丹波栗が食べたい

 2011/12/07(Wed)
 別館のみささぎ巡り一覧がようやく一通り完成したので、先月行ってきた高槻の今城塚古墳(継体天皇陵)と神戸の五色塚古墳のデータをちょっと追加しました。天皇陵や陵墓参考地は殆どが近畿に集中しているので、関東の住民にはなかなか行けないところばかりですが、暇な時に少しずつ巡り歩いていければいいなと思っています。(先月のレポはまたいずれ)

 …とはいえ、そもそも運転免許も持っていない千尋にとって、最寄駅から遠かったりバス路線もなかったりする場所の古墳は特に手強い代物です。奈良の垂仁陵のように駅のホームから見える古墳ばかりならありがたいのですが、そもそも我が家から一番近い古墳も恐ろしく辺鄙な場所(現代人にとっては、ですが)にありますし、遠方から訪れるには大変なのですよ。(前に行った天理の衾田陵も、柿畑のど真ん中で最初びっくりしましたが、とてものどかでいいところでした)
 というわけで、歴代天皇陵・陵墓参考地を調べてみて、九州の神代三代以外で特に大変そうだなあと思ったのが以下三つでした。

 ・雲部車塚古墳[雲部陵墓参考地] 兵庫県篠山市東本荘町
  埋葬者:伝・丹波道主王命(9代開化天皇孫,11代景行天皇祖父)
 ・田中王塚古墳[安曇陵墓参考地] 滋賀県高島市安曇川町田中
  埋葬者:伝・彦主人王(26代継体天皇父)
 ・八雲2古墳[岩坂陵墓参考地] 島根県松江市八雲町大字日吉
  埋葬者:伊耶那美尊(!)

 この中でも、特に雲部車塚古墳は最寄りの篠山口駅(JR福知山線)からバスに乗って終点まで行き、さらにもう一度乗り換えなければいけないという、何とも大変な場所にある古墳なのです。昔はこの近くに篠山線というローカル線があったそうなので、その頃だったら最寄駅から徒歩で何とか行けたかもしれませんが、しかし今ではタクシー代を想像しただけでも頭が痛いし、かといってさすがに片道13kmはレンタサイクルで行っても途中で力尽きそうですよ、ははは。(昔は往復4時間くらい自転車で走ったこともありますが、さすがにもうそんな体力はありません…)

 参考リンク:雲部車塚古墳(篠山市観光情報サイト)~お濠もあるりっぱな前方後円墳です。


 とはいえ、篠山は歴史ある城下町で街並みの風情もなかなかいい感じのようですし、ついでに丹波栗も美味しいというのがちょっと心惹かれます(これからの季節はぼたん鍋も美味しそう。^^)。神戸から篠山口までなら1時間半程度でそう遠くはないんですが、果たしていつか行ける日がくるかなあ…?

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続・夢の巡り逢い

 2011/02/28(Mon)
 2/26(土)、今まで気になりつつ機会を逸していた三鷹の中近東文化センターへ、企画展「ペルシアの宝物 至高のガラスと銀の世界」(2010/11/27~2011/2/27)を見に行ってきました。

  ペルシアの宝物展


 この企画展示は始めどこかの美術館でポスターを見かけ、縦一列に並んだガラス器や銀器の一番上に例の白瑠璃碗に似たガラス碗があって、おやっと目を引かれました。さらによく見ると、何と展示品の中には岡山オリエント美術館からはるばる出張の品もあるとのこと。これは滅多にお目にかかれないものに会えそうだと喜びつつ、なかなか三鷹まで足を延ばす機会が掴めなくて、ようやく最終日ぎりぎりに駆け込む羽目になりました。まったく、いつもながらこのパターンはどうにかしなければと思うのですが、他の美術展との日程調整もあるだけに難しいです…

