白い毛皮の黒いぶち

 2011/07/10(Sun)
 このところ調査中の源氏物語の中に、末摘花と呼ばれる姫君が纏う毛皮の話があります。平安初期には貴重で高価な舶来品だったものの、女性が使うにはおよそ不向きなものであったらしく、初めてそれを見た光源氏は(確かに寒い冬の日だったとはいえ)彼女の衝撃的な醜女ぶりも相まって呆然とした、というエピソードは有名です。
 で、この毛皮、原文では「黒貂(ふるき)の皮衣(かはぎぬ)」とあります。クロテンことセーブルといえば今でも高級毛皮でお馴染みですが、ここでふと思い出したことがありました。

 西洋の王侯貴族の肖像画には、しばしばマントの裏地やケープ等に豪華な毛皮を使っているものが見られます。白の地に黒い小さな斑点が散っているあれで、特にお馴染みなのは太陽王ルイ14世の肖像画でしょう。

  ルイ14世
  イアサント・リゴー「ルイ14世」(ルーヴル美術館)

 ところでこの小さな黒い斑点、千尋はずっとああいう模様の毛皮だと思っていたのです。ところがある時(確か江戸東京博物館のエルミタージュ展だったと記憶していますが)、ロシアの女帝エカテリーナ2世のものだったという毛皮のマントの実物を間近で見て、びっくり仰天しました。

 何とこの斑点、実は毛皮の模様ではなくて、尻尾の先の黒い部分だったのです。(!)

 いや正直、それまでずっと某101匹わんちゃんのダルメシアンのような(笑)毛皮だとばかり思い込んでいた千尋にとっては、これは大変なカルチャーショックとも言うべき衝撃でした。確かによく考えてみればあれはいわゆる「アーミン」の毛皮で、アーミンというのはシロテンの純白の毛皮を使ったものですから、その毛皮で黒い部分は尻尾の先端しかないのです。コート等に使われるアーミンはその尻尾をつけた毛皮をずらりと並べてはぎ合わせたもので、だから絵画ではあんな風に一面に黒い模様が散っているようにしか見えませんが、近くで見ると尻尾がたくさん並んで(というよりぶら下がって)いるのですよ。

  マリア・テレジアの毛皮
  「女帝マリア・テレジアの肖像」

 ↑この絵だとかなり判りやすいですが、こうして見ると要するにそのコートなりケープなりに何匹のアーミンが使われたか、尻尾の黒い点を数えれば判るのです。おまけにその尻尾が何だか妙にリアルというか生々しくて、正直言って私にはあまり気持ちのいいものではありませんでした。
 もっとも、アーミンことシロテンは本当はテンではなくイタチの仲間のオコジョのことで、セーブルのクロテンや同じイタチ科でこれまた高級毛皮のミンクに比べ、大きくても体長30センチ程度の小柄な生き物です。従って一匹から取れる毛皮の面積もかなり少ないので、その分あんな大きなマントを作るにはさぞ何百匹もの毛皮が必要だったでしょう。(参考までに、上に挙げたルイ14世肖像のマントは少なくとも140以上の尻尾が確認できます)
 しかもオコジョは夏は普通の地味な茶色の毛皮で、あの純白の毛皮は雪が降る冬に合わせて生えかわった後、再び夏毛に戻る春までの間しか手に入らないものです。それだけに、厳しい冬のさなかに野生のオコジョを狩猟で捕らえる手間を考えただけでも、どれだけ高価なものだったか想像に難くありません。そういう貴重な毛皮だからこそ王侯のみが身につける高貴の象徴ともされ、紋章の模様にもなったということですが、それにしてもあの尻尾は本当に実物を見ると衝撃的でした…

