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追憶の月光と踊る朝顔

 2016/10/01(Sat)
 今年は年度初めから仕事がてんやわんやで、ただでさえ賀茂斎院にかまけていたこともあってすっかり美術展レポもご無沙汰中です。美術展自体はせっせと回っているのですが、今年は本当に回るだけで精一杯で、もうしばらくは休止状態が続きそうですがご容赦くださいませ。

 さて9月21日から、上野の東京国立博物館にて酒井抱一の「夏秋草図屏風」が公開中です。
 東博での公開は3年ぶりとなるものの、昨年の琳派イヤーでは京博琳派展に出張していたので、千尋にとっては約1年ぶりの再会です。京博の1回目でも閉館直前の10分間ほど独り占めでしたが、今日は20時まで延長開館だったおかげで、19時以降はほぼ無人の大変贅沢な状態で心行くまで堪能してきました。大好きな絵画は古今東西たくさんありますが、「夏秋草図」は時間さえ許せばいつまででも見ていたい作品です。


2016年夏秋草図
今回は真っ平らな状態での展示でした。


 そしてサントリー美術館では9月10日から、抱一さんの一番弟子こと鈴木其一の回顧展を開催中です。こちらも早速初日に足を運び、冒頭にまず師匠である抱一さんの作品、しかもこれまた大好きな「白蓮図」が出ていたのに大喜びでした。あの掛け軸も抱一作品ではベスト3に数えているお気に入りなので、去年に続き今年も会えて嬉しかったです。 
 それはともかく、肝心の其一ご本人ですが、初めて見る作品が予想以上に多く、何だか其一のイメージが大分変わった気になる素晴らしい内容でした。
 大作の屏風を始め掛け軸、襖絵、扇面、さらには羽子板や絵馬と実に多彩な種類が揃っており、中でも特に惹かれたのは、雛道具として作られたらしいミニチュアの掛け軸でした。まさにお雛様サイズで、これがまた小さいのにとても丁寧で大変に可愛らしいのです。思えば其一作のミニ巻物は前にも見たことがありますし、師匠の抱一さんが描いたミニ屏風や草紙も知っていましたが、あのくらいのサイズなら自宅にも置けそうなせいか本気で欲しくなってしまいました(ちなみに千尋は何を隠そう、ドールハウス大好き人間です。笑)


2016鈴木其一展


 ともあれ、其一の其一らしい(と私が勝手に思っている)作品については、個人的に結構好き嫌いが別れるため、抱一さんほど好みとは言えないのが正直なところです。今回久々にメトロポリタンから里帰りの「朝顔図屏風」は大好きですが、根津美術館所蔵の「夏秋渓流図屏風」はちょっとどぎつく感じる色彩が苦手なのですよね。
 とはいえ、彼自身の画風が確立された後のあのシャープでモダンな独特の味わいは、好き嫌いはまた別としても面白いですし、朝顔以外にもいいなと思う絵は色々あります。細見美術館所蔵の黒楽茶碗と白椿の掛け軸は、タッチはいかにも琳派なのですが、すっきりと端正な佇まいがまさに其一らしくてお気に入りの絵の一つですね(今回他にも白椿を描いた作品があり、どうやら彼の好きな花だったようです)。だから抱一さんの抒情的な優美さとは異なるものの、絵のセンスは決して嫌いではないのですが(むしろ抱一さんと同じだったら面白くないでしょう)、ただ若冲の場合と同じで、色彩がビビッド過ぎるとちょっと苦手だなとも思ってしまうのでした。

 ところでそういえば、関連書籍に以前取り上げた『麗しき果実』があるかなと期待していたのですが、今回売店にはありませんでした。最近時代小説でも絵師を題材にした作品が増えていますが、其一を取り上げたものは大変珍しい(もしかして唯一?)ですし、作中で描かれた其一の人物像も千尋にはイメージに合っていると感じられたので、ちょっと残念です(個人的には前から何だかとっても真面目そうな人だなと何となく思っていたのですが、解説によると当たりだったようです。笑)。

 さて最後に、明日の日曜美術館ではその鈴木其一が登場です。しかも「幕末の異端児」なんて言われてしまってますが、とはいえ其一の場合、若冲や蕭白ほどエキセントリックではないと思うんですけどねえ(笑)

