バロックの女神と天使

 2010/07/28(Wed)
 7月16日(金)、国立西洋美術館にて開催中の「カポディモンテ美術館展」(2010.6.26-9.26)へ行ってきました。

 このカポディモンテ美術館、今まで名前を聞いた憶えはなかったのですが、出品作の中にアルテミジア・ジェンティレスキの「ユディトとホロフェルネス」があると聞いた瞬間、これは絶対行かねば!と思いました。というのも、大分昔に若桑みどり氏の本で彼女の波乱の生涯についてほんの少しですが読んだことがあり、その時からアルテミジアには興味があったのです。そして実際、初めて目にした実物のユディトは聞きしに勝る迫力で、残酷などという月並みな言葉では表せないような凄まじさに息を呑みました。画家本人にとってこの絵がどんな意味を持つものだったかを知らない人でも、あの鬼気迫る劇的な一瞬を捉えた絵にはきっと圧倒されずにいられないでしょう。

  アルテミジア・ジェンティレスキ「ユディトとホロフェルネス」
  アルテミジア・ジェンティレスキ「ユディトとホロフェルネス」

  
女性画家列伝(岩波新書)女性画家列伝(岩波新書)
(1985/10)
若桑 みどり

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 ところで今回、主にポスターなどに使われていた「貴婦人の肖像(アンテア)」ですが、最初にチラシを見た時から何だかどこかで見たような…という気がしていました。作者がパルミジャニーノだというのは一目で判ったものの、それまで知らなかった絵のはずなのに、何だか不思議と見覚えがあったのです。しかし美術展で実物を前にしても、やはりその疑問は解決しないままでした。
 ところが後日、たまたまDVDを整理していた時にふと久しぶりで昔の「日曜美術館」を見て、あっと思いました。憶えがあるのも道理、あの絵はジョゼフ・コーネルの箱のひとつ「無題(ラ・ベラ[パルミジャニーノ])」に使われていたものだったんです。しかもこれ、つい最近まで川村記念美術館でこの作品を見る機会があったのですが、うっかり見逃してしまったのでした…がっくり。

  パルミジャニーノ「アンテア」
  パルミジャニーノ「貴婦人の肖像(アンテア)」

  参考リンク:ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎(川村記念美術館)

 ともあれ、思えばコーネルの作品は他にもブロンズィーノのメディチ家の王子・王女たち等、マニエリスムの肖像画を好んで使っていた憶えがあります。ああいう美しいけれどもどこか冷たい印象の仮面めいた表情が彼の好みだったのかなと、後でアンテアのポストカードを見ながら改めて思いましたが、確かにコーネルのあの時間が凍ったような世界には似合っていますね。

 最後にもうひとつ、今回特に惹かれた作品はバルトロメオ・スケドーニの「キューピッド」です。
 殆ど暗闇に近い夜の風景の中、スポットライトを浴びたように浮かぶ幼い天使は、ふっくらとあどけない顔形とは裏腹にどこか大人びたまなざしでこちらを見つめています。軽く頬杖をつくような仕草はロダンの「考える人」やデューラーの「メランコリア」にも少し似ており、物憂げに思索に耽るような表情が不思議な魅力をたたえていて、その子どもらしくなさに何とも言えず惹きつけられました。傍らの地面と木の上にはお馴染みの弓矢がありましたが、あの天使は一体何を思っていたのでしょうね。

 そうそう、忘れるところでしたもうひとつ、フランチェスコ・グアリーノ「聖アガタ」も見た瞬間どきりとした作品でした。
 乳房を切り落とされて殉教したという聖女アガタを描いた作品はもうひとつありましたが、胸元の白い衣に滲む血の紅が直接的な描写よりもよほど生々しくて、冷たくこちらを見下ろすような表情と共にぞくっとさせられます。殉教聖女の絵は今まで随分見てきましたが、こういう戦慄的な印象を感じた絵は初めてでした。

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再び神さまの陵

 2010/07/18(Sun)
 少し前になりますが、7月10日(土)久しぶりに五島美術館へ「陶芸の美」(2010.6.26-8.8)を見に行ってきました。
 と言っても、大変申し訳ないのですが私、陶芸系はあんまり良し悪しは判りません。なので今回、お目当ては特別展示の国宝「金銅馬具類」(宮崎県西都原古墳群出土)でした。

