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江戸の抱一散歩

 2011/04/23(Sat)
 かねてから一度やってみようと思っていた、江戸の酒井抱一ゆかりの地マップをちょっと作ってみました。まだ実際に訪れたことのない場所も含むので、厳密な位置は少々あてにならないかもしれませんが、大体こんなところかと。


  
より大きな地図で 酒井抱一ゆかりの地 を表示

 玉蟲先生の「もっと知りたい酒井抱一」では、抱一ゆかりの地として9か所が挙げられていましたが、ここでは隅田川東岸は省いています。また特に肝心要の、抱一生誕の地である神田小川町の酒井家別邸も、確かな場所が判らないので今回は外しました。手持ちの文化八年の江戸図では、一ツ橋の近くにそれらしき「酒井」の名前が見られるのですが、この頃の酒井さんは何も姫路藩の雅楽頭家だけではないのですよね。松平さん等もそうですが、大名家は同じ名字でもあちこちに分家が散らばってるので面倒です。やれやれ。

 ところで去年放送の「美の巨人たち」でも言われていたように、抱一さんは何度も点々と住居を変えつつも、どこも吉原からの距離はそう極端に変わっていないのですね。(笑) また以前雨華庵跡を訪れた時は気付かなかったのですが、改めて地図で見ると確かに千住まではもう一息というくらいの近さで、なるほどこれは縁があっても不思議ではないなというのがよく判ります。

 ともあれ、今後もっと色々調べてみて、酒井家別邸の他にも面白そうなものがあれば随時追加していくつもりです。(例えば八百善とか。笑) もちろん実際にその場所を巡り歩くのも前からやってみたいと思っていましたし、今年は特に抱一生誕250年ですからまたとない機会ですが、さていつにしようかしら…?

  参考書籍:
  
もっと知りたい酒井抱一―生涯と作品もっと知りたい酒井抱一―生涯と作品
(2008/09)
玉蟲 敏子

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 関連過去ログ:
  ・千住と抱一
  ・続・意外な二人の意外な関係(箱崎・酒井家中屋敷跡)
  ・意外な二人の意外な関係(大手町・酒井家上屋敷跡)
  ・ちょうどお彼岸なので(築地本願寺・抱一墓所)
  ・もっと知りたい抱一さん(下谷根岸・雨華庵跡)
  ・新春抱一巡り/十五夜お月さん(向島百花園)

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千住と抱一

 2011/04/16(Sat)
 今日はただ今足立区立郷土博物館にて開催中の「千住の琳派」(2011/4/9-5/15)へ行ってきました。
 最初タイトルを見た時は「千住と琳派??」と見慣れないキーワードに首を傾げ、どうしようかなーと思ったのですが、その後何とかの酒井抱一研究第一人者・玉蟲敏子先生が講演会にご登場(!)との情報に遭遇。もちろん「これは絶対に行かねば!」と即座に決意、お昼前の地震で一時足止めに遭いつつも、何とか無事会場に到着できました。

 さて、その講演会レポに入る前に、まず今回の特別展の主役から簡単にご紹介。
 今回中心となっているのは、村越基栄(1808-67)・向栄(1840-1914)という親子二代の絵師で、父の基栄はその名に「基」の一字があることからも判る通り、鈴木基一門下で抱一の孫弟子にもあたる、いわゆる江戸琳派の系譜に連なる人物です。といっても絵師はどちらかといえば副業に近かったようで、千住の寺子屋「東耕堂」(のちの私立村越小学校)の塾主でもありました。そして息子の向栄はその父から絵を学び、また父の死後あとを継いで東耕堂の校主を務めたそうです。
 しかしこの二人、今までの琳派展等ではまず殆ど名前を見かけた記憶もなかったのですが、最近になってその画業や背景が少しずつ明らかになってきました。そして彼ら「千住の琳派」(命名は玉蟲先生)が実は、抱一・基一ら江戸琳派と近代の琳派の子孫(下村観山・菱田春草等)との間を結ぶミッシング・リングであったらしいというのですから、これはなかなか凄い発見です。確かに現存する作品を見ても、二人の絵は抱一・基一の影響色濃い江戸琳派の正統派の流れに連なるもので、やや地味目の淡白な筆致ながら端正で堅実な作風でした。(この点はちょっと色遣いのビビッドな雨華庵系統とは毛色が違うかも?)

 で、ここでちょっと話は抱一さんまで遡ります。
 そもそも抱一本人も実は千住と少なからず関わりがあり、その端緒となったのは千住に住んでいた建部単兆(亀田鵬斎の義弟、俳人)と鯉隠(河原町の青物問屋)の二人でした。抱一のアトリエ・雨華庵があった下谷・根岸は千住からもそう遠くはなく(何しろ江戸の人たちは現代人と違って健脚です)、千住で行われたという酒合戦(笑)や向島の梅屋敷(現・百花園)での集まりなど、文化サークルを共にする彼らの間に豊かな交流があったことは史料からも判っているそうです。もちろん抱一の一番弟子・基一もやはり少なからぬ関わりがあったでしょうし、さらに基一の弟子で始めは下谷に住んでいた基栄が千住へ移り住んだのも、そうした縁からだったのかもしれません。
 しかしながら「千住の琳派」の本領発揮は、幕末から明治にかけての近代の出来事となります。

 1903年(明治36年)、東京帝室博物館特別展覧会にて、史上初めて宗達・光琳・抱一の「風神雷神図」が一堂に揃いました。その後の「琳派伝説」の始まりの象徴として語られる出来事で、その後華麗で装飾的な「琳派」の作品は西洋でアールヌーヴォーという形に生まれ変わり、やがて日本へと逆輸入されます。また一方、明治画壇においても下村観山の「木の間の秋」や菱田春草の「柿に烏図」等、江戸琳派の流れを汲みつつ近代絵画へと脱皮を遂げた作品が世に出て行きました。

