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奄美と日食と田中一村

 2009/07/18(Sat)
 いよいよ明日、奄美大島に向けて出発します。今回のメインは当然皆既日食なのですけれど、行き先が奄美大島となると美術好きには見逃せない田中一村の記念館があるので、日程に余裕があるのを幸いしっかりコースに組み込みました。
 もっとも私自身はあまり田中一村という画家については知らず、そもそも一村作品の本物も見たことはないのですが、大ファンだという知人曰く「鈴木其一とちょっと似ている」と言うのです。言われてみれば独特の大胆なトリミングが印象的な構図が確かに共通するものを感じますが、しかし画題が何しろトロピカルな人なので、一見日本画には見えないのですよね。


 
田中一村作品集田中一村作品集
(2001/10)
田中 一村中野 惇夫

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(表紙は代表作「アダンの木」)


 田中一村記念美術館・公式サイト
 http://www.amamipark.com/isson/isson.html

 ついでにもうひとつ、少し前に田中一村を主人公にした↓こんな映画も作られたそうです。

 
ADAN [DVD]ADAN [DVD]
(2007/05/26)
榎木孝明・五十嵐匠

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 一村役が榎木孝明と聞いて一瞬びっくりしたものの、そういえば榎木さんご本人も絵の達者な人だったと思い出して、大変よく納得できました。しかし色々調べてみたら、榎木さん実は大のヘビ嫌いだそうで、奄美での撮影はダイエットよりハブの方が大変だったらしいです…(笑)

 参考ページ(ザ・フリントストーン提供:榎木さんのインタビュー紹介)
 http://www.flintstone.co.jp/20060514.html

 最後に、田中一村の伝記も一緒にご紹介しておきます。

 
絵のなかの魂 評伝・田中一村 (新潮選書)絵のなかの魂
評伝・田中一村 (新潮選書)

(2006/05/24)
湯原 かの子

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 そもそも田中一村はその絵もさることながら、彼の生涯もまた多くの人を引きつける魅力のひとつなのだそうですが、いや凄絶と言うか何というか、読んでいてこっちの方が疲れてしまいました(苦笑)。ちなみにご本人、実は同期だったという東山魁夷さんを目の敵にしていたそうですが、一村が生前に殆ど認められなかったということを抜きにしても、確かに人間としても非常に対照的な人物だったろうなとは感じます。魁夷さんは「絵を描くことは、救われたいからだ」と言った画家でしたが、一村はそれとはまた違った意味で、絵を描かなければ生きていけない人だったのではないかなと、そんなことを思いました。

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古代アジアの星と神話

 2009/07/12(Sun)
  道教

 項目を変えまして、7/11の午後は三井記念美術館の「道教の美術 道教の神々と星の信仰」(2009.7.11-9.6)にも行ってきました。こちらは初日でしかもかなりマニアックな(笑)テーマとあってか、午後にしては人が少ないのはともかく何だか客層がいつもと違う感じで(しかも熱心な人は物凄く熱心)、ちょっとおかしかったです。

 さて肝心の内容ですが、そもそも「道教」って一体何だ?という人が日本では大半でしょうし、道教の美術展と言われても大抵の人は「何それ?」なのではないかと思います。最近は「陰陽道の元みたいなもの」とでもいえば多少イメージは湧きそうですが(特に安倍晴明とか)、それはそれでまた違う方向へ行ってしまいそうですし、なかなか難しいですよね。
 かくいう私も興味があるとはいえ詳しいわけではなく、よって今回も一体どんな展示内容になるのか今ひとつイメージできないまま訪れたのですが、一言で言ってやっぱりマニアックでした(笑)。キリスト教や仏教ならまだそれなりに多少の知識はありますが、道教の神様なんて知りませんし、それぞれ丁寧な解説はついていたものの、簡単でいいから主な神様の一覧表などでもあればもっとよかったかな、と後で思いました。もっとも普段意識していないだけで、鐘馗様とか関帝とか七福神の寿老人とか閻魔様とか古くから馴染み深いものも結構ありますけど、仏教やら何やら色々ごちゃまぜ状態だけにやっぱり付け焼刃だけでは判りにくいところもありますね。