 ともあれ、当日は途中電車が一時ストップして思わぬ足止めに遭いつつも、何とか昼過ぎに到着。外観は比較的普通の建物だなと思いながら入ると、何といきなりハンムラビ法典(の複製)がでんと玄関ホールに鎮座していたのに驚き笑ってしまいました。
 今回のお目当てはペルシアですが、見れば窓の外の壁にもイスラム風の鮮やかな青いタイルが貼ってあったりして、なるほどいかにもオリエントの風情です。しかしちょうど企画展では作品解説中だとのことで、まずは急いで展示コーナーに駆け込み、既に半分ほど進んでいた団体様の後にくっついてご一緒させてもらいました。この解説がまた、担当の学芸員さんがとてもお話し上手な方で、後半だけだったのが残念でしたが大変楽しかったです。
 …それにしても、何度か訪れた古墳絡みの展示などでも思ったのですが、あの手の企画展のお客さんはどうして年配の方が多いのでしょうね? ちらっと見渡すと今回も殆どは50代から60代以降の方々ばかりで、考古学というのは専門家以外では若者好みのジャンルではないのかしらなどとつい思ってしまいました。それでもこれがエジプトあたりなら日本でもかなりメジャーなのでしょうが、ペルシアというのは確かにマニア好みかもしれません。うーむ。

 さて解説も一段落し、いよいよ大本命の白瑠璃碗(の兄弟)とご対面です。
 入口からすぐのエリアにあるのをちらっと見たものの、解説を聞こうと急いでいたのでそのまま通り過ぎてしまったのですが、改めて入口に戻って今度はじっくり解説のパネルを拝見しました。ここで当然本家本元?正倉院の白瑠璃碗の写真があり、例の井上靖作『玉碗記』のこともばっちり紹介されていて喜びましたが、その先に目をやってびっくり仰天。何と、ガラスケースの中にはずらりと並んだ器、器、器…「え、これ一体いくつあるの!?」と慌てて数えてみれば、実に13個の白瑠璃碗が一列に勢揃いしていて、しばし呆気に取られてしまいました。
 もちろんこれらのガラス碗は、正倉院のあの美しい器に比べれば風化で見る影もなくぼろぼろに成り果て、ガラスであることすら殆ど判らないような代物です。しかし日本の発掘隊が1958年に初めてイランで発見して以降、現在に至るまで何と数百のガラス碗が日本に持ち込まれているということで、今回私が驚いた13個でさえその中のほんの一部なのでした。ちなみにその1週間前にたまたま池袋で訪れた骨董市でも、同じような白瑠璃碗型のガラス器を置いているお店があってびっくりしたのですが、あの器って案外メジャーなものだったんですね。

 とはいえ、それだけたくさんの出土例(ただしほぼ全てが盗掘品で、学術的な発掘で正確な出土場所を確認できたものはないとのこと)があるにもかかわらず、正倉院の白瑠璃碗ほど保存状態の優れたものはやはり見つかっていないようです。強いて挙げるなら、これも日本の安閑天皇陵出土伝えられる例の東博所蔵のガラス碗が一番近く、あとは少し型違いのものに朝鮮の古墳から出土したもの(これは残念ながら未見)があるくらいでしょうか。しかし遠く離れた日本人にとってはあんなに馴染み深いものなのに、肝心の故郷には本来の姿を留めるものが殆ど残っていないなんて、何だか曜変天目茶碗のようだなとふと思いました。
 ついでながらイランと言っても広いですが、白瑠璃碗の故郷と思われるのは北部地方の、カスピ海沿岸のあたりではないかということです。今まで何となくもっと中央のペルセポリス等を漠然とイメージしていたので、これはちょっと意外でした。名前の通りに殆ど海のような広い広い湖のほとりで生まれ、その後砂漠を越え海を越えて日本へやってきたガラス碗…うーん、ロマンですねえ。


  カットグラス残欠
  常設展示のカットグラス。やっぱり風化してます…


  伝安閑天皇陵出土碗
  参考写真:伝安閑天皇陵出土・ガラス碗(東京国立博物館


 なお第一発見者である学者先生の当時のコメントとして、「骨董屋で白瑠璃碗の兄弟?を発見した時は店の主人に興奮を隠すのに苦労し、さらに持ち帰る時は落としやしないかと冷や汗ものだった」という話があって、ご本人はそれだけこの歴史的大発見に混乱していたのでしょうが、ちょっと笑ってしまいました。同時に地元イランでは当時は大した価値のないものと見なされていた様子も伺えて、やっぱりあの白瑠璃碗は凄いものだったのだなと思います。
 あともうひとつ、これらのガラス碗は、大きく分けて淡い褐色か緑色かのどちらかだそうです。正倉院や安閑天皇陵のガラス碗はどちらも薄い黄色(=淡褐色)ですが、改めて見ると同じ型で淡緑色と思われるものもちらほらありました。(ただしガラスは銀化で変色しているものも多いので、もしかしたら本当は淡褐色だったかもしれません)

