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みささぎ巡り番外 失われたレガリア・王冠

 2010/01/31(Sun)
 ちょっと前の話ですが、1月3日にNHKにて「日本と朝鮮半島2000年」スペシャルで「海峡を越える国宝の美」というのを放送していました。これはもしかして、と期待していたら案の定、この前見てきたばかりの群馬の金銅冠が新羅の国宝金冠と共に登場、しかもスタジオのゲストさんがレプリカの冠を実際に頭に載せてみたりして、いや面白かったです。ただちょっと難を言えば、新羅の金冠は勾玉の色をちゃんと緑にして欲しかったですね。(だってレプリカの勾玉は水色で、翡翠じゃなくてトルコ石みたいだったんですよ)

 ともあれ、日本の古墳等から出土した冠は大陸の影響を受けたものが多い一方、茨城県三昧塚のあのお馬さんの冠のような日本独自のデザインのものも結構あるそうで、はてそういう冠ってどんなものがどのくらいあるのだろうと思ったのです。しかし試みにちょっとネットで検索して見た限りでは、「全国の冠一覧」のようなデータはなかなか見当たらず、判ったものでも写真が載っているものはあまり多くありません。図書館で「日本の美術」等の考古学関連の本も片端から当たってみたのですが、この前の「かがやきにこめた権威と荘厳」のような古い図録の方がまだ写真情報などはあるものの、とはいえやっぱり数は少ないのです。唯一詳しく検証しているらしい論文もすぐに手に入るものではなく、さて困ったどうしようと悩んでいた時、ふと思い出したものがありました。

 大阪府立の近つ飛鳥博物館で、平成15年に「黄泉のアクセサリー:古墳時代の装身具」という特別展を開催したことがあります。当時何かの時にチラシを見かけ、このネーミングに惹かれて見てみたいなと思ったものの、大阪ではちょっと遠くて残念ながら行けなかったのです。ただチラシはその後も大事にしまっておいたのですが、もしかしてあの時の図録だったら色々詳しいことが判るのではないかなと思いました。
 で、確か以前東博の売店で図録を見かけた覚えがあったので行ってみたら、ちょうど目下開催中の土偶展に合わせてでしょうか、古代関連の本や図録がたくさん揃った中に問題の「黄泉のアクセサリー」の図録もありました。しかも嬉しいことに、まさに私が探していた全国の冠一覧もばっちり載っていたのです! いやー、これを見つけた時は本当に嬉しくて、もちろんすぐさま購入しました。

 ともあれこのリストによりますと、日本古代の冠は主に三種類に分かれるそうです。もっとも細かなデザインまでいうなら同じものは殆どないのですが、幅の狭い冠、幅の広い冠、そして帽子型の冠ということらしいですね。というわけで、東博で再び撮り直してきた写真からご紹介。


【1.狭帯式】

  江田船山古墳冠1
  (金銅製冠。熊本県・江田船山古墳、国宝)

  二本松山古墳2
  (鍍金冠。福井県・二本松山古墳)

  二本松山古墳1
  (鍍銀冠。福井県・二本松山古墳)

  金冠塚古墳出土品
  (金銅冠。群馬県・金冠塚古墳)

  参考リンク:
   ・特集陳列・古代技術の保存と復元(東京国立博物館)
   ・二本松山古墳冠の復元(清川メッキ工業)
   ・金銅製天冠(長野県・桜ケ丘古墳)


【2.広帯式】

  江田船山古墳冠2
  (金銅製冠。熊本県・江田船山古墳、国宝)

  金と銀・三昧塚出土冠
  (金銅製馬形飾付冠。茨城県・三昧塚古墳、復元品)

  参考リンク:
   ・藤ノ木古墳(奈良県・橿原考古学研究所附属博物館)
   ・古代の冠を作ってみよう!(滋賀県高島市)


【3.帽】

  江田船山古墳冠3
  (金銅製透彫冠。熊本県・江田船山古墳、国宝)