 西都原古墳群、特にその中でも男狭穂塚・女狭穂塚といえば例の宮内庁陵墓参考地、それも瓊瓊杵尊と木花開耶姫のお墓と言われて有名な古墳です。それが本当かどうかはともかく、古墳群というだけあってこの一帯は300以上の古墳が集まっており、時代も4世紀から7世紀にかけてとかなり長期間に及んだものらしいとのことでした。
 で、問題の今回展示されていた国宝「金銅馬具類」は、朝鮮の三国(新羅)時代・6世紀の作だそうです。大半は緑色に錆びて細かい細工は剥がれ落ちてしまっているものの、抽象的に図案化された龍の姿が唐草模様のようにびっしりと透かし細工で張り巡らされていたようです。さすがに藤ノ木古墳出土の華麗な鞍には劣るものの、ところどころに鍍金の金色の輝きがかろうじて残っているのが綺麗で、また透かし彫りの丸い飾りの中に小さな鈴が入っているのも面白かったです。きっとお馬さんがあれをつけたら、かっぽかっぽと歩く蹄の音に合わせてしゃんしゃんと鳴ったのでしょうね。(笑)

 ところでこの西都原古墳群の出土品、何故馬具が五島に入ったのかよく判りませんが、東京国立博物館にも大きな船の形の埴輪がやはり所蔵されています。こちらは国宝ではありませんが、幸い写真撮影可だったので代わりにご紹介。

  西都原古墳群出土・船形埴輪
  埴輪・船(重要文化財、古墳時代・5世紀。2010.2.20撮影)

 そうそう、埴輪と言えば五島の特別展も、最初に水鳥の形の埴輪が一体展示されていました。こちらはどこの出土品かは不明ながら、ガチョウのようなすらりと長い首の鳥を象っていて、特に顔立ちが妙に愛嬌があって可愛かったです。


参考リンク:西都原古墳群公式サイト

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続・意外な二人の意外な関係

 2010/07/16(Fri)
 先週の「美の巨人たち」(夏秋草図屏風)放送の後、改めて酒井抱一の生涯の足跡を辿り直していたところ、またまたちょっと意外な情報に遭遇しました。

 玉蟲さんの『もっと知りたい酒井抱一』によると、抱一は幼少時から30歳近くまで、例の酒井家上屋敷(皇居大手門のすぐ脇。現・平将門公首塚に屋敷跡案内板あり)で成長したそうです。その後、お家の跡継ぎ騒動やら何やらでごたごたする中、33歳まで箱崎の酒井家中屋敷で過ごしていた、とのことでした。
 で、上屋敷跡は行ったことがあるから知っているけど、箱崎の中屋敷はどの辺なのか今ひとつよく判りません。さてネットで調べられるか、と色々検索をかけているうち、たまたま見かけたブログのひとつを読んでいて驚きました。
 結論から先に言ってしまいますと、酒井家中屋敷跡は現在の区立日本橋小学校一帯に相当、江戸初期から幕末までずっとそこにあったとのことです。しかし何と明治維新以降、その一部は明治4年~6年頃に西郷隆盛の屋敷となっていたそうで、将門の次は西郷さん!?とまたまたびっくり。…どうもこう、抱一さんのイメージとはおよそかけ離れた感じの人たちと縁があるようで、ちょっと変な感じですね。

 ともあれ、抱一ゆかりの場所巡りは友人もぜひやりたいと言ってくれているので、既に訪問済の雨華庵跡(下谷根岸)を始め、築地本願寺浅草寺なども含めて一度じっくり試みてみたいと目下計画中です。まだ調べ終わっていないこともありなかなか実行できていませんが、実現に漕ぎつけたらまたGoogleMapでも作ろうかしら?(笑)


関連過去ログ:
 ・もっと知りたい抱一さん(雨華庵跡写真あり)
 ・意外な二人の意外な関係(将門編・首塚内写真あり)

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哀しいほど美しい

 2010/07/11(Sun)
 土曜日の「美の巨人たち」を見たら何だかたまらなくなって(苦笑)、またまた東京国立博物館へ酒井抱一の「夏秋草図屏風」を見に行ってきました。

