愛しのレオナルド

 2012/07/05(Thu)
 しばらく前ですが、Bunkamuraで開催された「レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想」に行ってきました。
 日本人でもレオナルド・ダ・ヴィンチと「モナリザ」を知らない人は恐らく殆どいないでしょうが、何しろ天邪鬼な千尋は、世界一有名なあの女性を美しいとはあまり思ったことがありません。それ以前にそもそも、レオナルドの描いた女性で好みの人物が滅多にいないというのが本音で、現物を見たものではかろうじて「白貂を抱く貴婦人」(2002年来日、横浜美術館)がまあレオナルドにしてはチャーミングな美人だな、と思ったくらいでした。
 ところが今回の「ほつれ髪の女」は、そんなレオナルド作品では珍しく久々に大変美しいと感じた好みの作品で、これを今まで知らなかったのは大失敗でした。レオナルドは完成作品の少ないことでも有名な画家ですが、なまじきちんと描き上げられた?モナリザや聖母マリアより、このデッサンの方がよほどいいなと思ったくらいです。(そういえばブーシェの絵も、荒いタッチのデッサンの方が好きなものは多いのでした)

 ともあれレオナルドの絵に接したのは実に5年ぶり、2007年に来日した「受胎告知」(東京国立博物館)以来でしたが、そこでふと思い出したことがありました。
 多分この「受胎告知」来日の頃だったと思うのですが、書店でふと手にした美術エッセイらしき本で、珍しく私の好きな「洗礼者ヨハネ」が取り上げられていました。しかも著者は「日本ではダ・ヴィンチと称されることが多いが、私は断然「レオナルド」と呼ぶことにしている」というようなことを述べていて、おお同志、と嬉しくなったのです。(ただあいにくその時は買わなかったため、誰の何という本かは覚えていないのですが、多分中山庸子氏の『イケメン美術館』だったと思われます)

  
イケメン美術館イケメン美術館
(2007/01)
中山 庸子

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 これまたよく知られるとおり、「ダ・ヴィンチ」というのは「ヴィンチ村(出身)の」という意味であって、日本人が考えるような苗字とはちょっと違います。なので私も昔から「レオナルド」と呼ぶことに密かにこだわっているのですが、研究者以外で恐らくそうではないかと思われる人にもう一人、作家の塩野七生氏がいらっしゃいます。
 知る人ぞ知るかもしれませんが、塩野さんは昔からレオナルドの熱烈なファンだそうで、そのあたりは『イタリア遺聞』の最終章、その名も「レオナルド、わが愛」に詳しいです。しかも愉快なことに(と言っては申し訳ないのですが)、当時まだ書いていなかったマキアヴェッリもカエサルも書けるという自信があった塩野さんが、唯一(伝記として)書けない(ご本人曰く「モノにできない」)と白旗をあげたのが他でもないレオナルドだというのですよ。
 はて、『ローマ人の物語』の作者をして書けないと言わせるとは、と最初は驚いたのですが、理由を読んで納得。彼があまりにも万能の天才であったがために、特に自然科学方面は手に負えないということなのだそうで、これには私も心から賛同しました。もっとも私の場合、解剖学くらいならブラックジャックの影響で(笑)そこそこ興味もあるから何とかなりますが、建築だの兵器だのとなると確かにお手上げですね。

  
イタリア遺聞 (新潮文庫)イタリア遺聞 (新潮文庫)
(1994/03)
塩野 七生

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 ともかくも、この短いエッセイの中で塩野さんも一貫して「レオナルド」あるいは「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と読んでいて、「ダ・ヴィンチ」という略称は一度も使っていません。私のようなこだわりを持つ人間にはこれだけでも大変に嬉しいことで、逆に某『ダ・ヴィンチ・コード』等は内容以前にそもそもタイトルが気に食わんというのが本音なのですが、ともあれこういう同好の士がいるのは非常に心強いのでした。