関連過去ログ:
 ・「麗しき果実 酒井抱一と根岸の里

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琳派400年(番外) 400年目の同窓会・美の巨人たち

 2015/11/24(Tue)
 10月の「美の巨人たち」は、4週連続琳派尽くしという豪華なスペシャルシリーズでした。
 まず本阿弥光悦の「舟橋蒔絵硯箱」、続いて光悦・俵屋宗達の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」、さらにもう一つ宗達の「養源院杉戸絵」で、最後が酒井抱一の「夏秋草図屏風」です。何故か今回は尾形光琳が入っていませんでしたが、多分京都国立博物館の琳派展と合わせての内容ということで、そこに出ていない二大国宝の「燕子花図屏風」「紅白梅図屏風」は入れられなかったのでしょうね。

 さて、今回ちょっと驚いたのが、お馴染み大好きな抱一さんの「夏秋草図屏風」(10/31放送)です。
 以前にもここでご紹介しましたが、この作品は既に2010年の夏、美の巨人たちで取り上げられています。一度扱った作品が再登場というのもあまり聞きませんが、どうするのかなと思っていたら内容も完全な新作で再び驚きました。
 さらに前回は単独の扱いということもあり、光琳の「風神雷神図」との関連に留まる紹介でしたが、今回は琳派シリーズの最終回とあって、ドラマ部分は何と光悦・宗達・光琳・抱一の四人が現代に集まった同窓会という、珍しくも愉快な内容となっていました。最初に「琳派」と聞いて、宗達が「『光琳派』ってこと?」と尋ねると、「めめめ、滅相もない!!」と慌てふためく光琳が意外に?控えめだったり、かと思えば最初は「宗達・光琳派」だったと聞いて「そもそも、わしの名前が入っとらん!」と不満そうな光悦がやけに偉そうだったりというのも面白かったです。
 ちなみに抱一さんに扮したのは橋爪淳さんで、わざわざお髭を剃って、もちろん坊主頭(これは特殊メイク)でのご登場です。イメージは番組中でもたびたび出てきた鏑木清方作の肖像(もちろん想像ですが)でしょう、湊鼠のすっきりとした着流し姿が粋なたたずまいでした。

 さて内容は、記念すべき「第一回琳派サミット」(笑)において、抱一さんに対して他の三人がそれぞれ「夏秋草図」について質問するという形を取っています。

 ・光琳「何故、自分の「風神雷神図」の裏に描いたのか?」
 ・宗達「何故、草花を描いたのか?」
 ・光悦「何故、金地ではなく銀地だったのか?」

 これに対して、そもそもは(恐らく)当時光琳作「風神雷神図」を所蔵していた一橋治済(はるさだ)の依頼であったこと、風神に対して秋の風・雷神に対して夏の雨、天上の神々に地上の草花を対比させていたことを説明しつつ、抱一さんの生涯が合わせて語られていきます。もちろん抱一さんの熱烈な光琳追っかけぶりもばっちり紹介され、それに照れまくる光琳もおかしかったですね。
 さらに今回もお馴染み玉蟲敏子先生の解説が加わって、「銀地は月の光を表し、引いては亡き人を追慕するものである」ことが明かされますが、ここで面白かったのが琳派サミットの面々。「誰を追慕しているのか…もう、おわかりですよね?」という小林薫さんのナレーションに、宗達と光悦が「はて、一体誰を…?」「まったくわからん」と首を傾げると、その隣で光琳が肩を震わせ感涙に咽んで?いるのです。(笑) 光悦・宗達コンビは「ええー!? 光琳殿ー!?」と驚いていましたが、やっぱりここでも何だか光琳が妙に可愛くて笑ってしまいました。

 ところでこの琳派サミット、司会は「抱一の弟子」だという青年が勤めていたのですが、最後に彼が鈴木其一であったことが明かされました。番組で紹介された根津美術館所蔵の「夏秋渓流図」は京都の琳派展でも登場しており、師匠の抱一さんとはまた別の持ち味を発揮していった人ですが、やはり彼こそ抱一の一番弟子であると同時に、真の意味で琳派の後継者の一人でもあったと言っていいでしょう。劇中ではかなり若い頃の感じで、何だか初々しい雰囲気なのがやっぱりちょっと可愛かったです。