  夏秋草図7

 ところで前回、ちょうど1週間前に見に行った時は、右隻の端の方が展示スペースのガラスの境目に引っ掛かってました。黒縁に邪魔されるほどは目立たないものの、右隣にあるのは宗達と光琳の掛け軸なんだからちょっとずらせばいいのに、と内心ぶうぶう言っていたのです。
 ところが今回行ってみたら、いつの間にか夏秋草図は場所がちょっと右に移動して、休憩用のソファの真ん前に変わってました。(笑)
 おお、これはゆったり見られていいわと大喜び、早速真ん前に陣取って、閉館間際まで1時間弱程の間心おきなく堪能してきました。他に誰か同じ苦情を言った人がいたのか、それともあるいはTV放送の効果でしょうか、こんないい環境であの屏風を見られた覚えは過去にもあまりないので大満足です。(ただし今度は後ろの非常口ランプがガラスに映ってしまっていたので、ソファの真ん中に目隠しを置きました。笑) 多分最初の展示は宗達・光琳・抱一と時代順を優先して並べていたのでしょうけれど、せっかく今はこれが目玉ですよと大々的に?宣伝しているのだから、こういう時はそんなもの無視しちゃっていいんですよ!

 ともあれ、この「屏風の展示がガラスの境目に引っ掛かる」という点は、実は他の特別展などでもしばしば悔しい思いをさせられていますが、それが自分の好きな作品だったりするとますます悔しくなるものです。もちろんスペースに限りがあるのはこちらも判っていますし、些細なことかもしれませんが、それでもせっかく本物に接するからには少しでもいい環境で見られるように配慮してもらえると、足を運んだ方も嬉しいですよね。

 さて話戻って夏秋草図ですが、そういえばこの絵について澁澤龍彦が絶賛している名文があったのを思い出しましたので、以前もちらっと触れましたがこの機会に再びご紹介。


「マニエリスト抱一 : 空前の植物画家」

 とくに「夏秋草図」は抱一作品のなかでも絶品というべきで、日本の四季の草花がこんなに美しいものか、こんなに悲しいほど美しく透明であってよいものか、といった理不尽な思いに私たちを誘いこむばかりの魅惑にみちている。(中略)
 まず銀箔の地であるが、これがいかにも宗達や光琳の好んだ豪奢な金箔と対をなしているようで、いわば琳派の夕暮、琳派の秋、あるいは琳派のマニエリスムという感じをいだかせるに十分であろう。むろん、抱一にも紙本金地の作がないわけではないが、蒼白な銀地は抱一芸術にふさわしいといえるだろう。その銀地の上に、緑青と群青の寒色系統をちりばめ、赤と白でアクセントをつけた布置の巧はすばらしく、心にくいばかりの洗練である。江戸的な洗練、粋といってもよいかもしれぬ。
 左隻は夏で右隻は秋である。
 夏の夕立が一過して、しっとりと濡れた左隻の草花には薄、昼顔、百合、女郎花などが数えられる。右上に光琳波をくずしたような群青の流水を配している。昼顔のほのかな紅が見る者の心を打つ。一方、右隻には野分が吹き荒れているらしく、葛が葉裏を見せてひるがえり、薄の穂がなびき、紅葉した蔦が風に吹きとばされて舞っている。下のほうに見える薄紫の花は藤袴だろうか。
 日本の自然に特有の、冷え冷えとした幽寂の気のごときものが画面全体を覆いつくし、画面全体からにじみ出てくるような印象で、艶なるふぜいの中にも無限のさびしさがある。ああ、日本の自然とはこういうものだったのか、と私は目をひらかされるような思いをする。

『澁澤龍彦空想美術館』より(平凡社、1993)




 この「日本の四季の草花がこんなに美しいものか、こんなに悲しいほど美しく透明であってよいものか」という溜息混じりの嘆声のような言葉、これほどの賛辞をこの絵に捧げた人はちょっと他にはいないのではないでしょうか。研究者でも抱一さんにめろめろに惚れ込んでいらっしゃる方はちらほら見かけますが、さすがに小説家、それもあの澁澤龍彦だけあるというか、絵そのものももちろんですがこの文章にもまた惚れ惚れさせられます。何というか、この気障なストレートさは澁澤龍彦だからこそ許されるというか、まさにその通りなんだけれどちょっと普通の人には恥ずかしくてなかなか言えないですよね。(苦笑)

 とはいえ、ぱっと見て普通に美しい絵や素晴らしいと感動する絵ならいくらでもありますが、この「夏秋草図」にはどこか「泣きたくなるほど綺麗」と思わせるものがあるといつも感じます。これだけは宗達の「風神雷神図」や光琳の「紅白梅図」には決して感じないもので、凄いとか圧倒されるとかいうのではなく、何か知らないけれども不思議と心打たれる、そういうところがこの絵の魅力なんでしょう。

