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裳着の謎・3 延長二年の着裳記事について

 2016/05/15(Sun)
 ご無沙汰しております、どたばたしているうちに今年もあっという間に葵祭の日になってしまいました。多忙な合間を縫って美術展にもちらほら足を運んでいるのですが、今年もまた賀茂斎院絡みのレポートに追われて、なかなかブログまでは手が回りませんでした。まだやっと5月とはいえ、ラファエル前派とかレオナルドとかボッティチェリとか、素晴らしいものはたくさんあったので、もう少し落ち着いたらまとめられるといいなと思っています。

 さて、ここでも何度か触れたことのある賀茂斎院関連で気になっていたテーマについて、今回やっとある程度まとめることができました。去年改訂版を上げたレポートその1は源氏物語がメインでしたが、今回はぐっと日本史寄りの内容になって、内親王の着裳+着袴がテーマです。賀茂斎院サイトに「延長二年の着裳記事~「不后腹」昌子内親王の三品直叙について~」と題したレポートをアップしましたので、よろしければご覧ください。

 これまでも斎院関連で気になる問題にちらほら出逢ってきましたが、今回もそもそもは13代斎院韶子内親王の着裳?記事が何だかおかしいぞ、というところから始まりました。そこでこのブログでも「裳着の謎」「裳着の謎・2 后腹内親王と成人儀礼」で二度書いたのですが、その内容をさらに煮詰めていったらまたしてもあちこちへ飛び火した挙句、今回も結構な長文になってしまいました…やれやれです。

 ともあれ、史料やら研究書やら論文やらを手当たり次第に読み漁った結果、やっぱりこれは韶子内親王(醍醐天皇皇女)ではなくて原文通り昌子内親王(朱雀天皇皇女)の裳着だったのではないか、という結論に達しました。このこと自体は既に研究者の方が指摘されているのですが、現状ではどうやら少数派らしく、またあまり追及されていない問題のようだったので、もっとこれを補強する根拠がないかなと思って調べてみたのです。韶子内親王が当時既に賀茂斎院に卜定されていて初斎院で潔斎中だったという点は早くから気になっていましたが、調査の結果色々面白いことがわかり、また自分でも新しい発見がいくつかあったりして、小さな問題かと思ったら意外なほど奥深いテーマでした。
 しかし今回特に面倒だったのが「后腹内親王の三品直叙」で、そもそも后腹内親王の定義は一体どういうものなんだ、という基本的かつ案外難しい問題と取っ組み合う羽目になったのは、予想以上に大変でした。おかげで結論はともかくその根拠として挙げたいくつかの点については、自分でもあまり自信を持って断言はできないのが正直なところです(これも毎回言い訳してますが、何しろ大学できちんと専門に勉強したわけではないため、研究者なら常識であろう基礎知識も色々怪しいのです)。一応体裁だけは論文らしくまとめてみたものの、多分色々勘違いや見落とし等もあるかと思いますので、もし気がつかれた点がありましたらどうぞご遠慮なくご指摘願います。

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