 それにしても不思議なのは、どうしてあの尻尾もわざわざ一緒に使ったのか、ということです。尻尾があるからといって面積が増えるものでもなし、別に切り落としてしまって純白の部分だけを使ってもよさそうなものですが、敢えて尻尾も使ったのは何か理由があったんでしょうか。
 これについて、以前やはり実物を見て驚いたという友人とも話したのですが、そこで彼女に「もしかすると他の毛皮と区別するためではないか」と指摘を受けました。アーミンの毛皮の質感や手触りなどは私はあいにく判りませんが、純白というだけならウサギやキツネでもありますし、それに比べるとあの先端だけが黒い尻尾は確かにアーミン特有のもののはずです。ちなみにフェルメールの絵にも白地に小さな黒ぶちの毛皮が時々登場しますが、あれはどう見てもアーミンの尻尾ではないですから、元々ああいう模様の毛皮であったか、もしくはアーミン風にわざと着色する等したものでしょう。

 ここまで書いて気になって調べてみたら、以下の論文にも同じ指摘がありました。やっぱりあれをアーミンだと誤解した人は結構いたらしいですが、でもあれがあんな尻尾だということを知っていれば、絶対そんな誤解は出てこなかったはずなんですよね。(ということは、本場ヨーロッパの人たちも案外あれが尻尾だと知らなかったんでしょうか?)
 しかし読んでみてまたびっくりしたのですが、同論文によるとアーミンのあの尻尾は何と、毛皮から一度切り離したものをわざわざ好みの配置につけ直したものなんだそうです。(!!) なので理屈としては、実際に使っている毛皮よりもたくさんの尻尾をつけることも可能ですが、それだと尻尾をつけられない毛皮が余ってしまいますから、多分使った毛皮の分の尻尾をつけたと素直に考えて差支えないだろう、と解釈しました。
 もっとも穿って考えれば、他の似たような白い毛皮に尻尾だけつけるということも可能ではありますが(笑)、何しろあれをお召しになったのは正真正銘の王侯貴族の人々です。フェイクファーで満足する程度の下々の庶民ならいざしらず、ああいう人たちは金に糸目をつけない分本物の高級品のみを使い、とりわけアーミンは王権の象徴と見なし紋章にまで取り入れるほど誇りにしていたのですから、まさかそんなレベルの低いみみっちい小細工はしなかったでしょう。(多分)

参考論文:
 ・フェルメールの斑点入り毛皮をめぐる「アーミン」言説の再考(全文PDFあり)
  三友晶子(日本家政学会誌 56(9), 617-626, 2005) Cinii提供

  フェルメール「手紙を書く女」
  フェルメール「手紙を書く女」(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)

今回の画像提供:Wikimedia Commons

 ところで話は戻りますが、そういえば101匹わんちゃんでのダルメシアンの子犬誘拐は、そもそも子犬の毛皮でコートを作りたいからという動機からだったんですよね。もしかするとあれも実は、本当はアーミンがいいけどそれは無理だからせめて似たような黒ぶちの白い毛皮が欲しかった、ということだったりしたのかな、なんてふと思いました。

 …それにしても、昨日は関東甲信越も梅雨明けで大変な猛暑だったというのに、何だかますます暑苦しくなりそうな話題でしたね。(笑) 前から引っかかっていたのでつい忘れないうちにと書いてしまいましたが、せめて冬に書けばよかったかしら…?

スポンサーサイト
タグ :

絢爛たる謎

 2011/07/06(Wed)
 古い日本美術の展示会などに足を運ぶと、時折百人一首の歌人を題材にした絵画作品に出逢うことがあります。中でも有名なのは尾形光琳作の「光琳かるた」でしょうが、残念ながらこれはいまだに実物を見る機会には恵まれていません。(複製はよく売っていますけれど)
 それはさておき、千尋が今まで見てきた中で特に素晴らしいと思ったのは、狩野探幽による「百人一首画帖」です。今に伝わる「百人一首画帖」作品の中でも特に古いものだそうで、昔探幽展で在原業平と右大将道綱母の絵を目にする機会があり、その王朝風の優雅で洗練された美しさに一目惚れしてしまいました。
 ところがこの作品、「画帖」というとおり冊子の形式になっているものですから、美術展では当然一度に全部の作品を見ることはできないのです。酒井抱一の「絵手鑑」といい、こういう作品は観覧する側には非常に悔しいもので、しかも全部の作品を収録した画集などがないというのがまた悔しいのでした。