 ところでこの「レオナルド」という名前、決して悪い名前だとは思わないのですが、時々「どうせなら「ガブリエロ」だったらもっと面白かったのになあ」と考えてしまいます。
 というのも、レオナルド・ダ・ヴィンチは言うまでもなくルネサンス三巨匠の一人として有名ですが、あとの二人は「ミケランジェロ(=ミカエル・エンジェル即ち大天使ミカエル)」と「ラファエロ(=大天使ラファエル)」ですから、レオナルドが「ガブリエロ(=大天使ガブリエル)」だったら綺麗に三大天使が揃ったのに…という訳なのでした。思えばレオナルドの描く大天使ガブリエルはそれはもう美しく、はっきり言って聖母マリアよりよほど魅力的だと断言したいくらいですが、レオナルド自身も若い頃は大変な美青年だったそうですから、案外ご本人の面影を宿していたりするのかも…?


  レオナルド「洗礼者ヨハネ」
  一番好きな「洗礼者ヨハネ」。珍しくサイン入りだそうです。

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白い毛皮の黒いぶち

 2011/07/10(Sun)
 このところ調査中の源氏物語の中に、末摘花と呼ばれる姫君が纏う毛皮の話があります。平安初期には貴重で高価な舶来品だったものの、女性が使うにはおよそ不向きなものであったらしく、初めてそれを見た光源氏は(確かに寒い冬の日だったとはいえ)彼女の衝撃的な醜女ぶりも相まって呆然とした、というエピソードは有名です。
 で、この毛皮、原文では「黒貂(ふるき)の皮衣(かはぎぬ)」とあります。クロテンことセーブルといえば今でも高級毛皮でお馴染みですが、ここでふと思い出したことがありました。

 西洋の王侯貴族の肖像画には、しばしばマントの裏地やケープ等に豪華な毛皮を使っているものが見られます。白の地に黒い小さな斑点が散っているあれで、特にお馴染みなのは太陽王ルイ14世の肖像画でしょう。

  ルイ14世
  イアサント・リゴー「ルイ14世」(ルーヴル美術館)

 ところでこの小さな黒い斑点、千尋はずっとああいう模様の毛皮だと思っていたのです。ところがある時(確か江戸東京博物館のエルミタージュ展だったと記憶していますが)、ロシアの女帝エカテリーナ2世のものだったという毛皮のマントの実物を間近で見て、びっくり仰天しました。

 何とこの斑点、実は毛皮の模様ではなくて、尻尾の先の黒い部分だったのです。(!)

 いや正直、それまでずっと某101匹わんちゃんのダルメシアンのような(笑)毛皮だとばかり思い込んでいた千尋にとっては、これは大変なカルチャーショックとも言うべき衝撃でした。確かによく考えてみればあれはいわゆる「アーミン」の毛皮で、アーミンというのはシロテンの純白の毛皮を使ったものですから、その毛皮で黒い部分は尻尾の先端しかないのです。コート等に使われるアーミンはその尻尾をつけた毛皮をずらりと並べてはぎ合わせたもので、だから絵画ではあんな風に一面に黒い模様が散っているようにしか見えませんが、近くで見ると尻尾がたくさん並んで(というよりぶら下がって)いるのですよ。

  マリア・テレジアの毛皮
  「女帝マリア・テレジアの肖像」

 ↑この絵だとかなり判りやすいですが、こうして見ると要するにそのコートなりケープなりに何匹のアーミンが使われたか、尻尾の黒い点を数えれば判るのです。おまけにその尻尾が何だか妙にリアルというか生々しくて、正直言って私にはあまり気持ちのいいものではありませんでした。
 もっとも、アーミンことシロテンは本当はテンではなくイタチの仲間のオコジョのことで、セーブルのクロテンや同じイタチ科でこれまた高級毛皮のミンクに比べ、大きくても体長30センチ程度の小柄な生き物です。従って一匹から取れる毛皮の面積もかなり少ないので、その分あんな大きなマントを作るにはさぞ何百匹もの毛皮が必要だったでしょう。(参考までに、上に挙げたルイ14世肖像のマントは少なくとも140以上の尻尾が確認できます)
 しかもオコジョは夏は普通の地味な茶色の毛皮で、あの純白の毛皮は雪が降る冬に合わせて生えかわった後、再び夏毛に戻る春までの間しか手に入らないものです。それだけに、厳しい冬のさなかに野生のオコジョを狩猟で捕らえる手間を考えただけでも、どれだけ高価なものだったか想像に難くありません。そういう貴重な毛皮だからこそ王侯のみが身につける高貴の象徴ともされ、紋章の模様にもなったということですが、それにしてもあの尻尾は本当に実物を見ると衝撃的でした…