夏秋草図屏風(2013)
(2013年・東京国立博物館にて撮影)


 番組で登場した「夏秋草図」の映像は、京都国立博物館の特別展会場で撮影したもののようです。千尋は放送前に先に現地で見てきましたが、夏秋草図の展示場所は手前のガラスの繋ぎ目が微妙に両端に引っかかる感じで、何となく気になっていたのですね。
 とはいえ幸い最初の週末ということもあってか、閉館10分前には殆ど人もいなくなり、おかげさまで久々に独り占め状態でたっぷりと堪能させていただきました。東京でも何度も見ている作品ですが、やっぱり何度見ても惚れ惚れする美しさです。

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琳派400年(6) 華麗なる季節・山種美術館「琳派と秋の彩り」

 2015/11/20(Fri)
 今年の琳派四百年記念イヤーもそろそろ終盤ですが、今週はNHKの「歴史秘話ヒストリア」が尾形光琳で、チェックしそびれていた千尋はたまたまチャンネルを回してびっくり仰天しました。全編ドラマ仕立てというわけにはいかない関係もあって諸々端折られてはいましたが、光琳視点というのは思えば初めてで面白かったです。なおドラマ仕立てと言えば「美の巨人たち」でもちょっと意表を突く演出があってこれまた大変愉快だったので、その話はまたいずれ。

 さて、9月26日(土)と10月24日(土)の2回、山種美術館で開催の「琳派と秋の彩り」(2015/9/1-10/25)へ行ってきました。

 山種美術館さんも琳派作品を色々所蔵していらっしゃるところで、とりわけ酒井抱一好きには嬉しい美術館の一つです。今回もお馴染み「秋草鶉図屏風」がポスターやチラシになっていて、図録の表紙にも「菊小禽図」が使われるなど、まさに抱一が主役!という感じでした。

 なお今回は光琳はありませんでしたが、光悦・宗達は所蔵品の和歌短冊や槙楓図屏風に加えて、個人蔵の貴重な作品もたくさん出品されていました。また抱一作品も、2011年の大回顧展で見た「仁徳帝・雁樵夫・紅葉牧童図」や「寿老・春秋七草図」等のあまり見る機会のない三幅対やその下絵もあって、数そのものは琳派関連で30点弱ながらとても見応えのある内容でした。

 さて今回、一番面白かったのが抱一さんの「仁徳帝」の下絵でした。
 構図は三幅対の完成作と全く一緒で、他にも同じような作品があるそうですが、仁徳帝の側に控える女官?の衣装の柄が下絵と完成作では違うのです。まあそもそも仁徳帝の時代に平安の女房装束は明らかに変なのですが(笑)、下絵では裳の柄は松林なのに、完成作の方はかの「夏秋草図屏風」を思わせる群青の流れが小さいながらしっかり描き込まれていました。
 また下絵の御簾には「スシ(筋)金」と書き込みがあり、確かに完成作では緑の地に細い金泥の線が丁寧に書かれていて、小さな部分なのに非常に丁寧に細部まで手を抜かずに描いてあるのです。もっとも下絵に指示書き?があるということは、そうした単純な部分は弟子にアシスタントをさせたのかもしれませんね。

 ちなみに女房の裳に描かれた水流や、寿老人の衣の襟、秋草の朝顔の花などはやはりいい顔料を使って描いたものらしく、少し角度を変えて見ると、ごく小さな部分なのに照明で群青がきらきら光っているのがはっきりわかりました。以前千葉市美術館で初めて見た時はびっくりしましたが、あの群青色は本当に綺麗で、何度見ても惚れ惚れします。

 それにしても、抱一さんの絵は宗達や光琳と比べても独特の何ともいえない典雅な気品を湛えていて、こういう点が女性ファンの多い由縁なんだろうなといつも思います。春秋七草の春の絵など、抱一さんの手にかかるとペンペン草ですら優雅に見えてしまうのですよね(笑)。