 ちなみに朝鮮の冠は本物の金の冠が多いようですが、日本の冠は大抵が銅製に鍍金(金メッキ)や鍍銀(銀メッキ)を施したものだそうです。だから当時はぴかぴかのきらきらだったのでしょうが、今では土台の銅が錆びてぼろぼろになってしまっているのですね。
 幸い最近では復元品を制作しているところも多く、あちこちの博物館で当時の姿を見ることもできるようになっています。特に上の参考リンクに上げた清川メッキ工業さんの復元は、衣装までも再現してちゃんと人が身に付けた素晴らしい力作なので、ぜひ一度サイトをご覧ください。

 それにしても、古代日本の冠の数々を見ていて不思議に思うのは、これだけきらびやかで当時一世を風靡したに違いない(何しろ福島から福岡まで全国各地で出土している)、そして恐らく王権の象徴であっただろう宝物が、その後どうして日本文化から消えてしまったのかということです。大体日本で王権の象徴(レガリア)といえば三種の神器ですけれど、その中にも冠は含まれていませんよね。
 この点について面白い説を述べているのが「謎解きアクセサリーが消えた日本史」(浜本隆志、光文社新書)という本で、天皇家が門外不出の秘宝として神器を封印したことにより、それまでの宝玉信仰も衰退して日本文化からアクセサリーが消えて行ったのではないかとしています。言われてみれば確かに、王冠などというのはその豪奢なまばゆい姿を周囲に見せびらかしてこそ王威を発揮するものでしょうし、せめて即位の際に「戴冠」という儀式があるのならまだしも、しまいこんで天皇自身さえも見られないのではそもそも持っている意味もないでしょうね。

  
謎解き アクセサリーが消えた日本史 (光文社新書)謎解き アクセサリーが消えた日本史
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(2004/11/13)
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 最後に、日本の冠に大きな影響を与えた朝鮮半島の冠は、韓国中央国立博物館公式サイト(日本語版あり)の「所蔵品情報」で「冠」を検索すると見ることができます。特に翡翠の勾玉をちりばめた国宝の金冠は、素晴らしく華麗で一見の価値ありですよ。(でも翡翠ってかなり重いはずだから、あんな勾玉をたくさんぶら下げてたら肩が凝りそう…笑)

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みささぎ巡り はにわの大行進(馬肥ゆる上毛野国編・2)

 2010/01/30(Sat)
 1月27日、かみつけの里博物館の「山麓の開発王 井出二子山古墳の世界」(2009/12/13-2010/02/07)へ行ってきました。

 かみつけの里博物館は、群馬県高崎市の保渡田古墳群に隣接していて、中でも八幡塚古墳は立派な埴輪がまとまって出土したことから一般書でもよく紹介されています。以前にちょっとだけ訪れたことがあったのですが、その時は日没近くて博物館に寄る余裕もなかったので、今回はその雪辱戦も兼ねて、あらかじめ下の2冊の本も準備して再挑戦してきました。

  

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 この保渡田古墳群、大きな前方後円墳が三つ近接していてなかなかの迫力なのに加え、上記の八幡塚古墳は綺麗に整備されて築造当時の姿(もちろん想像も多分にあるでしょうが)を完璧に再現しています。古墳というと仁徳天皇陵などのようにこんもり緑に覆われた姿を想像しがちですが、土をしっかり固めて一面に葺き石をしたこういう姿を見ると、昔はこんなだったのだなあとちょっと驚きますね。

  八幡塚古墳
  (八幡塚古墳全景。この日は大変いいお天気でした)

 そして何と言っても凄いのが、古墳南側に並ぶこの大行列!

  八幡塚古墳の埴輪行列

 もちろんこれもレプリカですが、実際に出土した埴輪の数々はお隣のかみつけの里博物館に展示されていて、豪族や巫女、武人や力士に狩人、犬、鹿、猪、鳥など実に様々です。一見したところ雑多な行列のようにも見えますが、上記「もっと知りたいはにわの世界」によるといくつもの場面に分かれて配列されているとのことでした。

  八幡塚古墳の埴輪・鷹匠と狩人?
  (鷹匠と狩人と鹿。鷹匠は王という説もあり)

 例の継体天皇陵候補と言われる今城塚古墳からも同じような埴輪の行列が出土していますが、それにしても一体何を意図してこんな行列仕立てにしたのでしょうね。もちろん当時の風俗等を知る上では貴重な資料ですし、力士などは現代人が見てもすぐにそれと判るくらいで、こんな大昔のものでも確かに今に通じるものがあるのだなと思うと、とても不思議で楽しい世界でした。