 それにしても不思議なのは、どうしてあの尻尾もわざわざ一緒に使ったのか、ということです。尻尾があるからといって面積が増えるものでもなし、別に切り落としてしまって純白の部分だけを使ってもよさそうなものですが、敢えて尻尾も使ったのは何か理由があったんでしょうか。
 これについて、以前やはり実物を見て驚いたという友人とも話したのですが、そこで彼女に「もしかすると他の毛皮と区別するためではないか」と指摘を受けました。アーミンの毛皮の質感や手触りなどは私はあいにく判りませんが、純白というだけならウサギやキツネでもありますし、それに比べるとあの先端だけが黒い尻尾は確かにアーミン特有のもののはずです。ちなみにフェルメールの絵にも白地に小さな黒ぶちの毛皮が時々登場しますが、あれはどう見てもアーミンの尻尾ではないですから、元々ああいう模様の毛皮であったか、もしくはアーミン風にわざと着色する等したものでしょう。

 ここまで書いて気になって調べてみたら、以下の論文にも同じ指摘がありました。やっぱりあれをアーミンだと誤解した人は結構いたらしいですが、でもあれがあんな尻尾だということを知っていれば、絶対そんな誤解は出てこなかったはずなんですよね。(ということは、本場ヨーロッパの人たちも案外あれが尻尾だと知らなかったんでしょうか?)
 しかし読んでみてまたびっくりしたのですが、同論文によるとアーミンのあの尻尾は何と、毛皮から一度切り離したものをわざわざ好みの配置につけ直したものなんだそうです。(!!) なので理屈としては、実際に使っている毛皮よりもたくさんの尻尾をつけることも可能ですが、それだと尻尾をつけられない毛皮が余ってしまいますから、多分使った毛皮の分の尻尾をつけたと素直に考えて差支えないだろう、と解釈しました。
 もっとも穿って考えれば、他の似たような白い毛皮に尻尾だけつけるということも可能ではありますが(笑)、何しろあれをお召しになったのは正真正銘の王侯貴族の人々です。フェイクファーで満足する程度の下々の庶民ならいざしらず、ああいう人たちは金に糸目をつけない分本物の高級品のみを使い、とりわけアーミンは王権の象徴と見なし紋章にまで取り入れるほど誇りにしていたのですから、まさかそんなレベルの低いみみっちい小細工はしなかったでしょう。(多分)

参考論文:
 ・フェルメールの斑点入り毛皮をめぐる「アーミン」言説の再考(全文PDFあり)
  三友晶子(日本家政学会誌 56(9), 617-626, 2005) Cinii提供

  フェルメール「手紙を書く女」
  フェルメール「手紙を書く女」(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)

今回の画像提供:Wikimedia Commons

 ところで話は戻りますが、そういえば101匹わんちゃんでのダルメシアンの子犬誘拐は、そもそも子犬の毛皮でコートを作りたいからという動機からだったんですよね。もしかするとあれも実は、本当はアーミンがいいけどそれは無理だからせめて似たような黒ぶちの白い毛皮が欲しかった、ということだったりしたのかな、なんてふと思いました。

 …それにしても、昨日は関東甲信越も梅雨明けで大変な猛暑だったというのに、何だかますます暑苦しくなりそうな話題でしたね。(笑) 前から引っかかっていたのでつい忘れないうちにと書いてしまいましたが、せめて冬に書けばよかったかしら…?