 で、陰陽道とも絡んできますが、今回私が特に注目していたのは天文関連です。
 一頃ちょっと凝って調べまくった関係で、古代アジアの天文学や妙見信仰等には興味があり、その点今回の展示はその方面の史料を一度に見られる大変貴重な機会とあってとても楽しみにしていました。キトラを除けば東洋最古と言われる「淳祐天文図」は科学博物館で何度も見ていたけれど、星曼荼羅や九曜星図なんて滅多にお目にかかれないし、星を人や獣の姿で表わした絵巻や掛け軸も珍しくて面白かったです。中でも土佐光芳の「北斗真形図」は、北斗七星の化身?が纏う華やかな中国風の衣装が細かい文様まで実に丁寧に美しく描かれていて、土佐派でこんなものを描いていたなんて意外でしたが大変印象に残りました。(ただどれが何の星か説明になくて残念だったのですが、後で図録を見たら専門家も武曲星と破軍星しか判らないそうです…笑)
 そうそうその星ですが、今回副題に「星の信仰」と入っている割にはこれまた会場内に殆ど説明がなくて、これもちょっと不満でした。ただでさえ西洋の88星座と違って、古代中国の星座は殆ど馴染みがないのですから、最低でも北斗七星と二十八宿の簡単な解説くらいは欲しかったです。もしかすると図録には載っていたのかもしれませんが、こればっかりは天文ファンでも星図見ただけでは殆ど判りませんよ。

 というわけで、覚書きも兼ねて北斗七星と二十八宿の一覧をざっとご紹介。

 北斗七星:
  1.天枢(貪狼星)
  2.天セン(巨門星) ※セン=王+旋
  3.天キ(禄存星) ※キ=王+幾
  4.天権(文曲星)
  5.天衝(廉貞星)
  6.開陽(武曲星) ※二重星なので子供(輔星)を連れている
  7.揺光(破軍星)

 二十八宿:
  【東方青竜】
  1. 角(かく)宿~おとめ座の一部。青竜の角。左角は刑罰を、右角は軍隊を司る。
     主な星:角大星または左角(おとめ座・スピカ)
  2. 亢(こう)宿~おとめ座の左側。青竜の首。疫病を司る。
     主な星:大角(うしかい座・アークトゥルス)
  3. 氏(てい)宿~てんびん座。青竜の胴。天帝の宮殿を表す。
  4. 房(ぼう)宿~さそり座西部、さそりの頭の部分。天帝の四頭立ての馬にあたる。
  5. 心(しん)宿~さそり座中央部。青竜の心臓。天下の賞罰を司る。
     主な星:心大星(さそり座・アンタレス)
  6. 尾(び)宿~さそり座東部、さそりの尾の部分。青竜の尾。後宮を表す。
  7. 箕(き)宿~いて座西部。風を好む星。別名風伯。八方から吹く風、口論、異民族のこと等を司る。

 【北方玄武】
  8. 斗(と)宿~いて座の中央。別名を南斗六星。天子の寿命を司る。
  9. 牛(ぎゅう)宿~やぎ座の頭の部分。別名牽牛。祭祀の犠牲の動物を司る。
  10. 女(じょ)宿~みずがめ座西部。玄武の亀の甲羅。布帛裁縫のことを司る。
  11. 虚(きょ)宿~みずがめ座中央部。墳墓に侍衛する役人を表す。
    死葬号泣、廟堂の祭祀祈祷などを司る。
  12. 危(き)宿~みずがめ座東部、ペガスス座の一部。天の倉庫、市場、建築の事を司る。
  13. 室(しつ)宿~ペガスス座西部、ぺガススの胴の部分。
    古くは祭祀や儀礼の行われる神聖な場所を、後には天帝の宮殿・軍の糧食を入れる倉庫を表した。
    土木工事を司る。
  14. 壁(へき)宿~ペガスス座東部、ペガススの腰の部分。宮廷の図書庫を表す。文章を司る。