 ともあれ、今年訪れた琳派展は他にもサントリーの乾山展、京都国立博物館の琳派展、京都国立近代美術館の琳派イメージ展、そして静嘉堂の金銀展と、まだまだレポートを書かなければいけないものが盛り沢山でちょっと大変です。何とか今年中に一通り書いておきたいと思うのですが、京都の国立博物館・国立近代美術館は共に11/23で終了ですので、見逃している方はどうぞお早めに。

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琳派400年(5) 都の琳派コレクション「京都・細見美術館 琳派のきらめき」

 2015/10/26(Mon)
 大分前の話になりますが、5/4(月・祝)に日本橋高島屋にて、「京都・細見美術館 琳派のきらめき-宗達・光琳・抱一・雪佳」を見てきました。

 細見さんのコレクションとのお付き合いはもう随分長く、以前「思い出の美術展(2)」でも触れましたが、1996年正月に同じく日本橋高島屋で開催された琳派展が最初の出会いでした。
 当時千尋は琳派どころか日本美術自体全くの初心者で、キャプションを見て「たらしこみって何?」等と思ったものです。大分後で知ったのですが、この時はまだ京都に美術館が開館する前で、あれからもう20年近くになるんだなあと、改めて感慨深いものがありました。以前このブログでも書きましたが、あの時はまだ酒井抱一の名前も知らず、おかげで出品作の記憶も殆どないのが今でもちょっと悔しいです…(苦笑)

 ともあれ、細見さんのコレクションは数年おきに全国を巡回していますが、琳派一本にテーマを絞った巡回展は久しぶりです。今回は特に、明治以降に活躍した江戸琳派の後継者たちがまとまって登場、初めて見る作品も多く印象的でした。鈴木其一以降は目立って飛び抜けた才能の人物は見られないかなと思いつつ、近世から近代へと移り変わる時代にも受け継がれていった琳派の底力のようなものも感じた内容でした。

 さて、細見さん所蔵の琳派作品は優品の多さでも評価が高いですが、中でも千尋が贔屓する数点について、この機会に改めて触れたいと思います。

1.酒井抱一「白蓮図」
「散り際の花弁を大きく広げた白蓮、下方には薄緑の蕾が頭を覗かせる。細い茎は外隈(そとくま)によって塗り残された素地(そじ)を活かして表され、危うい均衡を保って花や葉を支えている。37歳で出家し、大名家の一員から僧籍に入った抱一は、仏画も多く手掛けている。本図は、草花図というより鎮魂、再生を願う祈りの花といえよう」(キャブションより)

 どちらかと言えば地味な作品ながら、細見館長いわく段々人気が向上、今やすっかり美術館のスター作品としてお馴染みになった一幅。千尋もこの絵は個人的に抱一作品ベスト3の一つに数えている、大好きな作品です。
 琳派というよりはむしろ円山四条派風の気品高く楚々とした趣で、彩色もごくわずかな、殆ど水墨画に近い画風です。金銀をふんだんに使った華やかな琳派の世界とはまた違う味わいを湛えていて、向き合うたびにほっとするような、それでいてしんみりとした心持ちにもなる別格の絵ですね。

  白蓮図(酒井抱一)

2.鈴木其一「水辺家鴨図屏風」
 真面目な印象の其一作ではある意味ちょっと珍しい、よちよち歩きのアヒルの姿が何ともユーモラスな絵。アヒルのお尻がとにかく可愛い!(笑)
 ちなみに美術展に合わせて、高島屋の1階に何とこの絵をモチーフにしたラッピングカーが展示されていてびっくりしました。

2015細見琳派展-1
光琳流水と其一のアヒル



3.鈴木其一「白椿に楽茶碗花鋏図」
 実を言えば、千尋は其一の作風は時々ちょっと苦手なのですが、この絵はとても好きです。
 師匠抱一の影響を受けつつも、広々とした余白の中に置かれた白い椿の花と、対照的に黒い茶碗と鋏が、彼らしいシャープで端正なたたずまいを感じさせます。多分これから茶会でもあるのだろうという風情で、この絵自体が茶室の掛け物にぴったりですね。

4.神坂雪佳「金魚玉図」
 20年前の細見展で、千尋が最も鮮明に記憶している作品が、実はこの金魚です(笑)。
 何しろ見ての通りの強烈なインパクトで、初めて見たら誰もが思わず吹き出してしまいそうな、何とも言えないユニークな構図ですよね。ここしばらく機会を逸してご無沙汰していたので、久しぶりに見られてとても嬉しかったです。

2015細見琳派展-2
金魚は何と正面でした(笑)


 ともあれ、この秋はいよいよ本格的な琳派シーズン到来で、先週は念願の京都国立博物館展へも行ってきました。そして今週10/31(土)は、「美の巨人たち」にて2010年以来5年ぶりに、酒井抱一の「夏秋草図屏風」が久々の登場です! 実物はただ今京都へ出張中ですが、抱一ファンの皆様はぜひお見逃しなく!!