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絢爛たる謎

 2011/07/06(Wed)
 古い日本美術の展示会などに足を運ぶと、時折百人一首の歌人を題材にした絵画作品に出逢うことがあります。中でも有名なのは尾形光琳作の「光琳かるた」でしょうが、残念ながらこれはいまだに実物を見る機会には恵まれていません。(複製はよく売っていますけれど)
 それはさておき、千尋が今まで見てきた中で特に素晴らしいと思ったのは、狩野探幽による「百人一首画帖」です。今に伝わる「百人一首画帖」作品の中でも特に古いものだそうで、昔探幽展で在原業平と右大将道綱母の絵を目にする機会があり、その王朝風の優雅で洗練された美しさに一目惚れしてしまいました。
 ところがこの作品、「画帖」というとおり冊子の形式になっているものですから、美術展では当然一度に全部の作品を見ることはできないのです。酒井抱一の「絵手鑑」といい、こういう作品は観覧する側には非常に悔しいもので、しかも全部の作品を収録した画集などがないというのがまた悔しいのでした。

 しかも探幽の「百人一首画帖」の場合、さらに困ったことに、この画帖を描いたのは探幽一人ではないのです。百人の歌人たちを探幽と四人の絵師が一人二十人ずつ分担して描いたもので、おまけに探幽が描いた二十人が誰々なのかも判らないのですよ。(ちなみに探幽展で図録に掲載されていたのは十人でした)
 というわけで、百人一首の本で図版の豊富なものを見かけると、必ず手にとって探幽の画帖がないか調べてみたのですが、探幽筆の二十人全員を載せている本というのはやはり見当たりません。しかもこの画帖、どうやら個人所蔵らしくてその後美術展でお目にかかる機会にも恵まれず、長らくこの問題は保留のままでした。

 ところが最近、たまたまweb上で久しぶりに、この画帖の一部を引用した写真を見かけました。出典は別冊太陽愛蔵版の「百人一首」という本らしく、今まで見たことがありません。しかもさらに調べてみると、この愛蔵版は1974年発行で当時一万円(!)という凄いお値段だったのです。百人一首を紹介する本は数多くありますが、ここまで豪華なものはちょっとお目にかかったことがなく、もしやと思いました。
 そしてさらにあちこち調べた結果、ようやくその愛蔵版の実物に出逢えました。表紙からして探幽筆の美しい「伊勢」の絵で、どきどきしながらページをめくってみると、まさしく念願の探幽の手になる二十人の歌人たちが見事全員勢揃い! しかもさらに嬉しいことに、特別付録として実物大紫式部(もちろんこれも探幽筆)の口絵までついていて、もう大感激でした。今ではなかなか手に入らない絶版本なのが惜しいですが、やっと長年の疑問のひとつが解消して嬉しかったです。

 というわけで、「百人一首画帖」のうち、探幽作の二十人は以下の面々でした。

 ・天智天皇 ・持統天皇 ・柿本人麻呂 ・山部赤人
 ・小野小町 ・河原左大臣(源融) ・在原業平 ・伊勢
 ・管家(菅原道真) ・紀貫之 ・右大将道綱母(蜻蛉日記作者) ・和泉式部
 ・紫式部 ・皇太后宮大夫俊成 ・式子内親王 ・後京極摂政前太政大臣(九条良経)
 ・前大僧正慈円 ・権中納言定家 ・後鳥羽院 ・順徳院

 さすが探幽、百人一首の中でも一際豪華な顔ぶれです。このうち女性の歌人は七人で、百人一首全体で二十一人ということを考えるとかなり高い割合でしょう。(何故か清少納言は抜け落ちてますが) しかもさらに少ない皇族の女性二人(持統天皇と式子内親王)もしっかり独占していて、持統天皇が十二単を纏っているのは変なのですが(笑)そんな考証もどうでもいいくらいに美しい絵で大感激でした。
 というわけで、先日賀茂斎院サイトを立ち上げた縁もあることですし、ここでは式子内親王をご紹介。