 ところでそういえば「美の巨人たち」では抱一ゆかりのかつての江戸の様々な場所を巡り歩いていましたが、例の酒井家上屋敷跡が出てきたのには思わず吹き出しました。番組中では触れませんでしたが、以前「意外な二人の意外な関係」でも書いたように、あれが将門公首塚の場所だなんてちょっとびっくりしますよね。(笑)


P.S
 もうひとつうっかり見逃していましたが、この秋の細見美術館の琳派展XIIIは「お江戸の琳派と狩野派」(2010.10.2-2011.1.16)で、何と板橋区立美術館との共同企画だそうです。多分これは細見の琳派展でも初めての試みではないかと思うのですが、お江戸で板橋とくればもちろん抱一さんも出てくるでしょうから、今年もお見逃しなく!

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月明かりの草花

 2010/07/10(Sat)
 本日の「美の巨人たち」はお待ちかね、酒井抱一作「夏秋草図屏風」でした。つい先日も取り上げたばかりですが、今回は番組ゲストに玉蟲敏子先生も御出演でしたので、改めてもう一度。

  
絵は語る (13)酒井抱一筆 夏秋草図屏風 ―追憶の銀色―絵は語る(13)
酒井抱一筆
夏秋草図屏風―追憶の銀色―

(1994/01)
玉蟲 敏子

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第16回サントリー学芸賞受賞


 今までにも何度か触れてきましたが、私が最初に「夏秋草図屏風」と出逢ったのは1995年、東博の特別展でのことです。まだ抱一の名前も知らなかった頃から不思議と心惹かれ、さらに玉蟲さんのこの名著を読んだのが決定的きっかけとなって、数多い抱一の作品の中でもこの「夏秋草図」はずっと一際特別なものとして追い続けてきました。
 番組中でも繰り返し述べられたように、抱一は100年前の偉大な大先輩である尾形光琳をそれは尊敬し崇拝しまくっていたらしく、言わば日本史上最初の光琳研究者としてもたくさんの仕事を残しています。しかしやはり抱一の光琳への思慕は彼自身の作品にこそ何よりも雄弁に語られており、数多い光琳作の模写を見ていると本当にこの人は光琳が大好きだったのだなあと、あまりの熱中ぶりに何だか微笑ましい気分にもなってしまうのでした。

 とはいえ、後に抱一自身の弟子鈴木其一もそうであったように、自らも本当に才能ある人は師匠の模倣だけで終わったりはしません。番組では取り上げられませんでしたが、例えば「波図屏風」は光琳の二曲一隻の金屏風を六曲一双の銀屏風に大胆に変えていますし、「八橋図屏風」もよく見れば細部を微妙に変えていて、模写と言ってもそっくり忠実に再現するのではないところに彼独自の美意識があったようです。
 何より、光琳の才能を認め限りなく崇拝していたからこそ、その敬愛する人の絵の裏に合作を挑む(!)という何とも大それた仕事に取り組んだのは、抱一にとって光琳の単なる追随だけに留まるまいとする挑戦であり、同時にまた我こそが光琳の継承者であるとの宣言でもあったように思います。偉大な光琳をある意味で乗り越え、その流れを汲みながらも自らの目指す新たな別世界を切り開こうとしそれを成し遂げた抱一の、あの絵こそが到達点でもあったでしょう。
 それでいながら、「夏秋草図」は同時にその中に込められた深い情念を滲ませて、琳派の中でも後にも先にもない抱一だけの静謐で繊細な叙情性に満ちています。今回番組を見ていて、これほどメランコリックなピアノの旋律がBGMに似合う日本画も珍しいのではないかと妙に感心しましたが(笑)、描かれた様々なモチーフもまた、ただ季節の情景を描いただけではないのですよね。
 番組中でも紹介されたように、亡き人を恋うる藤袴、尾花(ススキ)の下の思ひ草(女郎花)、恨み(=裏見)を表わす葛の葉、そしてそれらを照らし出す銀地の月光など、「夏秋草図」の中にはたくさんのメタファーが散りばめられています。光琳の「燕子花図屏風」もその背景には伊勢物語がありますが、上に挙げた玉蟲さんの著作を初めて読んだ時、これほど凝った仕掛け、引いては亡き人(=光琳)へのそれほどの想いがこの絵に隠されていたと知って大変衝撃でした。