 【西方白虎】
  15. 奎(けい)宿~アンドロメダ座。天の兵器庫を表す。暴乱を鎮める事や、灌漑用水路を司る。
  16. 婁(ろう)宿~おひつじ座西部。天の牢獄を表す。犠牲の動物を天子の祭祀に供することを司る。
  17. 胃(い)宿~おひつじ座。五穀を収める、天の厨房の倉を表す。倉庫を司る。
  18. 昴(ぼう)宿~おうし座西部、プレアデス星団(すばる)。白虎の背中。
    西方および裁判を司る。
  19. 畢(ひつ)宿~おうし座中央部、ヒアデス星団。風を好む箕宿と並んで雨を呼ぶとされる。
    別名雨師。辺境の軍隊、首領を司る。
     主な星:畢大星(おうし座・アルデバラン)
  20. 觜(し)宿~オリオン座北部、オリオンの頭の部分。白虎の口先。
    三軍の斥候、行進する軍隊の倉庫を表す。
  21. 参(しん)宿~オリオン座南部、オリオンの胴の部分。白虎の胸。
    兵器(天の武官)を表す。北方鮮卑(異民族)や外国のことを司る。
     主な星:オリオン座・ベテルギウス&リゲル

 【南方朱雀】
  22. 井(せい)宿~ふたご座。別名東井。天の南門を表し、太陽・月・惑星の通路にあたる。
    水位計を司り、法令が公平に行われているかどうかを占う。
     主な星:北河(ふたご座・カストル&ポルックス)、天狼(おおいぬ座・シリウス)、
     老人星(りゅうこつ座・カノープス)など
  23. 鬼(き)宿~かに座。別名輿鬼。邪な謀略を観察する天の目を表す。
    中央の積尸気(プレセペ星団)は積み重なった死体から立ち上る妖気を示し、葬式や神々の祭祀を司る。
    邪な陰謀を暴く事を司る。
  24. 柳(りゅう)宿~うみへび座西部。朱雀のくちばしにあたる。天の厨房の調理頭を表す。
  25. 星(せい)宿~うみへび座中央部からしし座西部。別名七星。朱雀の首。天の都を表す。
    衣服の文様、刺繍を司り、突発的に起こる非常の事件を占う。
     主な星:軒轅大星(しし座・レグルス)
  26. 張(ちょう)宿~うみへび座。朱雀の胃袋にあたり、天の調理場を表す。
    飲食・賜物や、宗廟の祭祀に用いる衣服を司る。
  27. 翼(よく)宿~コップ座。朱雀の翼。天の音楽を司る官庁を表す。
    俳優、音楽、また外国の遠来の賓客を司る。
  28. 軫(しん)宿~からす座。宰相、戦車・騎兵、運搬を司る。

 本当は星図があればもっといいのですが、とりあえずリストのみ載せておきます。
 なお古代中国の星については、以下の本が比較的判りやすいので興味のある方はどうぞ。

  
孔子の見た星空―古典詩文の星を読む孔子の見た星空―古典詩文の星を読む
(1997/03)
福島 久雄

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追記:
 上に挙げた「孔子の見た星空」を読み返していて気がつきましたが、北斗七星は一番目から四番目までの四つと、五番目から七番目までの三つに分けられることがよくあるそうです。ということは、土佐光芳のあの絵も展示されていた順番通り、文官四人が前半で武官三人が後半ということになるのかな…?

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三度目のラリック

 2009/07/12(Sun)
  ラリック展


 昨日7/11(土)、国立新美術館の「ルネ・ラリック 華やぎのジュエリーから煌きのガラスへ」(2009.6.24-9.7)へ行ってきました。
 ラリックは過去2回、1992年(国立近代美術館)と2000年(横浜そごう&庭園美術館)で大規模な美術展を見ており、今回で三度目なので、その意味では目新しいものはあまりなかったりします。とはいえ10年おきくらいのペースとなるとさすがにこちらの記憶も大分怪しくなっていて、帰宅してから図録を引っ張り出してみたところ、昔見たはずなのにすっかり忘れてしまっていたものが随分ありました(苦笑)。まあそれはそれで新鮮な気分で楽しめましたが、さすがにインパクトの強さでよく覚えていた雄鶏のティアラは実に1992年以来の再会だったので、これは懐かしかったです。ラリックのジュエリーと言ったら、やっぱりあの雄鶏か蜻蛉の精に尽きますね!(そういえばこの二つを一度に見たのは1992年だけでした)