 ところでこの中近東文化センター、そもそも三鷹のどの辺なのかも判っていなかったのですが、着いてみてびっくり、深大寺のご近所だったのですね! 深大寺や神代植物公園だったら以前何度か訪れていたのですが、その時は全然気がつかなくて惜しいことをしました。常設展示もなかなかバラエティ豊かな品が揃っていて面白かったので、今度薔薇の季節にでもまたぜひ行きたいです。


・関連ブログ:「夢の巡り逢い


 井上靖『玉碗記』は↓こちらで
  
(010)季 (百年文庫)(010)季 (百年文庫)
(2010/10/13)
円地文子、島村利正 他

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倭の五王の謎へ

 2011/02/24(Thu)
 本日、応神天皇陵(誉田御廟山古墳)の立ち入り調査が天皇陵としては初めて行われたというニュースにびっくり仰天しました。この古墳は例の仁徳天皇陵こと大仙陵古墳に次ぐ日本で第二位の巨大古墳で、残念ながら私はまだ訪れたことはないですが、もちろんとても興味のある古墳の一つです。まあ例によって、葬られた人が本当に応神天皇かどうかは不明ですけれど、大きさから見ても恐らく歴代天皇(大王)の誰かであることはほぼ確実でしょう。

 それにしても、八幡様でお馴染みの応神天皇の陵墓が何故今回「最初の」立ち入り調査を許された天皇陵に選ばれたのかは判りませんが、何にせよ今までの状況を考えれば画期的な第一歩ということになりますね。普通の古墳のような発掘等はまだまだ無理そうですが、天皇陵や陵墓参考地で立ち入りを許可されるところは殆ど皆無だけに、いずれはもっと踏み込んだ調査ができるようになってほしいものです。ことによれば、古代史屈指の謎でもある「倭の五王」に繋がる発見も期待できるかもしれませんし、仁徳天皇陵やその他の巨大古墳についてもぜひ積極的に調査を進めてください!

 さらに今日はもうひとつ、奈良県桜井市の茅原大墓古墳で最古の人物埴輪が見つかった、というニュースも合わせて飛び込んできました。こちらの古墳は近くまでは行ったものの、あれがそうなのかな~という程度しか判らなかったという思い出がありますが(笑)、このところ纏向遺跡周辺の新発見も多いですね。同じく奈良の斉明天皇陵のその後も気になりますし、まだまだ古墳からも目が離せないようです。

 ところで去年は11月にやはり陵墓参考地の男狭穂塚・女狭穂塚古墳を擁する西都原古墳群へも行ってきましたが、今年に入って突然始まった新燃岳の火山活動は相変わらず収まる様子もなく心配です。去年の秋の古墳まつりは予想以上にたくさんの人が集まって大変賑やかだったことが印象的だっただけに、やっと口蹄疫の騒動も収まった矢先に今度は噴火で地元の方々もさぞ大変かと思いますが、皆さん無事で今年の秋もまた楽しくお祭りすることができますように。

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天皇陵というもの

 2010/12/09(Thu)
 しばらく前、斉明天皇陵について宮内庁指定の古墳とは別の古墳が真の陵墓である可能性が高いと報じられましたが、本日再び、今度はすぐ側に斉明帝の孫娘・大田皇女のものらしき古墳が発見されたとのニュースに二度驚きました。大田皇女といえば、斉明帝の孫というより悲運の死を遂げた大津皇子の母と言った方が判りやすいかと思うのですが、自身も若くして亡くなった彼女のお墓が今まで未発見だったとは知らず、これまたびっくりです。大田の妹である持統女帝と、大田・持統姉妹の夫である天武天皇のお墓はあの時代には珍しく正真正銘間違いなしの天皇陵として明日香村にあり、私も何度か訪れたことがありますが、天武・持統の二人どちらとも縁の深い人物でありながら、大田のお墓は随分離れた所にあったのですね。