 さて博物館の方はと言えば、何しろ建物がこぢんまりしていて特別展示のスペースもそう広くはないのですが、常設展示が非常に見応えがあって面白かったです。中央に遺跡の当時の姿を再現した大きなジオラマ(上記「古墳時代の地域社会復元・三ツ寺I遺跡」表紙の写真はその一部)があり、それを取り囲むように出土品や遺跡の解説パネルがぐるりと並んでいて、ひとつひとつじっくり見ていたら軽く1時間以上過ぎてしまいました。中でも去年「かがやきにこめた権威と荘厳」で復元を見た飾履は初めて実物にお目にかかれて、ちゃんと今でも青いガラス玉が残っているのにとても感動しました。(でもやっぱりあの靴って実用的じゃないですね。笑)

  井出二子山古墳
  (夕陽を浴びる井出二子山古墳)

 結局この日は日没まで遺跡を眺めた後、最後に近くの三ツ寺I遺跡の場所に寄ってから帰りました。しかしその三ツ寺I遺跡、現在は上越新幹線の線路と道路の真下になってしまっていて、古びた案内板がぽつんと掲げられただけなのが何だか淋しかったです。そもそも新幹線の開通に伴う発掘がなければ見つからなかったとはいえ、何とか保存できればよかったんですけどねえ…残念。

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女王陛下の黄金時代

 2010/01/27(Wed)
 1月23日(土)、Bunkamuraザ・ミュージアムの「愛のヴィクトリアン・ジュエリー展」へ行ってきました。
 私もご多聞に漏れずきらきら物は大好きなので、今回も予告段階から大変楽しみにしていました。同じくBunkamuraで以前開催されたティアラ展は、それはもうダイヤのきらきらぶりが目に痛いほどでしたが、よく考えてみるとあんな風にダイヤとプラチナが主役になるのはエドワーディアンやアールデコの頃の話です。よってヴィクトリアンが主役の今回、ジュエリーではダイヤはむしろ控えめだったのですが(石自体は大きいのだけれどシルバーなのでやや地味目)、精緻な金細工や色とりどりの宝石をふんだんに使った華やかな印象のものが多かったですね。特に多かったのがガーネットで、他にもルビーやエメラルドもよく見られましたが、中でも初めて見るピンクトパーズがとても綺麗でした。
 他にも知る人ぞ知るカステラーニがいくつもありましたが、私の好みから言えばカルロ・ジュリアーノの作品の方が目を惹かれるものは多かったです。ジュリアーノは今回初めて名前を知ったのですけど、金とラピスの腕輪も素敵だったし、とりわけダイヤとサファイアのネックレスは、小粒ながらサファイアの青が素晴らしく深みのある色で惚れ惚れさせられました。あんな石の一個だけでも欲しいなあとちょっぴり思ったりしましたが、きっと一個だけでもさぞかし素晴らしいお値段なのでしょうねえ…

 時に今回のタイトル、「愛の」ヴィクトリアンジュエリーとははてどういう意味だろう、と思っていたら、ヴィクトリア女王時代の結婚指輪やウエディングドレスにベールにレース等々、さらには一転して服喪を表わすモーニングジュエリーまで揃っていて、なるほどこういうことかと納得。しかもこれまた今回初めて知りましたが、白いウエディングドレスとレースのベールという定番衣裳は、ヴィクトリア女王が始めて広まったものなのだそうです。(※元々は白というより淡いクリーム色とのこと) おまけにウエディングケーキまで展示されていたのにはちょっとびっくり、つい笑ってしまいましたが、現代日本でもお馴染みのこんな習慣は以外に歴史の浅いものなんですね。

 ちなみに今回の出展作品の殆どが穐葉アンティークジュウリー美術館の所蔵品だそうで、以前から一度行ってみたいと思っていたところだったのですが、いやよくまあこれだけのコレクションを集めたものだと感心を通り越して溜息が出ます。目下この美術展のために肝心の美術館はお休み中だそうですが(笑)、巡回展が終わって美術館が再開したらまた行ってみたいなと改めて思いました。