  夏秋草図・藤袴
  亡き人を恋うる藤袴。

 それにしても、日本史上でも恐らく屈指の銀屏風の傑作として名高いあの「夏秋草図」がもし金屏風だったら、というのはまったく考えてみたこともなかったので、番組でCG再現した姿を見た時には正直仰天しました。まったく「Oh, my God!!」(笑)といった感じで、ちょっと背景を変えただけでもあれほど劇的に印象が変わるものなんですね。やっぱりあの絵は銀地だからこそ、あの類ない魅力があるのだということがよく判りました。(苦笑)

 ところで今回、東博で特別に「夏秋草図」を本来の裏屏風としての形で置いた映像が紹介されましたね。私も今から11年前、特別展「金と銀」で見て以来もう長いことあの姿で「夏秋草図」を見る機会には恵まれておらず、再会するたびにちょっと残念に思っています。特に来年は抱一生誕250年という大きな節目の年だけに、ぜひともどこかで光琳の「風神雷神図」の裏屏風としての「夏秋草図」をまた見たいものです。
 というわけで、今のところ判っている来年の抱一関連美術展予定は、以下の通り。

 ・出光美術館:酒井抱一生誕250年 琳派芸術―光悦・宗達から江戸琳派―(2011.1.8~3.21)
        第1部〈煌めく金の世界〉(2011.1.8~2.6)
        第2部〈転生する美の世界〉(2011.2.11~3.21)
 ・畠山記念館:冬季展 生誕250年「酒井抱一―琳派の華―」(2011.1.22~3.21)
 ・千葉市美術館:酒井抱一展(詳細不明)

 なお千葉市美術館では、一足先に「帰ってきた江戸絵画 ニューオーリンズ ギッター・コレクション展」(2010.12.14~2011.1.23)にて、抱一作「朝陽に四季草花図」が里帰りします。これまた14年前の「祝福された四季」でうっかり見逃して以来、悔しくて悔しくて仕方がなかった幻の作品だったので、今度こそはしっかり目に焼き付けてこなければと今から燃えているのでした。(笑)
 またこの他、京都の細見美術館も抱一コレクションの多いところですし、恒例琳派展でそろそろまた抱一特集をやってくれないかと期待しています。


 おまけ:
  夏秋草図クリアファイル
  最近新たに東博グッズに加わった、「夏秋草図」を元にしたクリアファイル。
  中に銀のシートを挟んだダブルファイルで、本物の銀地の雰囲気がよく出ています。
  (ちなみに表の光琳作「風神雷神図」バージョンもあり。^^)


関連ログ:
思い出の美術展(1) 金と銀 かがやきの日本美術
再び銀屏風
幸せな人か、それとも
大琳派展 継承と変奏(1)
大琳派展 継承と変奏(4) 見えぬものこそ
大琳派展 継承と変奏(7) 余白と移ろいの美
抱一に、うるさい(笑)
夏の雨、秋の風

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続・衣裳から見る源氏物語の世界

 2010/07/09(Fri)
 去年「衣裳から見る源氏物語の世界」の中で、近藤富枝氏の著作「服装で楽しむ源氏物語」を紹介しましたが、最近その近藤さんがまた新たに素敵な本を出してくださいました。

  
きもので読む源氏物語きもので読む源氏物語
(2010/05/15)
近藤 富枝

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 今回はページ数も大幅に増えてグレードアップ、近藤さんが主宰する十二単ショーのこぼれ話なども交えて、親しみやすい文章でさらに丁寧に源氏物語の様々な場面に登場する装束とその意味を読み解いています。ただちょっと惜しいことに、今回はカラー写真や図版などが殆ど掲載されていないため、予備知識のない方には装束の形態などが想像できないのが判りにくいかもしれません。一応巻末に図解はあるのですが、こういう本の場合はなるべく説明の都度図解も添えて、ついでに多少お高くなってもいいのでなるべく綺麗なカラー図版も入れてほしいですね。

 さて今回、テーマの一つとして「光の君の大君姿」というのが取り上げられています。
 絶世の美男として描かれながら、作中ではあまり晴れの姿の装束について詳しく述べられることのない光源氏ですが、その彼がいつになく気合を入れておめかしをした場面の一つに、「花宴」で右大臣家を訪問した時の様子があります。政敵の家へ颯爽と乗り込んでいく、いわば勝負服(笑)の一種でしょうか、光源氏は周囲がかしこまった正装の中でひとり敢えて略式の皇族のみができる「大君姿」という華やかな衣裳を纏い、ゆったりと現れてその美しさで周囲を圧倒したというのですから、想像するだけでもうっとりするような場面なのですよね。
 近藤さんは近頃宇治十帖の紹介をすることが多いそうですが、やはり光源氏が出てこない「源氏物語」は華やかさに欠け所帯じみていけない(笑)ということで、源氏がその生涯でも最高に輝いた日のひとつであるこの場面についても丁寧に解説してくださっています。しかしやはりここで画像がないのは何とも物足りないので、ちょうどただ今風俗博物館にて開催中の展示から、問題の「大君姿の光源氏」を以下にご紹介します。