  
もっと知りたいルネ・ラリックもっと知りたいルネ・ラリック
(2009/05)
鈴木 潔

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 ↑この「蜻蛉の精」もグルベンキアン所蔵の逸品。
 確か2001年のアールヌーヴォー展(東京都美術館)以来ご無沙汰中。

 さて今回、ものがラリックですので出品数は例によって大変多かったのですが、展示会場は全体に非常にゆったりした印象で、何だかちょっと広すぎるような気さえしてしまいました。朝一番でまだ空いていたせいもあったかもしれませんが、カーマスコットのコーナーは特にだだっ広い感じで、前半のジュエリーで小さな作品たちをじっくりみっちり見た後だけに「え、こここれだけ?」というのが正直な感想です。いや、ど真ん中にクラシックカーなんて置いてるから無理もないのですが、それにしてもあんなにスペースがあるのに記念撮影できないのが実にもったいなかった…
 また所蔵者名を見ていて特に目についたのが、今まで知らなかった滋賀県の成田美術館で、関西にあれほどたくさんラリックを持っている美術館があるとは全然知りませんでした。関東で有名な箱根のラリック美術館は今回特に出品がなかったようですが、あそこを抜きにしてもあんなにコレクターがいるなんて、日本でのラリック人気も凄いんですね。
 ところで今回の展示は全体にごくシンプルに押さえていたようで、ジュエリーや花瓶はともかくテーブルウェアなどはもう少し凝った展示でもよかったんじゃないかなとも思いましたが、そんな中で一際圧巻だったのがアール・デコ博覧会の噴水塔の作品群でした。あの「噴水の女神」シリーズは今までにもいくつか見てきましたが、あれだけの数を一度にというのはさすがに初めてで、あの一か所だけでも今回見に行った甲斐があったと思います。よく見ると一体一体のデザインも微妙に違っていて、あれで光が入ったらさぞかし幻想的に美しいのだろうなあと、当時の写真を見てまた惚れ惚れさせられました。また当時のドレスに実際にジュエリーをつけた様子を見るのも初めてで、これまたとても素敵でしたが、ああいう試みは庭園美術館でやってほしかったなーと思ったのはここだけの話です(特にフォルチュニィなんて見ちゃったら尚さら。笑)。

 というわけで、久しぶりにどっぷりと頭のてっぺんまでラリックに漬かって大変幸せなひと時を過ごしてきましたが、個人的に難点が二つ。
 今回ジュエリーのデザイン画も多く、しかも完成品も揃っていてとてもよかったのですが、デザイン画と完成品がみんなとても離れた展示になっていて、両方を一度に見比べることができなかったのが不便で残念でした。デザインだけで完成品がないならまあ仕方ないと思いますが、せっかく両方揃っているのだから、もっと見やすい配置にしてほしかったです。
 そしてもうひとつ、図録は今回写真映りもよく大変気に入ったのですが、例の雄鶏の写真がどーんと見開きになっていまして、おかげで写真も真っ二つなのです。いくら大きくてもこれじゃあちょっと嬉しくないよ、というわけで、白地にケシの表紙ではなく黒地に雄鶏の表紙の図録を買ってきました。ケシも綺麗だったし大好きなのですが、あの雄鶏は見開きじゃない方が逆によかったと思います…

 ともあれ、まだまだ始まったばかりですし、夏休みに入れば一気に混むでしょうが、いずれ時間を見つけて最低もう一回は見に行こうと思います。そして箱根もまた面白そうな展示情報をもらってきたので、またオリエントカーでお茶してきたいですね。


  今回のおまけ:

  ラリック1992&2001

  左が1992年、右が2001年の図録。今でも宝物です。

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太陽の翼

 2009/07/07(Tue)
 いよいよ今月下旬に迫った皆既日食の準備を進めている最中ですが、先日のNHKスペシャル「古代エジプト」を見ていたら「有翼日輪の謎 太陽磁気圏と古代日食」(斎藤尚生、中公新書668、1982年)という本をふと思い出し、久しぶりに図書館から借りてきました。
 簡単に言えば「古代エジプト芸術に描かれる有翼日輪は、皆既日食のコロナを表わしたものだ」という内容で、その後この説が考古学界でどのように捉えられているのかは知りませんが、おなじみの古代エジプトについて面白い切り口から解釈を試みたものとして、結構知る人ぞ知るようです。(※ウィキメディア・コモンズ提供「ツタンカーメン王の椅子」の写真に、背もたれの上部にくっきりと描かれた黄金の有翼日輪があります) ぱっと見た限りでは丸い太陽にハゲワシの翼をくっつけただけの、古代の信仰にありがちな珍妙なデザインとしか見えないものですが、これが皆既日食と関係があるかもしれないという発想は正直驚きでした。

 ちなみに著者がこの説を唱えた根拠は何も見た目がコロナと似ているからだけではなく、何とツタンカーメン王の在位中(BC1352年8月15日)にエジプトで実際に皆既日食が見られたからでもあるそうです。特にこの頃は太陽活動も弱く、コロナが横長に見えやすい条件も揃っていたとのこと。それにしても本当にあんなに横長に見えるものかしら?とやや不思議な気はしますが、ともあれイクナアトン王からツタンカーメン王の時代にかけて、エジプトの宗教が一大転機を迎えたのは確かですし、それに伴って、アマルナ芸術によく見られる千手観音のようにたくさんの細い腕を持つ光線日輪(=日輪の神アトン)から有翼日輪(=太陽神アメン)への回帰があったこともよく知られています。古代日本の邪馬台国女王卑弥呼の死と皆既日食の関連が言われるように、はるかに古い古代エジプトでも日食が歴史を変えたのだとしたら、まったくドキドキするような話ですよね。この夏はちょうど東京と横浜でもエジプト展がありますし、そちらでも有翼日輪関連の出品があるといいなーと、ちょっと期待しています。

 ちなみに今度のトカラ他で見られる皆既日食も、いい具合に今は太陽の極小期に当たっているので、晴天に恵まれたら綺麗なコロナが見られるはずだそうです。何も丸一日快晴になれとは言わないけれど、せめて皆既の時間だけはどうか晴れてくれますように。

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衝動買い…ではないんですが

 2009/07/05(Sun)
 今週末はちょっと体調崩して東京までお出かけする気力体力がなかったのですが、代わりに近くの書店へふらっと出かけたら、反動からか色々買い込んできてしまいました。

御堂関白記  藤原道長の日記御堂関白記 藤原道長の日記
(角川ソフィア文庫
ビギナーズ・クラシックス 日本の古典)

(2009/06/25)
藤原 道長

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海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈4〉 (新潮文庫)海の都の物語
ヴェネツィア共和国の一千年〈4〉
(新潮文庫)

(2009/06/27)
塩野 七生

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海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈5〉 (新潮文庫)海の都の物語
ヴェネツィア共和国の一千年〈5〉
(新潮文庫)

(2009/06/27)
塩野 七生

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海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈6〉 (新潮文庫)海の都の物語
ヴェネツィア共和国の一千年〈6〉
(新潮文庫)

(2009/06/27)
塩野 七生

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伊勢神宮に仕える皇女・斎宮跡(シリーズ「遺跡を学ぶ」)伊勢神宮に仕える皇女・斎宮跡
(シリーズ「遺跡を学ぶ」)

(2009/06)
駒田 利治

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瀬戸内寂聴さんと行く 「源氏物語」こころの旅瀬戸内寂聴さんと行く
「源氏物語」こころの旅

(2008/09/20)
家庭画報編集部

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日食観測マニュアル(アスキームック 星ナビ別冊)日食観測マニュアル
(アスキームック 星ナビ別冊)