 ところでレースと言えば、塩野七生読者が真っ先に連想するのはヴェネチアンレースですが、今年は箱根ガラスの森美術館にて春から「レースとレース・グラス展」(4月23日~11月3日)が開催されるそうです。ヴェネツィアを象徴する華麗なレースとレースグラスの両方が揃って見られるという贅沢で貴重な機会なので、これまた今からとても楽しみなのでした。毎回期間が長いためつい油断してはぎりぎりに駆けつけている千尋ですが、今年はなるべく早めに行ってきたいです。

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漆黒の超絶技巧

 2010/01/25(Mon)
 1月17日、三井記念美術館の「江戸の粋・明治の技 柴田是真の漆 × 絵」(2009/12/05-2010/02/07)へ行ってきました。
 そもそも柴田是真はあまりよく知らない人物でしたが、琳派絡みで名前を見た覚えがあり、またちょうど少し前の鏑木清方展(サントリー)にて清方と親しかったというエピソードをちらっと目にしていたこともあって、どんな内容だろうとかなり楽しみにしていました。特に清方が「(是真は)酒井抱一が好きなんだろう」と指摘したというのは、抱一好きとしても見逃せません。年末はあいにく多忙で時間が取れなかったので、年明けのようやく少し落ち着いた頃に訪れました。

 さて、漆の工芸といえば大体お馴染みなのは華麗な蒔絵だと思うのですが、今回見た是真の漆工は今まで思っていた漆のイメージからはちょっと想像できないような世界でした。
 蒔絵といえば私も金銀をこれでもかと使ったいかにも豪奢な作品を連想しますが、是真の作品は漆そのものの色を生かした、つまりはかなり色数も制限されたものなのです。だから一見地味かと思えば、実は凄まじく緻密で気の遠くなるような技巧の極致ともいえる世界なのだから、例によって見ている方がくらくらしそうでした。そもそも「漆で絵を描く」という発想からしてかなりとんでもないと思うのですが、その出来栄えがまた並々でなく素晴らしいときては、いやもう見れば見るほど唖然呆然、何故こんな凄い人があまり知られていないのかと不思議になるほどでした。今回の展示もメインは海外の個人コレクションによるものですが、日本国内であんな凄いものの価値が忘れられているというのは、つくづくともったいないです…

 ともあれ、そんな是真ですから画家としての力量も優れたもので、丸山四条派の影響が大きいという説明を何度か見かけましたが、私としては清方と同じく抱一さんのセンスに近いのではないかなという印象を受けました。抱一と漆工といえば、例の原羊遊齊との華麗な合作の数々もよく知られていますが、是真は自分で下絵をデザインして漆工もやりたいという人だったそうで、とりわけ繊細なつる草や細い枝を配した独特の構図はまさしく抱一の世界を思い出させました。(もし抱一本人に漆工の技術があれば、あんな風な作品を作ったかも?)

 そうそう、絵画といえば去年の「だまし絵展」(Bunkamura)にも是真の作品(絵の中の滝からこぼれおちる鯉)がありましたが、今回も遊び心たっぷりの愉快な作品が時おりあって、見ていて何度も絵の前で笑いを誘われました。そしてやっぱり思うのですが、抱一の弟子だった鈴木其一はモダンでシャープながら生真面目そうな画風なのに対し、是真はむしろ其一よりも抱一に近くてしかもユーモラスななところが何とも惹かれます。しかし「紫檀のように見せた漆」あたりになると、何でそんな面倒なことをそこまでしてと言う気もするのですが、このあたりは遊び心というより職人の意地でしょうか?(笑)

 何にせよ、漆でどこまで出来るかの限界にこれでもかとばかり挑戦したような是真さんは、その作品からも明治になっても江戸っ子の職人気質を頑固に守り続けた人柄が伺えるようでした。(実際、始めの頃は明治政府の仕事依頼も断っていたとか) 晩年には数々の栄誉にも恵まれたそうですが、そうでなかったとしてもこれだけ自分の信じた道を貫き通したならご本人はきっと満足だったのではないかなと、最後にそんな気がしました。

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