  光源氏の大君姿
  (直衣布袴(のうしほうこ)姿。直衣:桜かさね(表白、裏紅)
   下襲:葡萄色三重襷文、指貫:葡萄色地白藤折枝文、単:紅地繁菱文)

 原文では「桜の唐(から)の綺(き)の御直衣、葡萄染(えびぞめ)の下襲、裾(しり)いと長く引きて、皆人は袍衣(うへのきぬ)なるに、あざれたる大君姿のなまめきたるにて、いつかれ入りたまへる御さま、げにいと異なり」と述べています。うやうやしく招き入れられる姿の群を抜いた麗しさは、盛りの藤の花も気圧されるばかりというのだから、ここぞとばかり褒めちぎる作者もまた光源氏に夢中なのですね。(笑)
 ともあれ、直衣と指貫はまあ大体予想どおりでしたが、下襲が思ったよりも控えめというか、もっとこう派手やかなものをイメージしていたので、最初この薄地の生地を見た時にはちょっと意外な感じがしました。というのも、例えば有名な「駒競行幸絵巻」(和泉市久保惣記念美術館)での公卿たちの下襲は、皆かなり華やかなのですよ。
 とはいえ紫式部の美意識は一風変わっているというか、ひたすら華麗で派手なものを一番とするわけではなく、光源氏の美貌を褒めたたえるのにも黒の喪服だとか白の普段着だとかの描写にやたらと熱がこもる傾向があるようなので、その中ではかなり華やかな方に入るこの場面も作者としてはこの位のイメージだったのかもしれません。源氏ほどの身分と財産があればいくらでも豪奢にできるしそれも似合ったろうと思うのですが、そういう成金趣味のような派手さはむしろ無粋で、自他共に認める美貌と皇族にしかできない装い、そして思わず気圧される気品と威厳だけで充分だったのでしょうね。

 またもう一つ、源氏物語に登場する婚礼の場面について、肝心の?花嫁の衣裳について作中でまったく触れられていないのを近藤さんは大変残念がっています。言われてみれば確かに覚えがないなと私も初めて気がつきましたが、そもそも今の結婚式とは違って、当時の花嫁は披露宴に姿を見せるどころではなく文字通りの深窓に引きこもっているので、どの道花婿や家族以外には見られないのでした。(とはいえさすがに晴れの儀式ですから、叶う限りの贅を尽くした衣裳であったろうとは思いますが)
 なお平安中期の婚礼で花嫁の衣裳には特に決まりはなかったらしいとのことでしたが、それでふと思い出したのが、最近読んだ論文で見かけた「平安中期頃の女性は、裳着(成人式)で白い装束を着るのが決まりだった」という話です。今でこそ女性が白を纏う極めつけは結婚式の白無垢やウエディングドレスですが、この頃は成人式に白を着るというのが一般的でした。(ただし袴だけはいつも通り紅) 作中では詳しい描写はないものの、紫の上や玉鬘、明石の姫君、女三宮なども裳着では白い衣裳を纏ったのでしょう。実際玉鬘については、秋好中宮から裳着の祝いとして「白き御裳、唐衣、御装束、御髪上の具など」が贈られたとあります。
なお付け加えるともうひとつ、出産の際にも本人や周囲もすべて白の装いに変えるのが習わしで、こちらは袴さえも白一色だったようです。


  明石女御出産
  (明石女御出産の場面より。手前二人は女房、その奥が紫の上)


 ところで前から気になっていたのですが、著者の近藤さんは光源氏のことを略して通称「光」と呼んでいます。こういう呼び方をするのは近藤さんだけではなく、源氏専門の研究者の方々でも論文などで同じように書いているのを見かけるのですが、「光源氏」というのはご存知の通り本名ではありません。そもそもは「光り輝く(ように美しい)源氏の君」という意味の呼び名であって、それを形容詞の部分だけ切り取って名前のように呼ぶのは、私にはどうもしっくりこないのです。
 …とはいえ、よく考えてみると宇治十帖に登場する薫も本来は「薫中将」または「薫大将」の略称で、彼もまた生まれながらに妙なる芳香を漂わせることから「薫る」という形容詞を冠した通称だったのが、いつしか「薫」だけが独立した呼び名として定着してしまったものです。だから「薫」が許されるのなら「光」だって別におかしくないではないか、ということにはなるのですが、やっぱり何だか納得がいかないのですよねえ。