(2009/06/17)
株式会社アストロアーツ

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 我ながら実に雑多というか、ごちゃまぜなラインナップですが、しばらくは読む本に不自由せずにすみそうです(というより、読む時間をひねり出す方に苦労しそうですけれど)。日食観測マニュアルは他にも色々あって悩んだのですが、一番初心者にも判りやすそうでしかも日食メガネつきだったので、これを選びました。
 あと、「御堂関白記」の方は本当は始め講談社学術文庫の全訳を探しに行ったのですが、今日行った書店にはなかったので、とりあえず角川版を買ってみました。権記や小右記でも(せめてダイジェスト版でいいから)こういう本が出てくれるとありがたいのですが、なかなか大変でしょうねえ。

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匂宮家と具平親王家

 2009/07/04(Sat)
 前回、源氏物語の浮舟についてちょっと考察しましたが、この絡みでもうひとつ気になったことがありました。

 源氏物語よりも少し時代は下りますが、藤原道長の後を継いだ長男・頼通の微妙な家庭事情はその筋では有名な話で、この人は熱愛する正妻・隆姫女王に不運にも子どもがなかったのです。で、自分が子沢山で大成功した父・道長から「何をしてるこの甲斐性なし!」と怒られた(笑)せいかどうか知りませんが、一度は天皇からの「娘を貰ってくれないか」という申込さえ断ったのに、結局よその女性に子どもを産ませてしまうのですね。
 とはいえ、その「よその女性」が奥さんの身内だったことから、話がややこしくなってきます。まず最初が従兄弟にあたる源憲定の娘・対の君で、父の死後頼通夫妻に引き取られて女房になっていたのが、そのうち頼通に目をかけられて男の子を産んだものの、この通房という長男は結局20歳で亡くなってしまいました。
 しかしその後、頼通が新たに寵愛するようになった藤原祇子(進命婦)という人が問題です。彼女は頼通の母倫子に仕える女房で、どうもかなり身分低い人だったらしいのですが、相性が良かったと見えて頼通との関係は結構長く続き、実に五男一女をもうけたのでした。
 で、この祇子の素性なんですが、一応?藤原頼成の娘ということになっています。頼成は隆姫の異母弟ですからやはり身内ですが、母親の身分が低すぎて父・具平親王から認知されずに養子に出されたらしいのです。しかもさらにややこしいことに、「栄花物語」等によると祇子本人も実は具平親王の落胤である、即ち隆姫や頼成の異母妹であるらしいとか言われていて、何だかもうごちゃごちゃですね。


 為平親王女=====具平親王=====?
        |        |
        |        |
        |        |
       隆姫女王     藤原頼成
        ∥        |
        ∥        |
        ∥        |
       藤原頼通=====藤原祇子
       (関白)  | (具平親王落胤?)
             |
      ┌――――――┤
      |      |
     藤原寛子   藤原師実
   (後冷泉皇后)  (関白)

 ともあれ、身分低いにもかかわらず多くの子、特に娘を産んだことで祇子は正式な?妾として認められ、娘の寛子は皇后に、末息子の師実は頼通の後を継いで関白にまで出世します。ただし寛子より先に生まれた息子たちは全員よそへ養子に出されており、これは正妻・隆姫が嫉妬深かったせいだとか、いや既に血筋のいい養子がいたからだとか色々言われていますが、それはひとまず置いておきましょう。

 で、ここであらっと思ったのですが、身分高い貴公子と宮家の姫が結婚して、しかしその後宮家の姫の劣り腹(嫌な言葉ですが)の妹が後から寵愛を奪ってしまったというこの構図、何だか匂宮と中の君、そして浮舟の関係と妙に重なります。幸か不幸か浮舟は子を産むことはありませんでしたが、もし匂宮が浮舟誘拐に成功していたら、遠からずこんな泥沼愛憎劇が展開されるのは必至だったでしょうね。
 考えてみるとそもそも浮舟の母・中将の君もまた、八の宮の北の方の姪でその死後に宮の寵愛を受けた召人であり、今でこそ考えられないような話ですが、当時はよくあることだったらしいです。ちなみに例の道長もまた、奥さん(源倫子)の姪を愛人にしていたことで有名ですが、倫子は逆に「下手によその女性に手を出されるより身内の方がいい」と割り切っていたようです。まあ彼女の場合は既に大勢の子どもをもうけていて、自らも従一位にまでなった押しも押されもしない正妻でしたから、旦那の火遊びのひとつやふたつで今さら目くじら立てることもなかったのでしょう。