 しかも探幽の「百人一首画帖」の場合、さらに困ったことに、この画帖を描いたのは探幽一人ではないのです。百人の歌人たちを探幽と四人の絵師が一人二十人ずつ分担して描いたもので、おまけに探幽が描いた二十人が誰々なのかも判らないのですよ。(ちなみに探幽展で図録に掲載されていたのは十人でした)
 というわけで、百人一首の本で図版の豊富なものを見かけると、必ず手にとって探幽の画帖がないか調べてみたのですが、探幽筆の二十人全員を載せている本というのはやはり見当たりません。しかもこの画帖、どうやら個人所蔵らしくてその後美術展でお目にかかる機会にも恵まれず、長らくこの問題は保留のままでした。

 ところが最近、たまたまweb上で久しぶりに、この画帖の一部を引用した写真を見かけました。出典は別冊太陽愛蔵版の「百人一首」という本らしく、今まで見たことがありません。しかもさらに調べてみると、この愛蔵版は1974年発行で当時一万円(!)という凄いお値段だったのです。百人一首を紹介する本は数多くありますが、ここまで豪華なものはちょっとお目にかかったことがなく、もしやと思いました。
 そしてさらにあちこち調べた結果、ようやくその愛蔵版の実物に出逢えました。表紙からして探幽筆の美しい「伊勢」の絵で、どきどきしながらページをめくってみると、まさしく念願の探幽の手になる二十人の歌人たちが見事全員勢揃い! しかもさらに嬉しいことに、特別付録として実物大紫式部(もちろんこれも探幽筆)の口絵までついていて、もう大感激でした。今ではなかなか手に入らない絶版本なのが惜しいですが、やっと長年の疑問のひとつが解消して嬉しかったです。

 というわけで、「百人一首画帖」のうち、探幽作の二十人は以下の面々でした。

 ・天智天皇 ・持統天皇 ・柿本人麻呂 ・山部赤人
 ・小野小町 ・河原左大臣(源融) ・在原業平 ・伊勢
 ・管家(菅原道真) ・紀貫之 ・右大将道綱母(蜻蛉日記作者) ・和泉式部
 ・紫式部 ・皇太后宮大夫俊成 ・式子内親王 ・後京極摂政前太政大臣(九条良経)
 ・前大僧正慈円 ・権中納言定家 ・後鳥羽院 ・順徳院

 さすが探幽、百人一首の中でも一際豪華な顔ぶれです。このうち女性の歌人は七人で、百人一首全体で二十一人ということを考えるとかなり高い割合でしょう。(何故か清少納言は抜け落ちてますが) しかもさらに少ない皇族の女性二人(持統天皇と式子内親王)もしっかり独占していて、持統天皇が十二単を纏っているのは変なのですが(笑)そんな考証もどうでもいいくらいに美しい絵で大感激でした。
 というわけで、先日賀茂斎院サイトを立ち上げた縁もあることですし、ここでは式子内親王をご紹介。


  探幽作式子内親王
  「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」


 別冊太陽愛蔵版は見開きのため、この画像は吉原幸子著『百人一首』(平凡社)より引用しました。しかしこの構図、かの有名な佐竹本三十六歌仙の斎宮女御(徽子女王)とそっくりなのですよね。
 確かに斎宮女御と式子内親王は、伊勢斎宮と賀茂斎院出身の女性皇族歌人という珍しい共通点を持つ人たちで、時折対で描かれているのを見たりもしますが、あの構図は斎宮女御の絵の中で一番有名なものというわけではありません。それに画帖の他の絵は、佐竹本と同じ人物を描いていても、構図は全然違っているのです。(例えば小町は正面を向いた細長姿で、逆に佐竹本小町のあの後ろ姿にそっくりなのは何故か紫式部です) 人麻呂も元々伝統的にあの構図が決まっていたはずだから真似とは言えないし、果たして探幽はあの佐竹本を見たことがあったのでしょうか?