関連過去ログ:
 ・琳派400年(1) 箱根の琳派・岡田美術館展
 ・琳派400年(2) さえずる鳥たち・畠山コレクション「THE 琳派」
 ・琳派400年(3) こぼれる梅花・MOA美術館「燕子花と紅白梅 光琳アート 光琳と現代美術」
 ・琳派400年(4) 小品の魅力・根津美術館「燕子花と紅白梅 光琳デザインの秘密」

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青空という幻想 マグリット展

 2015/09/04(Fri)
 少し前の話になりますが、4月12日(日)に、国立新美術館にて開催の「マグリット展」(2015/3/25-6/29)へ行ってきました。

 マグリットは日本では割合定期的に回顧展が開催されており、直近では2002年(東京ではBunkamura開催)がありました。その後はやはりBunkamuraの「だまし絵展」等でちらほら作品を見ていたものの、大きな展覧会はしばらくご無沙汰していたことになります。
 というわけで、今年はBunkamuraから実に13年ぶりの大規模なマグリット展だけに大変楽しみで、早めの時期に駆けつけました。そしてブランクが長かったせいでしょうか、何だか見慣れない作品が随分多かったように感じて、妙に新鮮に感じたのがちょっとおかしかったです。

 ところでそもそもマグリットとの出会いは、中学校の美術の教科書で表紙に使われていた「大家族」が確か最初だったと記憶しています。
 どんよりと暗い一面の曇天に、翼を広げた鳥の形に青空が切り取られた有名な絵で、マグリットの名前を知らない人でも恐らくこの絵は見たことがあるでしょう。私も作者がマグリットだと知ったのはずっと後でしたが、とにかくいわく言いがたい、一種独特な印象で一際記憶に焼きついた作品でした。
 なおもう一点、「個人的な価値」も教科書に載っていたのを憶えています。こちらは青空を壁紙に描いた部屋の中に、ベッドと同じくらいの巨大な櫛やらコップやらがどんと置かれており、やはりいかにもマグリット的な奇抜さで印象に残っていました。

 そして、初めて本格的にマグリットの作品に触れることになったのが、約20年前に新宿三越美術館にて開催された「ルネ・マグリット展」(1994年)でした。
 この時も作品数100点を超える、初期の作品から晩年まで幅広く網羅した素晴らしい内容でした。最初に見たマグリット展がこれというのは、今にして思うと実に幸運な体験で、この時初めて「大家族」の実物を見て大変感激したのをよく憶えています。
 ちなみにこの「大家族」、1994年当時はベルギーの個人所蔵でしたが、この2年後に宇都宮美術館が約6億円で購入しました。当時はかなり話題になり、お値段がお値段だけに賛否両論あったようです。
 とはいえマグリットは日本でも人気の高い画家の一人ですし、しかも彼の代表作の一つとして名高い「大家族」ですから、これは嬉しかったですね。ヨーロッパの美術館所蔵ではなかなか見に行くこともできませんが、あの時は大好きなマグリットのさらに大好きな絵が日本の美術館に入ると聞いて大感激でした。