 ところが、今までは抱一・基一から直接観山・春草へと繋がっていたと思われていたのが、どうやらその間に「千住の琳派」基栄・向栄父子がいたらしいのです。

 具体的に参考画像を挙げられないのが残念ですが、例えば有名な「八橋図」の画題は光琳から抱一、さらに基一(ただし作品は関東大震災で焼失・現存せず)、そして今回出陳の向栄による銀屏風(!)へと次第に変遷を遂げていきます。(さらにもしかすると、その先に福田平八郎の「花菖蒲」が来るかも?) また江戸琳派から登場したヒマワリのモチーフも、最初は伊藤若冲(!)の「動植さい絵」から抱一の「絵手鑑」(静嘉堂文庫)、基一の「向日葵図」(畠山記念館)、そして其栄の「夏秋草図屏風」へと行きつく等、確かに並べてみると明らかに影響を受けながらも少しずつ変化していく様子がまざまざと判って、まるでミステリーの謎解きのような面白さでした。
 しかもさらに興味深いことに、其栄の作風は師・基一のシャープなセンスとはまた少し異なり、かといって抱一ともどこか違う独自のものへと変化しているのです。玉蟲先生によれば、さらに遡って喜多川相説の作風と似通う点があるとのことで、師・抱一からある意味光琳への先祖返りをしたようでもある基一の例といい、美術の系譜にはこんな例が案外他にもたくさんあるのかもしれませんね。(ある種の隔世遺伝?)

 ところでちょっと戻って、近代に逆輸入された日本美術のイメージがやがて「光琳派(のちの琳派)」という形を作っていく過程において、ちょっと面白いことがあったようです。
 この頃の社会の動きの一つとして、よく例に挙げられる三越の光琳風着物のキャンぺーン?がありますが、よく見るとこの着物の柄が何だか妙なのです。お馴染みの流水や梅など、確かに光琳の代表的なモチーフもある一方、アジサイのように明らかに光琳由来ではないものも混じっていて、とどのつまりそれらは抱一ら江戸琳派に由来するのですよね。ちなみにこれは何も大正時代に限ったことではなく、今でも高級食器などで「光琳風銘々皿」とか言いながら抱一の絵を使っている商品を見かけたりしますが(笑)、してみると日本人が思っている「光琳」というのは案外いい加減なのかもしれません。(とはいえ確かに、光琳ブランドという名前の強さは今でも圧倒的なのは事実でしょうね)

 さらにもうひとつ、今回玉蟲先生の指摘で特に面白かったのが、琳派の草花と江戸時代の園芸・本草学ブームとの関連でした。
 江戸期の本草学ブームには前期と後期に二度ピークがあり、前期は京都が中心だったのが、後期は江戸に移ってきたそうです。しかもこのピーク、前期の京都はちょうど伊藤若冲の頃、後期の江戸は抱一・基一の頃に重なるということで、そうした園芸ブームという社会背景もまた絵画の世界に影響を与えた要因であったのではないかということでした。確かに以前日曜美術館でも、基一の朝顔図屏風と江戸の朝顔ブームの関連について触れていたことがあったなと思い出しましたが、江戸琳派の特色として鳥や虫等の小動物たちだけでなく、それまでの華やかな園芸植物にとどまらない野草などが登場してくるというのは今まで気づきませんでした。(抱一さんの大好きな桜だけは、大変目立ってるので前から気になっていましたけど)
 以前「絵は語る」シリーズの夏秋草図でもそうでしたが、玉蟲先生はひとつの作品に留まらずその時代背景やそこに至る歴史にも幅広い目配りをされる方で、しかもそれを見事に組み上げてみせるところは本当に凄いと思います。私も歴史は美術とはまた別な意味で好きだし楽しいと思いますが、なまじ狭い分野に凝ってそこばかりにこだわっていると、歴史の中の美術というものを見落としてしまうのかもしれないなとちょっぴり反省しました。

 といった具合で、改めてレポとしてまとめようとするとかなり専門的に突っ込んだ難しい話も多かったですが、お話は非常に面白く刺激的であっという間の1時間半でした。多分予定よりオーバーしていたのか、最後に質疑応答がなかったのがちょっと残念でしたが、正直こちらもかなり頭一杯だったので機会があっても多分何も訊けなかったでしょう…(いやでもファンですとかサインくださいとかくらい言えばよかったー! 笑)

 なお今回の展示は、前期が5/1まで、後期が5/3からで、内容もまた大分変わりそうです。時間が取れれば何とか後期も行ってみたいので、それまでに家にある玉蟲先生の「都市のなかの絵」をもう一度勉強し直してきます。(←これも結構難しくておまけに分厚い本なので、大分忘れてしまいました。^^;)


ちょっと専門的な関連図書:
  
都市のなかの絵―酒井抱一の絵事とその遺響都市のなかの絵
酒井抱一の絵事とその遺響

(2004/07)
玉蟲 敏子

商品詳細を見る


  
生きつづける光琳―イメージと言説をはこぶ“乗り物”とその軌跡 (シリーズ近代美術のゆくえ)生きつづける光琳
イメージと言説をはこぶ“乗り物”と
その軌跡
(シリーズ近代美術のゆくえ)

(2004/06)
玉蟲 敏子

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  ※「風神雷神図」展示の歴史はこちらが詳しいです。

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