 では最後に、今回のおまけ。

  花橘のかさね
  花橘のかさね。(淡朽葉・より淡い朽葉・白・青・淡青・白)
  4月~5月の季節に着用したもので、淡朽葉(黄色)と青(緑)に白を挟んだ取り合わせが初夏らしく爽やか。
  源氏物語で花橘といえば花散里ですが、花も実も付けた有様のようと言われた明石の君のイメージも?

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トラブル発生

 2010/07/08(Thu)
 本日ネットニュースのトピックに、「輸送中に国宝の馬具が破損」という恐ろしい見出しが出ていて仰天しました。問題の国宝馬具とは言わずもがな、かの有名な藤ノ木古墳から出土した華麗な黄金の鞍や鐙のことでして、記事によると破損したのは「鉄地金銅張鐘形杏葉」の一部だそうです。発見時に石棺の中でどっぷり水に浸かっていた(!)という副葬品はもちろん、石室で埋もれていた馬具も決して保存状態良好ではなかったでしょうが、それにしてもこういうことってあるのですねえ…(ところで運送会社って、やっぱり例の美術展御用達の某社でしょうか?)


参考書籍:
斑鳩に眠る二人の貴公子・藤ノ木古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)斑鳩に眠る二人の貴公子・藤ノ木古墳
(シリーズ「遺跡を学ぶ」)

(2006/12)
前園 実知雄

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 ともあれ、最近古墳時代についてはこだわってる関係で、今回馬具を出展する予定だった九州国立博物館の特別展「馬 アジアを駆けた二千年」(2010.7.13-9.5)は以前から気にかけていました。今回騒ぎになった藤ノ木古墳出土品以外にも素晴らしい展示品が数多く予定されているようなので、できれば行ってみたいなあとは思っているのですが、何しろ遠いのでずっと悩んでいます。それに秋には宮崎の西都原にも行きたいし(目下色々大変そうですが)、どうせなら東京かせめて京都へ巡回してくれないかなあ…。

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夏の雨、秋の風

 2010/07/07(Wed)
 現在東京国立博物館常設展にて、酒井抱一の代表作「夏秋草図屏風」が展示中(2010.6.29-8.8)です。2008年の大琳派展以来久しぶりのお目見えとあって、早速7月4日(日)の午後に行ってきました。

  夏秋草図1
 酒井抱一「夏秋草図屏風」(紙本銀地着色、重要文化財)

  「もと尾形光琳の風神雷神図屏風の裏面に描かれていた。
   雷神の裏には、驟雨にうたれる夏草を、
   風神の裏には、野分に吹き流される秋草が
   銀地に描かれて、光琳の金地画面に呼応している。
   第11代将軍家斉の父で、徳川御三卿の一橋家当主、
   治済に依頼されたもの。」(キャプションより)

 この作品は元々東博の所蔵品で、嬉しいことにここの場合、常設展なら写真も撮り放題です。(※ただしフラッシュは禁止) つい先日も常設展をふらついていたら光琳の国宝「八橋蒔絵螺鈿硯箱」に遭遇、大喜びで撮影したのは言うまでもないですが、今回はそれ以上に大好きな抱一さんの夏秋草図とあって、片っぱしからクローズアップで撮りまくってきました。


  夏秋草図2
  優美極まりない水の流れ。平安王朝の十二単を纏った女性の黒髪を思わせます。


  夏秋草図3
  重なり合う薄の向こうに見え隠れする白百合。繊細な透かしの美学。


  夏秋草図4
  激しい野分に吹き乱れる秋草。緑の薄に、色づいた蔦の赤が鮮やかに映える。


  夏秋草図5
  白い葉の裏を見せる葛と、はかなげな薄紫の藤袴。
  よく見ると、藤袴の花は細かい蕊まで描きこまれています。


  夏秋草図6
  風に舞うしなやかな葛のつると、紅葉した蔦の葉。


 最初の印象では、「紅白梅図屏風」のような大胆に図案化された光琳に比べると、抱一の「夏秋草図屏風」の描写は比較的リアルで写実的なようにも見えます。けれども全体の構図や細部によくよく眼を凝らしているうち、実は抱一の世界は実に緻密に計算し尽くしてひとつひとつのモチーフを配置した、現実の世界以上の理想的な美を表現しようとしたものなのではないかな、という気がしてくるのですよね。敬愛した光琳の「風神雷神図」の裏に直接そのオマージュとして自らの作品を描いたという、何とも羨ましいエピソードのドラマチックさもありますが、この絵の華麗でいて憂愁、繊細でいながら同時に大胆な相反する要素を併せ持つ魅力は、これが「風神雷神図」の裏屏風でなかったとしてもきっと心惹かれたと思います。