 そしてこの1994年の回顧展でもう一点、やはり一際強烈に記憶に残っているのが「ピレネーの城」でした。
「大家族」が意外に小ぶりな絵(100x81cm)なのに対し、「ピレネーの城」は200x130cmという大きさにまず驚きました。空中にぽっかりと浮かんだ卵型の岩という、いかにもマグリットらしいモチーフで、いわゆる「石の時代」の代表作としても有名な作品です。
「大家族」も一風変わった絵ではありますが、こちらは画面下に暗い海がわずかに描かれているのは同じながら、背景は白い雲が浮かぶ一面の青空です。そして海の上に聳え立つように巨大な岩が浮かび、さらにその上には古めかしい石の城があって、マグリットにしては珍しく「ピレネーの城」というタイトルが何となくしっくりくる絵なのですよね(何しろこの人のネーミングセンス?は大抵意味不明で、おかげでタイトルも憶えにくいのです)。
 もっともこの岩、本当に巨大なのかどうかは他に比較するものがないのでわかりませんし、恐らくマグリットもそれを意図して敢えてわからないように描いたのでしょう。いずれにしても、どこか騙し絵めいたマグリットの作品に共通する、何とも不思議で幻想的な世界が大好きな絵のひとつです。

 ところが残念なことに、その後この「ピレネーの城」に再会する機会はなかなか巡ってきませんでした。
 先述の2002年のマグリット展でも「大家族」「アルンハイムの領地 」「白紙委任状」等は出展されましたが、「ピレネーの城」は来てくれなかったのです。そもそもこの作品は何故かイスラエル美術館所蔵で(どうやら個人からの寄贈で入ったようです)、色々難しいことも多かったのでしょうか、随分長いことご無沙汰のままになっていました。
 そして今年、久々に国立新美術館でマグリット展が開催されると聞き、喜んで駆けつけたのですが、残念ながら今回も「ピレネーの城」はありませんでした。ところが、がっかりしていたら何と、7月からの京都市美術館展(2015/7/11-10/12)限定で「ピレネーの城」が出るというではありませんか! しかもばっちりポスターやチラシの絵柄まで「ピレネーの城」尽くしで、これは是非とも見に行かねば!と狂喜乱舞、8月22日(土)にはるばる京都まで行ってきました。


京都マグリット展2015



 そんなわけで、実に21年ぶりで再会した「ピレネーの城」はやはりとても大きく、一際存在感のある作品でした。年代順の展示だったために、最後の展示室まで行ってやっと出会えましたが、この20年間で何度か見ている「大家族」とはまた違った感慨があって嬉しかったです。

 ところで今回改めてまじまじと実物を眺めていて気付いたことですが、この「ピレネーの城」は恐らく画面左上に太陽がある昼間の絵なのでしょうね。というのも、岩の右下の方に影がついていて、はっきりと光線の方向がわかるのです。ちなみによく似た構図のもう一枚の絵「現実の感覚」(こちらは下が陸地)も同様で、雲がうっすらと茜色に染まっていることから一瞬夕暮れかなと思いますが、上空に浮かぶ月が三日月の逆なので多分明け方でしょう。
 また画面下の波が打ち寄せる海は青い空とは対照的に暗く、何となくこれは北の海なのかなという印象です。マグリットの故国ベルギーは英仏海峡に面していますから、あれもベルギーの海なのでしょうか。
 なお海といえば、「大家族」の海はよく見ると、真ん中あたりに鳥の形の青空の色が映っています。これは東京展でじっくり見ていた時に初めて気がついたことで、しかも波の描写がとてもリアルなのですよね。鳥の形の青空がどう考えてもありえないだけに、これもまた不思議でした。

 さらに「ピレネーの城」のすぐ隣にあった「ガラスの鍵」という作品も、確か今回初めて見るものでしたが、少し「ピレネーの城」に似た雰囲気の絵でした。
 こちらはアルプスを思わせる険しい山脈を描いており、尾根の上にやはり卵形の巨大(多分)な岩がでんと載っています。ただし全体にごく淡い青を基調として描かれているせいか、こちらも大きな絵でありながら「ピレネーの城」のように圧倒されるような迫力というか、重量感はあまりありません。手前に描かれた別の尾根は少し暗い色ながら、卵形の岩が載った奥の尾根と背景の晴れた青空が何とも澄んだ繊細な色合いで、マグリットの作品では珍しく?普通に「綺麗」な絵だな、と感じました(でもやっぱりマグリットですが)。