 それにしても、具平親王といえば紫式部とも血縁にあたり近しい間柄であったともいわれる人で、源氏物語の夕顔も親王の愛人がモデルだという話もあるそうですが、過去の話ならまだしも未来のことまでこうも重なってくると、一体この作者は何をどこまで見通していたのかとやっぱりちょっと怖くなります。頼通のように子どもを産ませる片端から養子に出したり、かと思えば娘だと手のひらを返したように大切に入内させたりというのもどうかと思いますが、具平親王や八の宮のように認知さえしないというのもあまりに無責任というか、現代の感覚ではやはり「女(と子ども)を何だと思ってるんだ!」と怒りたくもなりますが、逆に言うならそういう時代だったということが「源氏物語」の生まれた一因でもあったのかもしれません。もちろんそうした中でも要領よく生きていった人もいたのでしょうが、多分作者自身はそれができず、その理由も自分自身でよく判っていたのだろうなあと、何となく思いました。

 しかしこうして色々調べてみると、「紫式部日記」に登場した折の若き頼通(当時17歳)の言葉「人はなほ、心ばへこそ難きものなめれ(女性は気だてのいいのが一番だけれど、なかなかそうはいかないものですね)」は何とも意味深というか、彼は祇子のどんなところを愛したのだろうとまた気になります。源氏を始めとする平安物語の男主人公はよく、身分低い愛人のことを「気の置けない可愛い相手」として気に入っていたと描かれていますが、結局のところ対等な人格として認めていなかっただけだとすると、それはそれで悲しい話ですね。

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浮舟と仕立て物

 2009/07/01(Wed)
 以前宿題としました、平安時代の僧侶への禄(被物)の方はその後もなかなか調査が進んでいませんが、その関係でまたちょっと気になったことがあったので、つらつらと書いてみます。

 宇治十帖最後の(つまり源氏物語最後の)ヒロインとして名高い浮舟は、作中でも徹頭徹尾「田舎育ちで教養のない卑しい娘」とされ、そのために薫と匂宮に寵愛される一方でどちらからも人並みの扱いを受けていません。父(八の宮)に認知されなかったのも田舎育ちなのも本人のせいではないのに、身分意識の厳しい時代のこととはいえ読んでいていて本当に気の毒なくらいで、おかげで宇治十帖は(世間では名作とされますけれど)私個人としては色々腹の立つことも多い話なのですが、それはまあ置いておきましょう。
 で、姿こそ異母姉の大君そっくりで髪も美しいけれど、身分低く教養がない上に性格もおっとりしすぎて流されやすいところもよくないとか、ともかく散々な浮舟ですが、珍しく容姿以外でほめられているところがあるのに、最近ふと気がつきました。例の浮舟一周忌の法事のために仕立てられる女装束のエピソードのところで、小野の尼(瀕死の浮舟を助け、娘の生まれ変わりと思ってその後も可愛がっている女性)が浮舟に「これ御覧じ入れよ。ものをいとうつくしうひねらせたまへば(あなたも手伝ってくださいな。着物の仕立てが御上手でいらっしゃるから)」と話しかけているのです。当の浮舟は自分の法事のための衣装というだけで動揺しているので、手も触れずに引っこんでしまうのですが、改めて読み返すうちにこれはちょっと気になるところだなと思いました。

 そもそも浮舟が教養がない、具体的には琴などの音楽の嗜みがないというのは、母親の中将の君が彼女に何とか良縁をと願ってきたにしては、どうも片手落ちな気がします。中将の君は元は上臈女房(八の宮の北の方の姪)という決して低くはない身の上ですし、「東屋」帖の冒頭でも、夫常陸介が自分の子にわざわざ師匠をつけてやっているのを、質のよくない師匠だというので馬鹿にしていたとありますから、中将の君自身もそれなりに音楽の嗜みはあったはずです(何しろ当時の上流階級の必須教養科目ですから)。
 じゃあそれなのに、どうして娘の浮舟には自分で教えるなり師匠をつけるなりしてやらなかったのかと思ったのですが、手近な注釈書等をざっと探してみても、その理由にまで言及した説明はどこにもありません。しかしかつて明石の御方という(鄙には稀な琵琶の天才の)前例があるだけに、田舎育ちというだけで片付けられるのはどうも納得がいかないと首をひねっていたところ、先述の仕立て物のくだりにふと目が止まってあれっと思いました。