おまけ:
  
色鉛筆で描く大人のぬりえ塾 百人一首画帖〈1〉(色鉛筆で描くぬりゑ塾)色鉛筆で描く大人のぬりえ塾 百人一首画帖〈1〉
(色鉛筆で描くぬりゑ塾)

(2006/09/16)
小峰 和子

商品詳細を見る


  
色鉛筆で描く大人のぬりえ塾 百人一首画帖〈2〉(色鉛筆で描くぬりゑ塾)色鉛筆で描く大人のぬりえ塾 百人一首画帖〈2〉
(色鉛筆で描くぬりゑ塾)

(2006/10/16)
小峰 和子

商品詳細を見る


 何故か表紙画像が出ませんが、1巻の表紙は探幽筆の持統天皇です。(2巻は崇徳院)

タグ :

葵の御所開設

 2011/07/02(Sat)
 以前からこつこつと「賀茂斎院」について調べてきたのですが、この度思い切って以下のHPを開設いたしました。

  「葵の御所 ~賀茂斎院とその歴史~

 というのも、同じような制度として知られる伊勢斎宮については割合とっつきやすい資料があり、伊勢神宮の近くには斎宮歴史博物館という立派な施設も存在するのに、賀茂斎院については博物館どころか研究書も殆ど見かけないのです。(故角田文衞先生もこのことは嘆いていたとか) もっとも京都は何しろ平安から近世まで非常に長い歴史を誇る「千年の都」ですから、なかなか賀茂斎院のようなマイナーな(涙)テーマにまでは手が回らないらしいのですね。(葵祭や斎王代はあんなに有名なのに…)

 とはいえ元々千尋は斎宮・斎院の両方に興味があり、伊勢神宮や斎宮歴史博物館にも何度か訪れていますが、同じくらい京都の下鴨神社もファンなのです。(特に初夏の糺の森は、境内の静かな佇まいと爽やかな新緑の美しさがそれは素晴らしくて大好き) それだけにちょっと淋しいなと常々思っていたので、それじゃあひとつ自分でやってみようかと資料集めにかかったのでした。

 ところがこれが甘かったと言うか、確かに斎院は斎宮より期間が短く人数も少ないのは事実ですが、逆に斎宮に比べて史料の多い人は本当に多いのですね。特に院政期の准母立后したり女院になったりした前斎院などは、「大日本史料」をちょっとめくっただけで出てくること出てくること、とても一朝一夕で手に負えるものではないんです。そもそも調査を思い立ったのは一昨年の夏で、ここ2年余り暇を見つけて図書館で資料を漁ってデータを入力してきましたが、後半は年表の見出しを作るだけで精一杯でした…やれやれ。(中でも一番手強いのは31代式子内親王で、この人に関してはなまじ歌人として有名なだけに、歌集や論文まではとても手が回らないんですよー!)

 ともあれ、とりあえず一通り最小限のデータは何とか揃ったので、これからは暇を見つけてぽつぽつと更新して行ければいいなと思っています。特に斎宮・斎院の歴代の卜定事情については、研究者の皆様の論文を見てもあまり指摘しているものがないようなので、素人の怖いもの知らずでかなり適当に言いたい放題の考察をしてみました。平安時代や斎院制度に詳しい方、または興味のある方でご感想などありましたら、一言コメントをいただければ嬉しいです。(^^)


本日のおまけ:

  下鴨神社(御蔭祭)
  2007年5月12日、御蔭祭の日撮影の下鴨神社。
  5月と言えば15日の葵祭が断然有名ですが、12日の御蔭祭はまたちょっと違う味わいがあって好きです。


で、賀茂斎院といえばもうひとつ。

  鶴屋吉信
  鶴屋吉信さんのお菓子から、5月限定のその名も「賀茂斎王」。(笑)
  ほんのり淡く涼しげな緑と紫が上品な、平安時代の夏の単衣重の衣裳を思わせるお菓子です。

タグ :
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