  探幽作式子内親王
  「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」


 別冊太陽愛蔵版は見開きのため、この画像は吉原幸子著『百人一首』(平凡社)より引用しました。しかしこの構図、かの有名な佐竹本三十六歌仙の斎宮女御(徽子女王)とそっくりなのですよね。
 確かに斎宮女御と式子内親王は、伊勢斎宮と賀茂斎院出身の女性皇族歌人という珍しい共通点を持つ人たちで、時折対で描かれているのを見たりもしますが、あの構図は斎宮女御の絵の中で一番有名なものというわけではありません。それに画帖の他の絵は、佐竹本と同じ人物を描いていても、構図は全然違っているのです。(例えば小町は正面を向いた細長姿で、逆に佐竹本小町のあの後ろ姿にそっくりなのは何故か紫式部です) 人麻呂も元々伝統的にあの構図が決まっていたはずだから真似とは言えないし、果たして探幽はあの佐竹本を見たことがあったのでしょうか?

おまけ:
  
色鉛筆で描く大人のぬりえ塾 百人一首画帖〈1〉(色鉛筆で描くぬりゑ塾)色鉛筆で描く大人のぬりえ塾 百人一首画帖〈1〉
(色鉛筆で描くぬりゑ塾)

(2006/09/16)
小峰 和子

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色鉛筆で描く大人のぬりえ塾 百人一首画帖〈2〉(色鉛筆で描くぬりゑ塾)色鉛筆で描く大人のぬりえ塾 百人一首画帖〈2〉
(色鉛筆で描くぬりゑ塾)

(2006/10/16)
小峰 和子

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 何故か表紙画像が出ませんが、1巻の表紙は探幽筆の持統天皇です。(2巻は崇徳院)

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奄美と日食と田中一村

 2009/07/18(Sat)
 いよいよ明日、奄美大島に向けて出発します。今回のメインは当然皆既日食なのですけれど、行き先が奄美大島となると美術好きには見逃せない田中一村の記念館があるので、日程に余裕があるのを幸いしっかりコースに組み込みました。
 もっとも私自身はあまり田中一村という画家については知らず、そもそも一村作品の本物も見たことはないのですが、大ファンだという知人曰く「鈴木其一とちょっと似ている」と言うのです。言われてみれば独特の大胆なトリミングが印象的な構図が確かに共通するものを感じますが、しかし画題が何しろトロピカルな人なので、一見日本画には見えないのですよね。


 
田中一村作品集田中一村作品集
(2001/10)
田中 一村中野 惇夫

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(表紙は代表作「アダンの木」)


 田中一村記念美術館・公式サイト
 http://www.amamipark.com/isson/isson.html

 ついでにもうひとつ、少し前に田中一村を主人公にした↓こんな映画も作られたそうです。

 
ADAN [DVD]ADAN [DVD]
(2007/05/26)
榎木孝明・五十嵐匠

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 一村役が榎木孝明と聞いて一瞬びっくりしたものの、そういえば榎木さんご本人も絵の達者な人だったと思い出して、大変よく納得できました。しかし色々調べてみたら、榎木さん実は大のヘビ嫌いだそうで、奄美での撮影はダイエットよりハブの方が大変だったらしいです…(笑)

 参考ページ(ザ・フリントストーン提供:榎木さんのインタビュー紹介)
 http://www.flintstone.co.jp/20060514.html

 最後に、田中一村の伝記も一緒にご紹介しておきます。

 
絵のなかの魂 評伝・田中一村 (新潮選書)絵のなかの魂
評伝・田中一村 (新潮選書)

(2006/05/24)
湯原 かの子

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 そもそも田中一村はその絵もさることながら、彼の生涯もまた多くの人を引きつける魅力のひとつなのだそうですが、いや凄絶と言うか何というか、読んでいてこっちの方が疲れてしまいました(苦笑)。ちなみにご本人、実は同期だったという東山魁夷さんを目の敵にしていたそうですが、一村が生前に殆ど認められなかったということを抜きにしても、確かに人間としても非常に対照的な人物だったろうなとは感じます。魁夷さんは「絵を描くことは、救われたいからだ」と言った画家でしたが、一村はそれとはまた違った意味で、絵を描かなければ生きていけない人だったのではないかなと、そんなことを思いました。