P.S
 書き忘れてましたが、7月10日(土)の「美の巨人たち」は、ずばり「夏秋草図」です。お楽しみに!

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息子は光琳。

 2010/07/02(Fri)
 少々前の話になりますが、5月23日(日)、最終日ぎりぎりで根津美術館の「国宝燕子花図屏風展」(2010.4.24-5.23)へ行ってきました。
 私自身は今まで何度もこの時期に燕子花図屏風を見ていますが、今回はこのために上京した母が一緒で、もちろん私以上に楽しみにしていたのは言うまでもありません。同じく光琳作の国宝「紅白梅図」は以前見に行ったことがあるのですが、燕子花図の方は個人的になかなか都合のつかない時期にしか公開されていなかったため、長年の念願がようやく叶うとあって期待感もひとしおだったようです。

 …ところが、いざ蓋を開けてみたら、本人も千尋もちょっと予想外の事態が待ち受けておりました。

 何と母、あれ程お目当てだったはずの光琳の燕子花よりも、光琳のお父さんの書の方に惚れ込んでしまったのです。(笑)
 いや、宗謙さんのあの素晴らしい玄人裸足の光悦流の手蹟はもちろん私も大好きですし、ほらこれ光琳のお父さんの書なんだよ、と熱心に紹介したのは確かなのですが、まさか大本命の燕子花図よりも好みだとは思いませんでした。おかげでポストカードがないと判った時は非常に残念そうでしたが、ちょっと予想外のフェイントにこちらも正直呆気に取られましたね。
 と言っても、母娘共に書いてる内容は碌に読めやしないのですが(苦笑)、読めないながらもあの何とも華やかで流麗なめりはりのある書体の美しさは実際惚れ惚れします。母に至っては、すぐ隣にあった本家本元光悦ご本人の書を見ても「絶対宗謙さんの方がいい!」と断言する有様で、まったく笑ってしまいました。

 ところで、千尋が最初に宗謙さんの書を見たのは、忘れもしない2008年の大琳派展の時に東博の常設展で設けられていた琳派小特集コーナーです。光琳自身の本格的な書はあいにく見たことはないし、その弟の乾山の書はといえば絢爛華麗とは程遠い(と言っては失礼?ですが)地味というかむしろ朴訥に近いものですし、まさかその兄弟二人の父親があんなに達者な書をやっていたとは思わず、本当に驚きました。

 というわけで、今回根津で見た分は残念ながらご紹介できませんが、代わりに東博で見た宗謙さんの書の一部を再びここで載せてみます。


「和歌巻」(尾形宗謙、寛文4年(1664))
  宗謙は江戸時代前期の町衆で、呉服商雁金屋を営んだ。光琳、乾山は、彼の子にあたる。
  この和歌巻きは『続拾遺和歌集』の中から11首を抜粋して揮毫したもの。
  本阿弥光悦が得意とした書法(光悦流)を巧みに書きこなし、奥書から44歳の揮毫とわかる。
  (キャプションより)


 ・能因法師
  「五月まつ 難波のうらの 郭公(ほととぎす) あまのたくなは くりかへしなけ」
  宗謙・1


 ・読人知らず
  「いづかたに心を よせて をみなへし 秋かぜふけば まづなびくらむ」
  宗謙・2


 ・典侍親子朝臣(藤原親子)
  「あかざりし袖かと にほふ 梅がか(香)に 思ひなぐさむ 暁の空」
  宗謙・3


 なお、見ての通り実際の書には濁点はついていませんが、濁点なしだとますます意味が判らないので(笑)ここでは便宜上付け足しておきました。子どもの頃に遊んだ下の句かるた(北海道限定百人一首)のおかげでちょっとだけ読むことはできますが、大学時代にもっとしっかり古文献購読の講義を聞いておくべきだったと、こういう時つくづく後悔します…
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