1
おなじみ「夏秋草図」。千葉市美術館にもやってきます!


 さて話戻って日曜美術館ですが、今回はタイトル通り代表作「夏秋草図屏風」をメインに据えつつ、抱一の画業をその生涯と合わせて辿る形式でした。中でも抱一自身の語りという形を取った演出は今まで見たことのないもので、最初の科白がいかにも江戸っ子のちょっとべらんめえ風な、落語を思わせる砕けた口調だったのにはちょっとびっくり。しかも声が永井一郎氏(!)というのにまた驚きましたが、庶民文化に親しみ自由気ままに生きたと言われる抱一さんのイメージを考えると、なるほど似合っていなくもないかと面白かったです。(でもやっぱり時々ちょっと「弾けすぎ」のような気も…笑)

 ともあれ、若い頃の浮世絵を描き町人たちと交際した時代から、やがて時代の変化や兄の死、その後の出家を経て光琳と出逢い、そして自らの画風を確立していくまでの生涯がとても判りやすく紹介されていました。特にハイライトの「夏秋草図」の解説は、去年の「美の巨人たち」よりもう一歩踏み込んで、制作の背景や表の「風神雷神図」との対比性等も詳しく説明されていたと思います。特に色使いが「風神雷神図」と共通しているという点は、言われないと意外に気がつかないものですよね。(私は以前何かの本で読みましたが、母がこれに驚いてました)


天上の神々から地上の草花への変奏。
夏秋草図3 夏秋草図2
緑は風神の体、白は雷神の体、赤と群青は風神雷神の衣装に通じる。


 それにしても改めて、酒井抱一という人は絵も大変魅力的ですが、ご本人の生涯もまた非常に興味をそそられる面白い人ですよね。名門大名家出身でありながら町人たちと交際し、百年も昔の絵師尾形光琳に傾倒して自ら百回忌と大回顧展まで開いてしまった(笑)等々、色々な意味でこんな楽しい画家はちょっと他に知りません。昔から言われるように、あの頃の芸術家としては相当に自分の好きなように生きられた人だったのでしょうね。

 とはいえ、抱一さんは抱一さんなりに苦労がないわけではなかったでしょうし、特にその作品を見る限り、俵屋宗達や伊藤若冲のようにただ「絵を描くのが楽しくてたまらない」屈託のなさはあまり感じられません。さりとて中途半端なセンチメンタルさに酔っているだけならそれが嫌味で鼻につきそうなものですが、抱一の作品、とりわけ夏秋草図の世界に満ちている、あの不思議な物悲しさを漂わせた風情は一体どこから来たものなんでしょうか。若い頃の俳諧では結構羽目を外した姿も伺えますし、また抱一の交流した人脈は実に幅広く、ひたすら絵だけに没頭した偏屈な人物というわけではなさそうなのです。
 もっともあるいは玉蟲敏子氏のおっしゃる、武家と町民の二つの世界の「あわい」に生きた抱一だからこそ、結局はどちらにも属し切れなかった彼の内奥に潜む孤独がその源かもしれません。それが同時代に生きたどんな絵師よりも、決して逢うことの叶わない光琳という先達へのあれほどの情熱の一因でもあったのだろうかと、番組を見終わってからふと思いました。

 なお今回驚いたのが、番組ゲストが何と歌舞伎俳優の坂東玉三郎氏だったことでした。何故に玉三郎さんと抱一?と思っていたら、何と玉三郎さんは抱一の大ファンで、ご自分でも抱一の絵をお持ちなんだそうです。(!) そういえば数年前の大琳派展の座談会にも出ておられましたが、まさか作品を所蔵するほどお好きだとは知りませんでした。う、羨ましい…!(ちなみに細見美術館の細見氏とも、抱一絡みでお友達だとか)
 で、玉三郎さんが抱一に興味を持たれたそもそものきっかけは、歌舞伎の「与話情浮名横櫛」の中で抱一の掛け軸について触れる科白があって、それでどんなものだろうと思ったのが最初なんだそうです。そういえば抱一さんは七代目団十郎とも親しかったというくらいで、ご本人が歌舞伎と縁があったんですよね。

 ともあれ、今日の放送は来週9/25夜にも再放送されます。見逃してしまった方は、ぜひお忘れなく!


 関連リンク
  ・生誕250年記念展 酒井抱一と江戸琳派の全貌 2011年10月10日(月・祝)~ 11月13日(日)
   ※この後細見美術館へ巡回予定

 関連過去ログ
  ・闇はあやなし梅の花
  ・可憐な四季の花と小鳥たち
  ・今年は酒井抱一!
  ・月明かりの草花
  ・夏の雨、秋の風
  ・幸せな人か、それとも

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