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絵画の中のモード

 2009/06/27(Sat)
  
ファッションから名画を読む (PHP新書)ファッションから名画を読む (PHP新書)
(2009/02/14)
深井 晃子

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 最近本屋でこんな本を目にし、何となく買ってみたのですが、読んでみたらいや実に面白かったです。元々泰西名画の中のファッションにはそれなりに興味はあったのですが、気合を入れてお勉強するところまではいかず、また判りやすそうな入門書も知らなかったので、今回は久々にいい本に出会えました。

 それにしても、この本を読んでみて改めて、本当に今まで自分が絵の中の人々の服飾について何も知らなかったんだということをつくづくと思い知らされました。

 例えば、ブロンズィーノの有名なこのメディチ家大公妃の肖像画。

  エレオノーラ・ダ・トレド
  (「エレオノーラ・ダ・トレドとジョヴァンニ・デ・メディチ」)
 
 エレオノーラの豪奢な絹のドレスの袖からちらちら覗く白いもの、これって何とリネンの「下着(シュミーズ)」なんだそうです。わざと切れ目を作って下の布地を覗かせる「スラッシュ・ファッション」というものだそうで、この頃の王侯貴族の肖像画では嫌というほど見かけますが、まさかそんなものだとは知りませんでした。
 この他にも、ナポレオン時代に流行したモスリン・ドレス(レカミエ夫人のあの悩ましい衣装です)や、印象派以降一気に花開いた人口染料、一人では身につけられないコルセット等々、女性はもちろん美術好きの男性にも十分楽しめる内容ではないかと思います。なおこの本で取り上げているのはもっぱら西洋、特にイタリアやフランスが中心ですが、こんな風な解説付きであれば、風俗画という意味では近い日本の浮世絵ももっと面白く見られるのかもしれないなと思いました。

  レカミエ夫人
  (本で紹介されていたのはダヴィッドの絵でしたが、敢えて贔屓のジェラール作をご紹介)

 ところで、第5章「ディテールは語る」では16世紀のヴェネチアのモードの話が出てきますが、当時は「カルカニーニ」という高い上げ底サンダルのような婦人靴が大流行していたそうです。著者は何故こんなものが流行したのか、その理由は判らないとしていますが、そこで思い出したのが例によって、塩野七生氏の「海の都の物語」でした。

  
海の都の物語〈3〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)海の都の物語〈3〉
ヴェネツィア共和国の一千年
(新潮文庫)

(2009/05/28)
塩野 七生

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 つい先日、念願の文庫版がようやく3巻分冊となりましたが、以前「ヴェネツィア女性のおしゃれ」でも紹介した第7話「ヴェネツィアの女」の中に、以下のようなエピソードがあったのです。

 1526年1月17日の元老院は、「贅沢取締委員会」の提出した議題を討議していた。それは、女たちの服の丈が長くなりすぎたので、それを法で規制しようというのである。(中略) ひきずる長さを、ある者は半ブラッチョ(90センチ)が適当だと主張し、またある者は、四分の一ブラッチョ(45センチ)で十分だという。議員たちはもう笑いだし、大笑いのうちに投票が行われた。多数決で決まった長さは、四分の一ブラッチョのほうであった。帰宅した議員たちは、さぞかし、奥方のふくれっ面に直面させられたことだろう。とはいえ、女たちはもちろんこんな法律に屈服しはしない。靴のかかとを高くすることによって、対抗したのである。


 というわけで、塩野説によればどうやらそもそもの目的は、ドレスの裾を少しでも合法的に長くするためというところにあったようです。私にはこれまた正直言って理解不能な世界の話ですが、ともあれそんなことを知った上で改めて向き合うと、よく知っていたつもりの絵でもまた色々楽しい発見がありそうですね。
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