 ところで、マグリットの絵でよく描かれるモチーフのひとつに、「大家族」や「ピレネーの城」でもお馴染みの青空があります。中でもひとつ、今回出展の作品でまさに白い雲の浮かぶ青空のみを描いた絵がありますが、このタイトルが何故か「呪い」という凄いもので、やっぱり意味不明なのですよね。
 ただ、国立新美術館で配布されていたミニパンフレットの紹介にあったのですが、そもそも空というのは実際には存在しない(手に届かず触れることもできない)のに見えているという、考えてみれば不思議なものです。古代の人々は天空を巨大なドームのように考えていましたが、現代人とて頭では青空とはレイリー散乱により「青く見えている」だけに過ぎないとわかっていても、肉眼ではプラネタリウムのスクリーンを見るのと同様の感覚で空を見ているわけです。そういう意味では、「青空」もまたある種の錯覚と言えば言えるでしょう。


 ところで、これもマグリットがよく描くものとして、背後の風景と一続きの景色を描いたキャンバスの絵があります。「ユークリッドの散歩道」が特に有名で、今回出展の「美しい虜」もその一例ですね。この「美しい虜」ではキャンバスが屋外に置かれており、これだけならちょっと位置がずれれば絵もずれてしまうだろうな、くらいしか考えません。

 ところが、もう一つの「人間の条件」ではキャンバスがあるのは、室内の窓際です。
 そしてさらに「野の鍵」(または「田園の鍵」)になると、その窓ガラスが砕けて床に落ちており、しかもガラスの破片には割れた窓の向こうの風景そっくりの絵?が描かれています。

 こうなると、「人間の条件」で「窓の外の風景」だと思って見ていたものが、果たして本当にそうなのか?という疑惑も湧いてきます。いやそもそも、「野の鍵」で砕けたガラスの向こうに見えている(と見える)風景すら、もしかすると下に散らばる破片同様に、ガラスが割れたように描いただけの巧妙な騙し絵かもしれません。
 そして窓ガラスにしろキャンバスにしろ、騙し絵の向こうの「本物の風景」は私たちには隠れて見えません。ということは、「本物の風景」が騙し絵に描かれたのとそっくり同じ風景だという保証はどこにもない――それどころか、向こう側にはそもそも「風景」など存在しないかもしれないのです(!)。

 こんな風に考え始めると、マグリットの絵というのは一見単純そうでいて非常に奥の深い、哲学的ともいえる不思議な疑惑に満ちたミステリアスな世界です。かといってあまり考えすぎても混乱してしまいますが、一般的な意味でのわかりやすい「騙し絵(トロンプ・ルイユ)」ともまた異なり、当たり前と思っている日常の中に潜んでいる謎をこれほど魅惑的に描き出してくれることにかけては、やはりマグリット以上の画家はいないでしょう(文学作品ではM・エンデの『鏡のなかの鏡―迷宮』『自由の牢獄』が近いかもしれません)。そしてその謎にどこかぞくりとするような怖さというか不安があるのもまたマグリットならではで、そんなブラックジョークのような独特の味わいがまた大好きです。

参考図書:
思考の死角を視る―マグリットのモチーフによる変奏』(増成隆士、勁草書房、1983)
 ちょっと難解な内容ですが、マグリット好きには大変わくわくする面白い本です。古い本で絶版のため、興味がおありのかたはぜひ図書館で探してみてください。
1983年サントリー学芸賞受賞作


※著作権について
 1967年没のマグリットは、2015年現在、著作権法で定められた保護期間である没後50年に達していません。またベルギーは戦時加算によりさらに3910日間保護期間が切れないため、日本では50年+10年と約8ヶ月、マグリットの作品を自由にパブリックドメインとして使用することは著作権法上禁止されています(今後TPPで著作権保護期間が70年になれば、さらに20年延長される可能性もあります)。
 もっとも実際にはネット上に山ほど画像が溢れているのが現状で、親告罪のため訴えられない限りはグレーゾーン?ですが、厳密に言えば無許可の使用は違反となります。よって当ブログでも、展覧会の看板・ポスター等を撮影した写真を除いて、原則として保護期間内の作品画像は掲載いたしませんので、ご了承ください。(もし誤って保護期間中の作品を掲載していた場合は、お手数ですが一言ご連絡いただければ大変助かります)

参考リンク:Image Archives(DNPアートコミュニケーションズ)
http://search.dnparchives.com/
※「ピレネーの城」「田園の鍵」「大家族」「呪い」「ユークリッドの散歩道」の画像を閲覧できます。

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