 それにしても、毎度おなじみ宮内庁は例によって今度も「指定を変えるつもりはない」の一点張りだそうで、相変わらずこの問題についてはまったく譲る気配はなさそうです。学者先生の中にも「指定されたら調査できなくなるのでそのままで構わない」と正直におっしゃる方がいらっしゃるようで(笑)、これに関してはまったくもって同感ですが、それにしてもどうしてここまで頑固なのでしょうね? 聞くところによれば、「(別な墓であっても)一度陵墓として指定されお祀りされれば、そこに天皇の御霊がお移りになるので問題ない」ということらしいのですが…21世紀にもなって本気で(?)こんな発言をする人たちがいまだにいるなんて、それこそ信じられない話です。大体、百歩譲ってそれがありだとしたら、そもそも最初そこに葬られたはずの本来のお墓の主は一体どうなるんですか、ねえ!?

 ともあれ、前から有名な今城塚古墳と今回の牽牛子塚古墳は、ほぼ間違いなく真の天皇陵であると判った上で何の障害もなく調査のできる貴重な例なので、今後もどんな新発見が飛び出すかますます楽しみです。最近ますます邪馬台国論争の激しい箸墓古墳も、同じように調査できればきっと色々貴重な発見があるのでしょうが、こちらはまだ当分周辺の纏向遺跡の発掘に期待するしかなさそうですねえ…残念。

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みささぎ巡り 初夏の上つ道ドライブ編 2

 2010/06/03(Thu)
 5月30日午後は、明日香村を後に一路北上、今度は桜井市へ入りました。
 前に訪れた時は知らなかったのですが、大神神社参道正面には桜井埋蔵文化財センターがありまして、しかもこの時はちょうど「大桜井展」が開催中というこれまたいいタイミング。といっても建物はあまり目立たない雰囲気で、1階の展示収蔵室もそれほど広くはないのですが、今までに読んだ色々な本でお馴染みの貴重なあれとかこれとかがぞろぞろ並んでいる様子はなかなかの壮観でした。近年の発掘で纏向遺跡=邪馬台国説が一層活発ですが、ともあれ後のヤマト政権誕生の地として、これからの調査研究の進展がますます楽しみです。

 参考図書:
  
邪馬台国の候補地・纒向遺跡(シリーズ「遺跡を学ぶ」)邪馬台国の候補地・纒向遺跡
(シリーズ「遺跡を学ぶ」)

(2008/12)
石野 博信

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 で、うっかりついじっくり見ていたら結構時間が経ってしまったので、慌てて次の目的地、唐古・鍵考古学ミュージアムを目指しました。
 大神神社の北西に位置する唐古・鍵遺跡は弥生時代の大規模な環濠集落跡で、ミュージアムは遺跡のちょっと南にあります。生涯学習センターの一角に図書館等と共存している可愛らしい施設ですが、古代の生活の様子を再現したジオラマや銅鐸の復元過程の映像などはとても判りやすく、青銅器鋳造に関連した出土品が多かったのも面白かったです。また遺跡の場所には、出土した土器に描かれていた楼閣が復元されていて、昇ることはできませんが実に絵になる素敵な眺めでした。

  唐古・鍵遺跡案内板
  遺跡案内板。

  唐古・鍵遺跡楼閣
  復元された楼閣。かなり大きいです。

 で、何だかんだでここでもかなり時間がかかってしまったので、その後は東へ一直線、黒塚古墳から崇神天皇陵・景行天皇陵の前を慌ただしく通過して、箸墓古墳まで一気に南下。去年うっかり見逃していたホケノ山古墳に無事到着、今度はしっかり見てきました。(何しろここも割合ぺったんこでしかも道路に分断されているので、通りかかっただけではそれが古墳だとは判らないのですよ…)

  ホケノ山古墳
  夕暮のホケノ山古墳頂上にて。正面は箸墓古墳。

 以上、かなりばたばた慌ただしい強行軍でしたが、何とか日没までに当初の予定は全てこなすことができました。たださすがに纏向一帯の箸墓以外の古墳まで回る余裕はなかったので、それはまた次の機会に持ち越しです。それに大神神社から桧原神社までの山の辺の道もまた行きたいんだけれど、次回はいつになるかなあ…

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