 いわゆるお姫様の教養としてはあまり出てきませんが、当時は今のような既製服の存在しない時代ですから、女性にとって装束の仕立てはこれまた必須の家事のひとつであり、特に上流婦人は(以前も触れましたが)夫の装束を調えることが重要な仕事でした。そんなものは侍女に任せればいいだろうと思われそうですが、光源氏の妻たち、特に紫の上と花散里が共に裁縫や染め物にも優れた名手としてたびたび賞賛されており、また明石の御方も直接の描写はありませんが、源氏の夫人として不足のないだけのものは常に調えていたらしいことが伺えます。こうした事情は中流階級にしても同じことで、例の「雨夜の品定め」でも気取った教養なぞをひけらかす軽々しい女より、しっかり家事を任せられる相手の方が結局は妻として連れ添うのに理想的だという話が出てくるのですよね。(…女性としては何やら耳に痛い話ではありますが。苦笑)
 ともあれ教養のなさをあれほど繰り返し辱められ本人も苦にしていた浮舟が、そうした裁縫の類には優れた技術を持っていたのだとしたら、それが母中将の君が彼女に授けたいわば花嫁修業の一環だったのではないでしょうか。元々身分違い故に八の宮に捨てられたことに懲りていた中将の君は、そのため始めは薫からの申し入れにも消極的で左近少将との縁談をまとめようとしていたのですし、中流貴族の北の方を目指す(というのも変ですが)のなら、大して役に立たない教養よりも実を取って手に職をつける(?)方を選んだ可能性も考えられるのではないかな、と思うのです。もっとも作中では浮舟自身が衣装の仕立てをする場面はなく、また衣装の趣味も薫の目にはやや田舎びて(つまりは野暮ったいと)映ったようなので、彼女自らが仕立てたとしてもやはり花散里のようには行かなかったのかもしれませんけれどね。

 そうして改めて正編を振り返ってみると、浮舟に似た境遇にあった玉鬘は同じように田舎びて嗜みにも欠けるところもあったと思われるのに、わずか一年ほどで尚侍として不足のないほど趣味も洗練されて優れた女性に成長したのですから、六条院に迎えられて源氏から受けたこまやかな薫陶がどれほどのものだったかが何となく察せられる気がします。もちろん、養女として玉鬘を引き取った壮年の源氏と、恋人の身代わりに浮舟を迎えとった若い薫では到底一緒にはできませんが、それにしてもこの作者はよくもここまで可哀想に浮舟を書いたものだと、何だかちょっと怖くなりました。それなのに「更級日記」で知られる菅原孝標女などは(恐らく「素敵な男君二人に愛される」というだけで)彼女の物語にうっとりしたというし、その後の物語は薫型の男主人公がもっぱら流行したというのだから、平安時代の姫君たちの趣味は判りません…


参考書籍:
源氏物語と音楽 (IZUMI BOOKS)源氏物語と音楽 (IZUMI BOOKS)
(2007/05)
中川 正美

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 源氏物語に登場する様々な音楽と、そこから見えてくる人間模様や作者の音楽観を鋭く考察した名著。葵の上や紫の上が光源氏と「(音楽を)掻き合わせない女性」というのもどきりとする指摘ですが、浮舟は特に「掻き合わせることを一方的に断ち切られた女性」として語られています。

おまけ:

  仕立て物

 2003年後半風俗博物館展示より、女房たちの日常。
 何かお祝い事に備えて、晴れ着の縫物に勤しんでいるところでしょうか?
(左の女房の装束~袿:赤地萌黄藤丸文、五つ衣:紅の薄様?)

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